2010年4月27日火曜日

ブログの仲間が増えました。

 ブログの仲間が増えました。

 既にご存知の方もおられると思いますが、スイス在住の雪子プルスさんです。

 彼女は既にご自分のブログをお持ちで、その場を通して、持ち前の文才と卓越した識見を惜しみなく発揮され、溢れるばかりのパワーを私達に与えて下さっています。

 書く事がお好きと伺いました。

 私達のブログをきっと賑やかにして下さるでしょう。

 サイドバーから、彼女の個人ブログをちょっと覗いて見られたら。。。


 歓迎を込めて、撮れたて写真を一枚ほど。

蔵出し・時速5㌔の伊勢参詣⑦

6日目:西那須野町~矢板市~宇都宮市

《雨具を着用》
朝から雨。初めて雨具を着用し、リックにはビニールカバーを掛けた。
このためサイドポケットに立てていた樫の棒は、手に持って歩くことになった。
山形市内のホームセンターで買ったのこぎりの柄。長さは60㌢ぐらい。
金山峠など山間部を通るときの護身用に持ってきたものだ。
握りの部分が丸く、先端は四角で平らになっている。
疲れたときに肩とか太もも、ふくらはぎを軽くたたいて刺激を与えるのに都合が良かった。
道中、何かと役に立つだろうと思い、捨てないでリックのサイドポケットに入れていた。

《矢板市内で職務質問を受ける》
ところが、この日は手に持っていたために、警察官から職務質問を受けてしまった。
手に持っているだけでなく、人通りのない沿道では木の枝や雑草を
テニスのボールに見立て、サーブやボレーの真似をしたり、
ときには野球のバットスイングのように振ってみるなど、結構、振り回しながら歩いていた。

これが雨の中を合羽姿で歩き、しかも凶器(?)を振り回す不審者と見られたらしい。
矢板市郊外の国道4号でパトカーから降りてきた警察官2人に呼び止められた。
通りかかりの車から通報があったということだったが、
自分たちがパトロール中に目撃して不審に思ったのかもしれない。
いずれにしても怪しいものに見えたということだろう。

行く先、目的にはじまり住所、氏名、年齢、職業、電話番号のほか、
振り回していた樫の棒の用途を尋ねられた。
運転免許証を提示し、還暦・定年退職の記念に歩いて伊勢参りに行く途中であること、
歩くのは日中だけ、夜は民宿やビジネスホテルに宿泊していることなどを話し、
樫の棒については疲れてときに肩や足をたたくマッサージ器のようなものだと説明した。

山形から三重県まで歩くと聞いて2人ともびっくりしたようだったが、
事件に関連するようなことがないと確認したらしく、
事故に遭わないように注意して歩いてくださいーと言ってパトカーへ戻っていった。

《氏家町から鬼怒川を渡って河内町へ》
その後も雨の中を歩き、11時ころ国道4号沿いにある矢板トラックターミナルの食堂で
朝食を兼ねた昼食を取った。この日は朝6時20分ころ出発し、国道4号を南下した。
大田原市から矢板市に入り、氏家町に抜ける。雨の中で朝食をとるチャンスを逸し、朝食と昼食を兼ねることになった。
ボリュームのある野菜炒め定食で空腹を満たし、
正午前にトラックターミナルを出た。雨はまだ降っていた。
晴れ間がでたのは氏家町に入ってから。
通りがかりにユニクロの店があったので、下着2枚と長袖シャツ1枚を買った。

長袖シャツはその後、洗濯をしながら伊勢、奈良まで着ることになった。
氏家町の中心部を過ぎ、上阿久津という所からかつての奥州街道に入り、鬼怒川を渡った。
上阿久津は鬼怒川水運の要所で渡河場になっていたらしい。鬼怒川の対岸は河内町だった。

《左足に痛み、オーバーワーク?》
鬼怒川を渡るあたりから左足首の上部に違和感が出始めた。何か突っ張るような感じ。
トレーニングで自宅から上山市楢下を往復したときも痛みを感じたところ。
少しずつ筋肉が硬くなるような感じ。ストレッチをしながら騙そうとしたが、痛みも出てきた。
もしかすると疲労性の肉離れ(?)。ホテルを予約してある宇都宮まではまだ10㌔以上もある。
だが、歩き続けるしかない。途中、杉並木が残る白沢街道で何度か休みながら宇都宮にたどり着いた。
《ホテル代が半額、定年感謝祭というキャンペーン》
 宿舎はJR宇都宮駅西口近くの「東横イン」というビジネスホテル。
郡山でも泊まったホテルだが、チェックインの手続きを取っていると、
フロントの係員から「お客さんの身分を証明できるものがありますか」と聞かれた。

