2008年9月29日月曜日

私の友人達

 今日はこちらはシトシトと冷たい雨と共に、気温も18度まで下がりました。
 以前から会う約束をしていたのですが、偶然にも雨・・・お友達とのおしゃべりタイムには好都合の気候です。

 私達のつき合いは、もうかれこれ15年余になるでしょうか?皆私より10歳以上も年下にもかかわらず、私が一番子供っぽい・・・人生の先輩としてのアドバイスも出来ないくせに、年上という事で威張ってばかり・・・というところです。唯一アドバイスできるのは、年金の話。ひとしきり年金、つまり、社会保険制度の欠陥とか事務所の不正、ミス。話しているうちに何か怒りが沸いてきました。年金特別便が届いた話。まもなく行われるであろう、衆議院の解散について等等。

 でも、大方私たちの共通話題は、一緒にやっている英会話の話、子供達の話、最近は娘の話、夫の話、成人病の話等脈絡の無い話題で盛り上がります。

 誰が提案した訳でも無いのに、話題に上らないのは、ファッションの話、他人の噂話、です。

 気が付いてみたら、5時を過ぎていました。再会を約し(とは言っても、そのうち2人とは毎週会いますが)当番制にいつのまにかなっていた友達の車で帰宅しました。

 本当に楽しかったです。

芋煮会

29日の日曜日は馬見ケ崎川での「芋煮会」にまじぇでもらいました。天気予報は曇り。気温が上がらないとのことでしたが、寒いといった程でもなく、まずまずの行楽日和でした。
ピークは過ぎたとはいえ、秋の風物詩はまだまだ盛況です。上流から下流まで河川敷の広場は、ビニールシートやゴザを敷いたグループで埋まり、それぞれの好みに応じて味付けした芋煮鍋に舌鼓を打っておりました。
私どもはナイターテニスの仲間たちです。4月から10月まで毎週月曜日と金曜日の夜7時から9時まで山形市のスポーツセンターで楽しんでいます。メンバーは30代から50代の人たちで、私たち夫婦が最年長です。
この日、幹事の方々は午前10時半ころから行動を開始し、準備を整えてくれました。馬見ケ崎川での芋煮会は職場を退いてから遠ざかっていただけに、懐かしく想いながら味と雰囲気をたっぷり楽しませていただきました。

2008年9月26日金曜日

還暦野球(続)



去る18日夜、あわただしく投稿した還暦野球の続編です。還暦野球は文字通り60歳以上の野球です。全日本還暦軟式野球連盟という組織のもとで毎年、全日本選手権大会のほか東日本大会、西日本大会、北日本大会といったブロック大会も開かれます。戦後の復興期、「6・3制、野球ばかりが強くなり」といわれたほど野球が盛んな時代に鍛え上げた猛者というか、かつての「野球小僧」がこぞって参加するだけに、グラウンドで発揮する体力、気力は大変なものです。
今回、私どもが参加したのは倉敷市で開かれた全日本選手権。全国各地から62チームが集まり、還暦野球の日本一を争う大会です。
初出場の私どもは、まず倉敷マスカットスタジアムという球場でカクテル光線を浴びながら入場行進した開会式で感激し、翌日は1回戦で佐賀県の代表と対戦しました。
立ち上がりいきなり3点を先取し、3-0とリードしたところまでは良かったんですが。3回で同点に追いつかれ、4回以降は相手打線の猛打を浴び、3-15の大差で敗れてしましました。「実力の差」は如何ともしがたいところですが、相手チームの年齢を感じさせない溌剌としたプレ-や野球に取り組むひたむきな姿勢は、学ばなければならないと思いながら、いざ実行となると自信がありません。
今回は中型観光バス(27人乗り)で18日夜10時から21日夜11時まで73時間に及ぶ遠征でした。山形から倉敷までは新潟、福井、米原、吹田、神戸経由の高速道路でざっと12時間ぐらい。
この間、往路では姫路城や岡山の後楽園・岡山城、復路では永平寺や金沢の兼六園に寄ったほか、試合当日も午前中は倉敷の美観地区や大原美術館、瀬戸大橋の与島パーキングエリアなどを訪れるなど、小生にとっては初めてのスポットばかり。観光面でも収穫の多い遠征でした。

2008年9月18日木曜日

コーラス

 お友達に誘われて最近コーラスにはまっています。
 今から、40年程前のうら若き時代に、職場のコーラスグループとか、芥川也寸志の主催する合唱団「鯨」にも在籍した事があるのですが、当時は、蚊の泣くような声量しかなく、随分と指導者に注意をされたものです。