年齢を61歳と記入したためだが、定年感謝祭というキャンペーンで
日曜日と祝祭日は60歳以上なら半額になるという。
この日は職務質問に次いで2度目の運転免許証の提示だったが、
ホテル代が半額になるというので今度は喜んで提示した。
ちなみにこの日の宿泊費は3,675円で済んだ。

機会があったなら、また利用しようと思ったが、この後は日曜日と祝祭日に
宿泊した都市に「東横イン」がなく、甘い汁を吸えたのは1度だけだった。
(続く)

2010年4月23日金曜日

蔵出し・時速5㌔の伊勢参詣⑥

【5日目:白河市~黒磯市~西那須野町】

《国道4号沿いに栃木県入り》
朝6時にホテルを出た。この日も好天に恵まれ、
快調な滑り出し…と思っているうちに、
目指した方向とはまったく違う道を歩いていた。

ホテルから国道4号に出て黒磯方面へ向かうのがこの日のルート。
だが、旧陸羽街道の国道294号方面へ向かっていた。

散歩をしていた地元の人に道をたずねながら
目指すルートに出ることができた。
時間的にだいぶロスをしたが、あせる必要はない。
この日のうちに目的地へ着けばいいのだから…。

朝日をうけた那須の山並みをのぞみながら栃木県境へ向かう。
国道4号は次第に人家が少なくなった。
前日、ホテルで洗濯した靴下が乾いていないことを思い出し、
リックの外に出して日に当てながら歩いた。

《那須連山をのぞむ晩翠橋》
 7時半ころ栃木県境を通過し、
8時半ころ那須町の柏沼というところで朝食を取った。
コンビニで求めたパンと牛乳で済ませ、
次に休憩した弓落(那須町)という交差点でカロリーメイトを補給した。
 
黒磯市の中心部まで5㌔ぐらい。
国道4号(バイパス)とは別の旧道を通って市街地に向かった。

正午前に那珂川に架かる「晩翠橋」という橋を渡った。
アーチ型の美しい橋で、那須連山の雄大な姿とうまくマッチしていた。

晩翠は「冬枯れの時期でも草木の緑色が変わらない」という意味だそうだ。
那珂川の岸に生い茂る松の緑から名付けられたという。

《黒磯駅前で昼食》
昼食はJR黒磯駅前の食堂で座敷に上がり、ゆっくりと取った。
白河から約30㌔。一日の行程として目安にしていた距離でもあり、
この黒磯市内に泊まることも考えていた。

しかし、午後1時を過ぎたばかり。時間的にまだまだ余裕がある。
12㌔ほど先の西那須野町まで足を延ばすことにしてビジネスホテルを予約した。

《三島通庸の足跡》
黒磯市を過ぎ、西那須野町に入ってから「三島」という地名の農村地域を通った。
明治の県令・三島通庸らの尽力で開拓され、
三島農場や旧三島村が設立されていたという。

西那須野町を含む「那須野が原」一帯は
かつて荒涼とした原野だったらしい。
本格的な開墾が始まったのは明治時代に入ってから。
開墾は地元の有力者や三島通庸ら明治士族の尽力で進められ、
特に那須疎水の整備が進むにつれて不毛の地が
緑豊かな大地に変わっていったらしい。

三島通庸は山形県内でも土木県令の異名をとり、
道路整備などに功績を残しているだけに、
その足跡を思い起こさずにはいられなかった。

《西那須野町に宿泊》
とはいえ連日40㌔を超す行程のせいか、疲れを感じはじめた。
背中の荷物がやけに重く感じられるようになり、足取りも重い。
休憩回数と水分補給を増やしながら国道4号を南下し、
午後4時半過ぎに西那須野駅前のホテルに着くことができた。
背中の負担を減らすため、余分な荷物を自宅へ送った。
少し弱気な面が出たところでもある。
(続く)

2010年4月22日木曜日

6年1組・花見の集い

6年1組の有志が21日(水)、上山城に隣接する月岡公園で花見会を楽しみました。



本来なら春爛漫、蔵王連邦を眺望しながらの観桜会を期待したところでしたが、あいにくの天候不順で、公園の桜はようやくチラホラと咲き始めたばかり。「花見を満喫」とは言えませんでしたが、心配していた雨が降らなかったばかりでなく、午後からは日差しにも恵まれ、ブルーシートを敷いての宴は時間を忘れて盛り上がることができました。
参加したのは女性が佐々木啓子さん、安孫子ナヲさん、栗城ミヤコさん、藤倉恒子さんの4人。男性は鈴木通世君、長岡一雄君、花屋隆君、墫守人君に0gaを含めて5人。さらにブログを見て駆け付けてくれた宗川利廣君(東京在住)とnobuさんを加え、総勢11人の花見会でした。

宗川君は子供の頃、矢来3丁目に住み、5年生の2学期まで上山小学校に通っていたそうです。その後、山形市の小学校に転校し、このたびは山形市の中学校同級会に出席するため来形中とのことでした。 6年1組の花見会をブログで知り、どうしても出席したいとnobuさんに連絡。nobuさんの案内で出席してくださいました。今回、集まった6年1組の面々はほとんど知らなかった人たちのようでしたが、持ち寄った古い写真を見ながら微かな思い出を手繰り合いました。
また7年前、脳梗塞で倒れ、体が不自由になったミヤコさんが、懸命のリハビリで杖が無くとも歩けるようになり、元気に出席してくださったことに一同、感激でいっぱいでした。
ブルーシートの準備や飲み物・食べ物の買出しは上山在住の女性の方々が担当してくださいました。午前11時に上山城前の広場に集合し、まずは月岡公園の一角にある東屋に会場を設営したものの、風の通り道にあたり、日差しも遮られて肌寒かったため、陽の当たる芝生広場に移動し、会場を設営し直しました。
花見のグループはほかになく、公園を独占しているような感じ。花見に欠かせない「だんご」をはじめ、のり巻、いなり寿司、こぶ巻き、漬け物、バナナ、イチゴ等々に手を伸ばしながら、ビールや冷酒、焼酎のピッチも上がる。
勢いにのって「秋は古稀のお祝いをしよう。県外に住む人たちにも呼び掛けて、会場は担任だった須藤先生の有馬館。時期は11月がいい」と、次回の要項も決めてしまいました。

勿論、小学校時代の思い出や級友の消息などにも話が弾みました。太陽が雲に隠れ、肌寒さを感じ、そろそろ「お開きにしよう」といったときは午後3時半近くになっていました。
2年前、茂吉記念館のある御幸公園での花見会を計画しながら、雨のため藤倉宅での宴会になった経緯があり、今回は初めての野外パーティーで大いに盛り上がることができました。
花屋君の絵画展で花見の話が出てから2週間足らず。はがきで一方的にお知らせする急な話でしたが、ご協力いただいた方々には心から御礼を申し上げます。
今回、出席できなかった方々から直接、電話で返事をいただき、近況をお聞かせいただいたことも大きな収穫でした。

2010年4月20日火曜日

時速5㌔の伊勢参詣⑤

【4日目:郡山市~須賀川市~矢吹町~白河市】

《24時間営業のファミリーレストランで朝食》
この日も朝6時に出発した。急がなくとも朝食前に須賀川へ着けるはずだ。
JR郡山駅近くのホテルから国道4号に出て、30分ほどで郡山警察署前を通過した。

警察署前で国道49号が交差していた。
右折すれば会津若松、左折すればいわき方面へ行けるらしい。
この交差点から50分ほどで郡山バイパスとの合流点に出た。
行政区域はもう須賀川市に入っている。
市の中心部まではまだ数㌔あるが、ペースは予定通り。
8時15分過ぎに須賀川市役所近くの交差点に着くことができた。
朝食はこの交差点に面した24時間営業のファミリーレストランで食べた。
注文したのは納豆付の「麦とろ定食」。味とか量とかはともかく、
ゆったりしたスペースで食べた後もゆっくりできる。