 ところが今回のコーラスでは、どういう訳か、声が出るのです。決して上手ではないのですが、唱っていてとても気持ちが良く楽しいんです。

 そこで考えました。40年前と今では何が違うのかしら・・・解りました。体重です。結婚前より、10kg程増えたのです。

 過体重は決して喜ばしい事ではなく、人間ドックの度に、「脂肪肝」を指摘されるし、何よりもスタミナが無い、ファッションも楽しめない、という訳で、マイナスの要素が多いのですが、唯一、コーラスの場合は、体重増がプラスしている事になるのですね。
 発声が腹式呼吸によるものなので、それが容易にできる訳です。

 そう言えば、ソロシンガー(特にクラシック)には、ふくよかな人が多いですよね。
 これで、またダイエットから遠ざかりました。

 余談になりますが、若い時の写真を娘に見せると、「これ本当にお母さん?」ですって・・・、私だってスリムでジーンズの似合った時代があったのですよ。

還暦野球

 「おどろいた、おどろいた、おどろいたぁ~。いろはの若い衆はおどろいたぁ~…」と続く踊り屋台の曳き唄。そして上山小唄の「チョイト来た湯の町かみのやまぁ~」。本当に懐かしいですね。Sizuさん、ジローさんありがとうございました。上山秋祭りの雰囲気を思い出すことができました。
 今日はこの後、10時に山形市の霞城公園南門前からバスで岡山県倉敷市に向かいます。全日本還暦野球大会に出場するためです。定年退職してから再開した野球ですが、丸5年になりました。全日本大会に出場するのは今年が初めてです。全国各地から64チームが集まり、60歳以上の甲子園大会といったところでしょうか。
 あす19日の午後5時から倉敷マスカット球場という野球場で開会式、翌20日午後3時からマスカット球場の第2球場で佐賀県の唐津シニア野球クラブというチームと対戦してきます。
 この間、姫路城や岡山後楽園、大原美術館、瀬戸大橋などの観光、帰りは永平寺と金沢兼六園に寄ってくるつもりです。高齢者にはかなりハードなスケジュールですが、万年野球小僧の意気込みでクリアしようと話し合っています。ただ、台風とのバッテングが心配です。出発を前に気持ちが高ぶり、つい私事を投稿してしまいました。ご容赦ください。

残暑お見舞い申上げます。

 
 ここ2,3日の天候は、朝はヒヤリで秋支度、昼近くは夏の直射日光がジリジリと・・・、2階に上って、夏服にお着替え、夕方やはり暑い、そして夜半(ちょうど0時過ぎ)もやはり暑く、お風呂上りに扇風機をかけています。不安定な天候に比例して私も疲れが増すばかり・・・、でももう少しで秋ですね。

 そうです!!大好きな秋の到来です。ちょうど今ぐらいから10月中旬ぐらいまで、わが町の唯一全国的に名の知れた「巾着田の彼岸花」が咲き始めます。
 「巾着田」とは、日高市内を流れる高麗川の蛇行で形作られ、見るときんちゃくに似ていることから巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれる様になりました。
 興味のある方は、http://www.kinchakuda.com/をクリックしてみて下さい。
 コスモス畑もあります。
 私がジローの散歩中に怪我をしたのも、この場所です。私が住んでいる地域では、風に乗って巾着田から飛んで来た彼岸花の種が花をつけます。あちこちにひっそりと咲く彼岸花の風情が何ともやさしく、私はこの彼岸花が好きです。レイアウトされた「赤いジュータン」と化した巾着田の彼岸花はあまり好きではありません。

 それと、コスモスも「群生」よりも、野辺につつましく咲いている方が好きですね。コスモスを見ると、母を思い出します。見た目弱々しいのですが、凛とした立ち居姿は母そのものです。
 秋が深まると、私も元気が蘇ります。
 つたない文ですが、投稿もします。
 皆様も近況をお知らせ下さい。