食事の前後に地図を出して、その後のルートや目標地点、
おおよその所要時間を確認するのに便利だった。

《時速5㌔を再確認》
次に目指したのは矢吹町。須賀川の中心部から10㌔ぐらい。
ほぼ直線的に走る国道4号を南下した。

「足は正直」なもので、朝食を取ったファミリーレストランを
出てからほぼ2時間が過ぎていた。

改めて「時速5㌔」を確認するとともに、
急いで歩きエネルギーを消耗したところで
時速はそれほどアップするものではないと思った。
この日宿泊する白河まではあと15㌔。昼食は白河市内に入ってから取るつもり。
ほとんど休みなしに歩いたため、午後2時前にJR白河駅前へ着くことができた。
朝早いうちに5㌔でも10㌔でも歩いてしまえば午後からの行程が楽になる。

《白河駅前で新たなカメラを購入》
白河駅近くのカメラ店で2日前、路上に落としたカメラの具合を見るために、
それまで撮ったフィルムの現像と焼き付けを頼んだ。

写真が出来上がるまでの間に昼食を取ったほか、ホテルのチェックインなどを済ませた。
写真は智恵子の生家前で撮ったシーンまでは正常に写っていた。
しかし、カメラを落とした後は全体的にぼけていた。

オートフォーカスのコンパクトカメラだったが、ピントが合わなくなったらしい。
霞ヶ城前の写真も残念ながらピンボケだった。別のカメラを求めるしかなく、
オートフォーカスのコンパクトカメラを新たに購入した。

《白河関所跡》
カメラ店を出たのが午後4時過ぎ。駅前から「白河関跡」までバスがあるというので乗ってみた。
白河関はいわき市の「勿来(なこそ)関」、庄内・温海町の「念珠関」とともに古代三関の一つ。蝦夷の南下を防ぐ砦(とりで)だったという。
歌枕の地としても知られ、一度は訪れてみたいと思っていた。
しかし、帰りの最終バスまでわずか10分足らず。単に足を踏み入れたというに過ぎなかった。後日、改めて行ってみようと思う。

(続く)

2010年4月19日月曜日

うれしいお便り

ゴッドチャイルド、リカの次男、カイが四歳になりました。自動車が大好きで、元気な子だそうです。絵本「ブレーメンの音楽隊」と自動車の沢山描いてあるカードを送りましたら、お礼のカードが届きました。私たちが会ったのは、カイがまだよちよちの頃でした。写真には、リカの面影があって、夫と「可愛くなったね!」と目じりを下げています。

 

御衣黄桜

6年1組の花見の話をしているうちに、
花が緑色の「御衣黄桜」という桜が
上山にもある-ということを聞いた。
 
場所は軽井沢の浄光寺と新丁のお不動様。
浄光寺は皆さんご存知のようにガマのお寺として知られる。
その駐車場に御衣黄桜があるらしい。
 
そして新丁のお不動様は子供の頃、
毎日のように遊んでいたところ。
名前を聞くだけで懐かしさがこみ上げてくる。
その一角で御衣黄桜が緑色の花を咲かせるという。
 
子供の頃は話題にもなっていなかったはず。
写真を見せてもらうと、まだ若い木だった。
近年、植えられたらしい。
 
しかし、緑色の桜花は、ぜひ見てみたい。
開花はソメイヨシノより少し遅いらしい。
今年は連休前あたりになるのだろうか。
咲いたら連絡をいただくことにしてあるが、
6年1組の花見のほかに楽しみが増えた。
 
余談ながら、新丁のお不動様で遊んでいた頃は、
花見よりも熟したサクランボ(?)を食べ、
口の周りを紫色にしながら
空腹を満たしていたことを思い出す。

2010年4月18日日曜日

時速5㌔の伊勢参詣④

【3日目:福島市~二本松市~郡山市】

《桜が満開の福島路》
朝6時にホテルを出発。すぐに阿武隈川を渡った。しばらくは国道4号の歩道を歩く。通勤ラッシュにはまだ早い。曇り空。緩い上り坂で向かい風が強かった。急ぐこともない。一歩一歩、ゆっくりと歩を進めた。次第に車が増え、ラッシュの時間帯となった頃、旧街道に下りた。
福島市と安達町の境界を過ぎるあたりから雲が切れ、風もおさまった。朝食は8時半ころ通りがかりのコンビニで弁当を買い、街道筋にあった小さな神社の境内で満開の桜を見ながら食べた。山形は梅が満開、桜は咲き始めだったが、福島路は桜が満開だった。

《安達太良山がくっきり・智恵子の里》
10時半ごろ安達町の中心部に着き、高村智恵子の生家を訪ねた。明治初期に建てられたという造り酒屋が復元され、裏庭には智恵子記念館もあった。記念館には智恵子の油絵や紙絵、雑誌の表紙を飾ったデザインなどが展示されていた。くっきりと姿を見せた安達太良山を含め、ふるさとを想う「智恵子の世界」に触れることができた。
ただ、智恵子の生家前で写真を撮ってもらったとき、カメラを路上に落としてしまった。次に寄った二本松市の霞ヶ城でもシャッターを押してもらったが、まともに写っているかどうか。それまで撮った写真も大丈夫かどうか心配だ。霞ヶ城は満開の桜が美しく、観光客や家族連れでにぎわっていた。

《田園の旧街道を往く》
 二本松から郡山まではかつての奥州街道を中心に歩いた。ほぼ並行して走っている国道4号とは違い車の数が極端に少ない。田園風景が続く中で古い家並の集落を幾つも通り抜けた。
日差しが強く、やたらとのどが渇く。前日と同じように水分補給のペットボトルが離せない。通りがかりの自動販売機で求め、空になるとすぐに補充した。
 昼食を取ったのは午後1時半ごろ。本宮町の食堂で店自慢の串カツ定食を食べた。かなり空腹だったので大盛りを注文して後半の行程に備えた。
 福島―郡山間は40数㌔。暑い中での長丁場だ。その後も道路沿いの公園や神社などで休憩を重ね、郡山駅近くのビジネスホテルに着いたのは夕方5時近かった。福島を出てから約11時間がかり。後半は背負っている荷物が重く感じ、両足のつま先や腰の周りなどが痛みだした。しかし、郡山まで3日で来た自信は大きいものがある。
(続く)

2010年4月17日土曜日

時速5㌔の伊勢参詣③

【2日目:七ヶ宿町~桑折町~福島市】

《絶景の七ヶ宿ダム右岸》 

午前6時に朝食。6時半に本陣旅館を出た。さわやかな青空。朝の日差しを正面に受けながら、まず福島県の桑折町を目指した。夜、ぐっすり眠ったせいか前日の疲れはない。足も軽い。
 
出発して間もなく七ヶ宿ダムの上流部に出た。ダム周辺は自然休養公園として整備されている。
ダムの規模は山形県の寒河江ダムに次いで東北2番目になるという。宮城県南部の水がめでもある。
ダムの左岸を国道113号が走る。早朝から大型車が多い。朝の通勤時にも掛かる。国道113号を避け、対岸(右岸)の道路を通ることにした。

途中から1車線になり、カーブやトンネル、橋が多い。所々に車の待避スペースが設けられていた。

しかし、景観が素晴らしい。何度もカメラのシャッターを押した。とりわけ残雪の南蔵王連峰が湖面に映えて美しかった。

2時間近く歩いても通る人はもちろん、1台の車とも出会わなかった。およそ10㌔の空間を一人占めにしたようで、何か得をしたような気分でもあった。

《小坂峠から福島県へ》
ダム下流に奇岩で有名な「材木岩」がある。高さ100㍍ぐらい。材木を並べたような岩肌が目の前に広がる。この材木岩の近くから藩政時代の宿場だった下戸沢、上戸沢を通って小坂峠に向かった。

小坂峠は宮城県と福島県の県境でもある。緩い上りが続き、気温も高い。水分を切らさないように心掛けた。県境近くの街道沿いに朱塗りの鳥居が並ぶ神社の参道があった。奥に萬蔵稲荷という稲荷神社があるという。
このお稲荷さんを過ぎると間もなく県境だった。県境についたのは11時を少し回ったころ。眼下に福島県側の眺望が開けていた。しばらく道端に腰をおろし、この景観を楽しみながら休憩の時間を取った。

福島県側は急な下り坂。ヘアピンカーブが続き、
日光の「いろは坂」を思い出した。車に注意しながら走るようにして下った。
《羽州街道と奥州街道の分岐》
桑折町に着いたのは正午過ぎ。羽州街道と奥州街道が分かれるところ。古くから「桃の里」として知られ、伊達家発祥の地とも伝えられる。