2008年9月17日水曜日

かかし祭り~天地人


かみのやま温泉の秋祭り(三社祭)も終わり、秋ですね、、、。

おどろいた、おどろいた、おどろいた

いろはの若い衆はおどろいたぁ

チンチロリンとならして~、、、

憶えていますか?踊り山車を曳く時の若い衆の曳き歌です。

私たち小学生の頃は、踊り山車が3日間でて、新丁坂下か

ら新丁クランクをようやく曲がっていました、十日町、二日町、

までも付いて行ったのを憶えています。

また、芸者衆も山車で踊れて一人前、段物を踊って格式の高

いものでした。化粧も顔師がきていたようですし、衣装も相当

なものだったようです。

谷待ち的存在の旦那衆が多い時代は続いたのでしょうが、一時

途切れてしまいました。同級生の故鈴木勝也さんや石井茂吉

さん(旧姓石井良さんの弟)青年会議所の方々が中心になって

復活させて30年近くになるようです。

 湯の町上山も例にもれず、芸者衆が少なくなり、一昨年あた

りから山車で踊るのは山形舞妓さんです。もう1台は踊りの社

中の屋台です。

 かかし祭りの会場もかみのやま城の公園から市役所隣の市民

公園に移って2年目です。

 その時代を映して、アイデアを練り、学校、地区、職場、、、。

で手作りです。北海道や千葉など県外からの出品もあります。

BGMは30、、年前の南春男(?)のかかし音頭が流れてました。

さだまさしのかかしではこの会場では雰囲気が会わないのかな~

2008年9月16日火曜日

かかし祭り

 秋祭りがたけなわの今日この頃ですが、14日の朝刊に「かみのやま(♨)全国かかし祭」が紹介されていました。かかし祭りとしては日本一の規模で、大小合わせて六百五十体を超す手づくりかかしが出品されたそうです。

 世相を反映してか、「激怒!居酒屋タクシー」、「あなたとはちがうんです」など霞ヶ関の不祥事や首相辞任劇を皮肉ったものも登場。原油高や北京五輪についての作品も多かったとか。

 でも、待てよ! かかしは私の記憶では、田畑を荒らす鳥達を追い払う為に、人間に似せた番人風な人形(それも似ても似つかないヨレヨレの人形、即ち、即効性をねらった人形)が多分オリジナルと思っていたのですが、果たして、鳥達は日本語を読めるのかしら・・・などなどつまらない疑問を持ってしまいました。

 グランプリは来年放映予定のNHK大河ドラマ「天地人」にちなんだ地元山形ゆかりの直江兼続のかかし。歴史も無知な私は、直江兼続を知りません。どなたか教えて下さい。

 21日までの会期中、十八万人の人出が見込まれているらしいのです。

2008年9月15日月曜日

古里の秋祭り

古里を離れている29年卒業生の皆さん、上山の秋祭りで町内に繰り出した「山車」を覚えていらっしゃいますか。法被姿のいなせな若い衆が山車を引き、山車の上では美しく着飾ったお姐さんたちがあでやかな踊りを披露するあの山車です。一度は途絶えながら、地元の若い人たちの熱意で復活してから30年になるそうです。小生が最後に見たのは中学1~2年生だったかもしれません。近くに住みながら、その後は見たことがありません。
しかし、今朝の新聞で踊り山車の記事を読み、50年以上も前の祭りを想い起こしました。当時は我々の新丁まで山車が回って来たのではなかったでしょうか。踊りもさることながら、お姐さんたちの艶かしい唄声に合わせ、威勢良く山車を引いていた若い衆の姿が目に浮かびます。お姐さんたちが口にしていた唄は「今もそのまま唄われているのだろうか」とか、当時の若い衆は「我々よりも幾つぐらい年上の方々だったのだろうか」などと、懐かしさを覚えながら、山形新聞から写真を切り抜き、取り込んでみました。

2008年9月12日金曜日

久しぶりの投稿です

長い間、ご無沙汰してしまいました。5月初旬、奈良県に住む下の娘が2歳半の男の子(小生にとっては唯一の孫)を連れて里帰りして以来、パソコンから遠ざかっておりました。
どこの家庭でも同じかもしれませんが、小さな子供にとっては家の中にあるすべての物体が興味の対象となり、飽きてしまうまで遊び道具になるようです。パソコンも例外ではありません。スイッチ・オンであれば手当たり次第にキーボードを押されてしまいます。
夫婦二人きりの生活に慣れきったペースが一転し、2歳半中心の生活ペースになったのは、言うまでもありません。そして娘の注文はNG(駄目)という言葉は遣わないでほしい。子供の気持ちに伝わるような言い回しで納得させほしい。子供に危険を及ぼすようなものは予め片付けてほしい。安易に食べ物を与えない(特に甘いもの)でほしい-等々。
となると、なかなか手強い2歳半でもあったが、目線を大人ではなく、2歳半に移してしまえばそれほど難しいことではありませんでした。来た当時の体重は15キロぐらい。体は大きめながら、気は小さめの甘えん坊といったところ。上山の実家へ行ったり、公園や遊園地で一緒に走り、遊び回っているうちに、暑い盛りが過ぎ秋の気配が漂い始めておりました。
その娘と孫が奈良へ帰ったのはお盆過ぎ。また二人だけの生活に戻り、パソコンに向かう時間も増えてきました。交流の輪に復帰させてください。