宿場町の面影をたどりながら町の中心部を歩く。伊達町の近くで国道4号に出た。 予定ではこの伊達町あたりに二日目の宿を取るつもりだった。

だが、伊達町で午後1時を過ぎたばかり。しかも福島市の中心部までは10㌔弱。あと2時間ぐらい頑張れば行けないことはない。

電話で福島市内のビジネスホテルを予約し、国道4号を南下した。足取りは重くなったが、休まず歩けば遅くとも16時まではホテルに着けるはずだ。
 
福島市内の国道4号はこれまで一度も通ったことがなかった。このため沿道の街並みにけっこう目を奪われる。福島競馬場も外観だけながら初めて見ることができた。
15:40頃、予約したビジネスホテルに着いた。場所は国道4号と13号の交差点近く。
初日と合わせ歩いた距離は90㌔ぐらいになっただろうか。
明日は郡山を目指す。距離は45㌔ぐらい。
朝6時に出発すれば休憩や食事の時間を含めても17時ころまでに着けるだろう。
(続)

季節はずれの雪

17日(土)の朝は山形も季節はずれの雪が降っています。

屋根も道路も真っ白。多分、月岡公園も白一色のことでしょう。

21日(水)に予定している6年1組の観桜会が心配です。

予報によると今日、明日は雪か雨模様。
来週もお天気マークがありません。

曇り空が続き、春爛漫とはいかないようです。
まずは上山の皆さんに連絡を取らなければ…。

そんな1日になりそうです。

2010年4月16日金曜日

時速5㌔の伊勢参詣②


【1日目:山形~金山峠~宮城県七ヶ宿】

《楢下までは最短コース》
「じゃあ行ってきます」。玄関前で出発記念のシャッターを押してくれた
家内に軽い言葉を残して自宅をあとにしたのは午前6時。

この日まで何度も上山を往復し、歩き慣れた山大医学部までの通りを、
いつものペースで歩き始めた。ジーパンにウォーキングシューズ。
下着や洗面道具の入ったリックを背負っているとはいえ、
今から伊勢まで歩いて行くとは誰も分からないだろう。
自分自身にも気負いはない。まずは淡々と上山市の楢下を目指した。

本来なら片谷地、松原、黒沢といった
旧羽州街道を通って上山市へ抜けたいところだったが、
この日の宿は七ヶ宿町の関地区に予約してある。
かなりハードな行程となるため、山大医学部前から成沢、
半郷、金瓶、金生、宮脇、牧野を通って楢下に直行した。

それも金瓶から旧上山街道の金谷、泉川を抜けて
国道13号(上山東バイパス)に出る最短コースを選択した。

自宅を出発して2時間後、午前8時に上山市金生の
国道13号沿いで朝食を取った。
食事は近くのコンビニで買った弁当とお茶、パンなど。
朝の通勤ラッシュで流れる車の帯を見下ろしながら食べた。

食後に軽いストレッチをして再び歩き始めた。
宮脇八幡宮から牧野の集落を抜けて
楢下の「滝沢屋」に着いたのは午前9時45分。
管理人のおばさんにお願いして看板の前で
記念のシャッターを押してもらった。

《金山峠から宮城県へ》
金山峠は藩政時代、参勤交代で江戸を往き来する
秋田の佐竹藩主らが整備したともいわれる。
楢下と七ヶ宿を結ぶ最短ルート。道幅が狭く、
曲がりくねった山間道路のため、
12月から3月末まで通行止めになる。

半月ほど前に下見をしたとき、野生の猿が集団で出没していた。
案内してくれた地元の青年に「危険はないのか」とたずねたところ
「目を合わせなければ大丈夫」ということだった。
しかし、峠道を長時間、一人で歩く不安から、
自衛のために長さ60㌢ほどの樫の棒を携帯した。
後日、この棒を持っていたために警察官の職務質問を受けることにもなった。

《県境までは一気》
楢下から金山峠までは約6㌔。かつて鉱山があった赤山地区で
高畠町二井宿方面へ向かう道路と分かれ、左の山道へ入る。
道幅が狭く、カーブが多かったものの、それほどきつい上りではない。
県境までは一気に上りきった。

さすがに交通量は少ない。出会った車は5台足らず。
このうち七ヶ宿側から峠を越してきた福島ナンバーの
高齢者夫婦から「峠道での姿」を撮ってもらった。

山形・宮城の県境では道端に雪が残っていた
県境を通過し、宮城県に入ったのは11時を少し過ぎた頃。
自宅を出てから5時間になる。まずは最初の難関を越えた。
ほっとしながら七ヶ宿町の歓迎看板が立つ休憩所で一息入れた。
とはいえ関地区の「本陣旅館」まではまだ20㌔もある。けっして楽ではない。

《山間の宿場町・七ヶ宿》
県境から50分ほどで国道113号に合流した。
国道113号は宮城県の白石方面と山形県の県南地域を結ぶ主要路線。
二井宿峠(高畠町)の改修が進んでから交通量が増え、
特に大型トラックの走行が目立つ。

山形を出発してから30㌔は超えただろうか。
新調した靴がまだ馴染みきっていない。
両足のつま先に痛みを感じるようになった。
我慢できないほどではなかったが、
七ヶ宿スキー場入り口の峠田地区で靴を脱ぎ、しばらく休憩した。    

七ヶ宿町かつて湯原宿、峠田宿、滑津宿、関宿、渡瀬宿、
下戸沢宿、上戸沢宿と山間地域に七つの宿場があった。
町内を東西に横切る街道(国道113号)は藩政時代、
羽州13藩の参勤交代や出羽三山参りの人々が
往き来した「歴史の道」でもある。 

滑津地区の街道沿いに建つ安藤家本陣は
当時の面影を残しながら保存されている。
8月には町内の旧街道を草鞋履きで歩くイベントもあるらしい。

最初の宿「本陣旅館」に着いたのは15時15分頃。
自宅を出発してから9時間を過ぎていた。
初日にしてはハードな行程だったが何とかクリアする事ができた。

本陣旅館は七ヶ宿町の役場近くの関地区にあり、
昔の宿場町を想い起こさせる民宿。

歩いて伊勢に向かう旅の第一夜としては
似合いの“旅篭”であったかもしれない。
(続)

2010年4月15日木曜日

時速5㌔の伊勢参詣①

4月15日といえば、7年前の2003(平成15)年に「時速5㌔の伊勢参詣」と称し、山形から伊勢まで
徒歩旅行した際の自宅を出発した日でした。

「じゃあ行ってきます」。玄関前で出発記念の
シャッターを押してくれた家内に軽い言葉を残して
自宅を後にしたのは午前6時。といった書き出しで
綴った紀行文も懐かしい。

ジローさんにメールで送りアップロードしていただいたのがその表紙です。

パラパラめくっていると、10日で東京に着き、
さらに箱根を越え、大井川や木曽3川を渡って
27日目に伊勢へ着いたことを鮮明に思い出します。

ブログの投稿欄をお借りし、紀行文の要旨を抜粋しながら、
7年前のルートをたどってみます。


《60歳のチャレンジ》
還暦と定年退職の記念に2003年春、
徒歩での「お伊勢参り」に挑戦した。
心身ともに健康で還暦を迎え、
42年のサラリーマン生活をまっとうできたことに感謝しながら、
改めて自らの体力、気力を試してみるつもりだった。

「時速5㌔の伊勢参詣」と称し、自分の足だけが頼りの一人旅。
一抹の不安はあった。しかし4月15日に山形市の自宅を出発し、
10日目に東京へ到着。さらに箱根を越え、
大井川や木曽三川を渡って27日目に伊勢神宮を参拝した。
余勢を駆って奈良県の室生寺まで足を延ばし、
最後は奈良市内から下の娘が住む高槻市まで歩くことができた。

一時、左足首付近を痛め、思い切って歩けない日が
何日か続いたが、歩一歩、休まず足を運んでいるうちに
東北から関東、東海、近畿と“踏破線”は着実に延びていった。

一日に歩いた距離は平均20~30㌔ぐらいだろうが、
正確な数字は把握していない。道すがら時間の余裕があれば
各地の神社仏閣や名所、旧跡などを訪ねた。

毎日が刺激的で新鮮そのもの。
32日間でおよそ1千㌔の道のりだったが、
あっという間に過ぎたような気がする。

2010年4月9日金曜日

6年1組の観桜会

4月21日(水)11:00過ぎから上山の月岡公園で
6年1組の観桜会を開くことになりました。

幹事は去る7日(水)、山形国際ホテルで
花屋隆さんの絵画展を鑑賞した後、
バイキング・ランチを共にした4人です。

当日は11:00に上山城の入り口前広場に集合し、
月岡公園の適当な広場にブルーシートを敷いて
「車座の宴」で盛り上がる予定です。

上山の女性陣がブルーシートを用意してくださるほか、
飲み物・食べ物の買出しも担当してくださいます。
男性陣は連絡と後片付けを担当することになりました。

当日「桜花がどうなっているのか」は、話題になりませんでした。
満開なのか、桜吹雪なのか、あるいは葉桜なのか…。

気にすることではありません。観桜は口実的な存在。
まずは同級生が集まることが第一なのですから。

昔日と変わらない蔵王連峰の雄姿を望みながら、
野の宴を同級生の誼を最大限に活用して楽しもうというものです。

日時、会場、役割分担など、事務的に打ち合わせすれば
数分も掛からないところですが、久しぶりにお会いした同級生同士、
しかも行動範囲が広く、話題が豊富な方々とのテーブルでは、
話が四方八方に飛び、迷路の中を行きつ戻りつを繰り返します。

迷路にいざなうのは女性の方が圧倒的に多い。
しかも加齢に伴う機能低下(?)が無きにしも非ず-とあって、
「何処まで決めたっけ?」ということもしばしばでした。

役割分担でいろいろ引き受けてくださった方が、
メモも取らずに泰然としておられたので、
大丈夫かなあという不安を感じましたが、
もう一人の方がしっかりと要点を確かめながら
リードしてくださるようなので、安心しています。

雨が降ったばあいの対策はこれから考えます。

6年1組以外の方々からの差し入れも大歓迎です。
昨今の宅配網で遠方からも時間を掛けずに届きます。
各地の珍味、佳肴をお待ちしています-というのは厚かましいですね。
と言いながらもブログの効用を試そうとしています。

同級生の誼に甘えながら、
育ちの悪さ、性格の悪さを露呈してしまいます。

同級生の絵画展(Ⅱ)

去る7日(水)、山形国際ホテル4階メセナホールで開かれた
花屋隆さんたちの絵画展を拝見しながら6年1組や
イガッタ会の皆さんとお会いすることができました。

花屋さんはかつて勤務していた職場の仲間たちと
毎年、絵画展を開いているもので、
今年は8回目になるそうです。

花屋さんの作品は水彩画や切り絵など11点。
雪降る節の「長谷堂城跡」や
桃の花が咲く頃の「月山・葉山」、
かつて出羽三山参りで栄えた「西川町本導寺の集落」、
さらに木炭で描いた「裸婦」など、
いつもながら素敵な作品ばかりでした。

しかも、会場では同級生ばかりではなく、
訪れた数人の方々と一緒に花屋さんから
「街道筋に家屋は描いていないけど、
道に影を描いて家並みの感じを出した」とか
「長谷堂の雪は筆毛につけた水彩絵の具を
和紙に弾き飛ばして描いた」などと、
1点1点の作品が完成するまでの過程や表現方法を
聴きながら一層、深く鑑賞させていただくことができました。

この日、会場でお会いした同級生は、
上小ブログを見て上山から駆けつけてくださった
「イガッタ会」のお二人と、6年1組の4人でした。

イガッタ会のお二人は早めに帰宅しなければならず、
昼食を共にすることはできませんでしたが、
6年1組の4人はホテルのバイキング・ランチを楽しむことが出来ました。

会話の中で、4月21日(水)11:00から月岡公園で
6年1組の観桜会を開くことになりました。

2010年4月2日金曜日

同級生の絵画展

4月4日(日)から11日(日)まで、
山形市香澄町の山形国際ホテル(メセナホール4階)で
花屋隆さんたちの絵画展が開かれます。

花屋さんが当番の7日(水)11:30、
上山小中学校の同級生が会場に集まり、
絵を鑑賞した後、昼食会を開きます。

時間の都合がつく方は顔を出してみてください。
会場が山形駅から近く、
上山からも集まりやすいのではないでしょうか。
花見の話なども出るかもしれません。

楽しみにしています。