2011年12月13日火曜日

先輩の訃報

上山中学校の野球部で1年先輩だった大石富雄さんが去る12月8日、急逝されました。
11日に行われた葬儀では多くの後輩がまだ早かった旅立ちを悼みながらご冥福を祈りました。

大石先輩は高校時代、2度も甲子園大会に出場し、社会人になってからも軟式野球で最も権威のある天皇賜杯全国軟式野球大会で3位になるなど、山形県の野球界に名を残された方です。

中学時代、四ッ谷出身の先輩とは帰宅方向が同じなので、よく一緒に下校させていただきました。
部活動が終わった後、体育館の近くから畑道を抜け、矢来から二日町、十日町を通って新丁、新町方面へ帰っていたものです。

途中、空腹に耐えられず、薄暗くなった畑の大根とかニンジンを失敬し、脇を流れる水で洗って口にしたことが何度かあります。

当時、高校生の野球を見るため大石先輩の先導で上山から自転車で山形の霞城公園を往復したこともありました。

 高校時代は強豪チームの先輩たちには歯がたたず、いつも大敗していた記憶ばかり。その最たる試合は大石先輩が3年生で、小生が2年生のとき。先輩たちのチームと決勝戦で対戦し、勝てば甲子園大会へ出場できるという試合でした。
 しかし、1塁手として出場した小生の大暴投をきっかけに、我がチームは0-8と大敗。大石先輩は2度目の甲子園出場を果たしました。このとき我々と同学年の清志君も甲子園に出場しました。
 
その後、社会人になってから、大石先輩と同じチームでプレーすることができました。先輩の活躍で全国3位になったほか、毎年のように全国大会へ連れて行っていただきました。岐阜県で開かれた国民体育大会では山口県のチームと延長28回まで戦ったこともあります。
 
2人にとって痛恨の思い出は、投手だった大石先輩が小生のエラーで完全試合を逃したことです。野球では相手チームに1人の走者も許さなければ「完全試合」といって、投手としては最高の記録になります。

ある大会で9回2死まで大石先輩が1人の走者も出さず、大記録達成が目前でした。しかも最後になるはずの打球は力のない遊撃ゴロ。難なくアウトにできるはずでした。ところが、遊撃を守っていた小生が1塁へ悪送球。先輩の大記録は一瞬にして消えてしまったのです。後にチームメートの語り草にもなったプレーでした。

書いていると思い出は尽きることがありません。今はただ合掌のみです。

2011年12月11日日曜日

古稀の文化祭

今、パソコンで「東濤会だより」という高校同期会の会報を作成しています。その中にノブさんの写真があります。上山の同級生の皆さんにもご高覧いただきたく紹介します。



会報は2007年夏からスタートして5年目。年3回ずつの発行で、今回は第15号になります。A4版、カラーの8頁。今回の内容は10月上旬、山形市で開催された同期会の大文化祭「美術展と音楽の集い」の特集です。

美術展と音楽の集いは会員たちがこれまで取り組んできたそれぞれの趣味の世界を「古稀の文化祭」と称して発表し合ったものです。

山形国際ホテルの4階展示室を会場とした美術展には絵画、彫刻、書道、写真、陶芸、鋳金、源氏物語絵巻模写など、多彩な分野にわたる約150点が展示されました。

音楽の集いは文翔館議場ホール(旧県議会議場ホール)で開かれました。謡曲・仕舞による祝謡・祝舞で幕を開け、ポピュラーバンドの弾き語り、オカリナ演奏、三味線・尺八の共演、原語で歌うナポリ民謡「オーソレミオ」、フルートとチェロのクラシック演奏と続きました。

ノブさんは音楽の集いの冒頭、祝謡・祝舞で平家物語ゆかりの「八島」を舞ったほか、他の3人とともに「猩々」を連吟。厳粛な幕開けを飾るとともに、舞台と客席を夢幻、幽玄の世界へ誘ってくれました。

写真はノブさんのステージと音楽会の1幕です。

2011年12月5日月曜日

リュトリーのプロテスタント教会


Rue Horloge時計通りの一軒のアーチを入り、教会の標識をたどって行くと、路地を通り、プロテスタント教会の前に出ます。

全体を写せないほど、大きく、外も、中も、立派な教会です。

入り口の菊の花。

そして、教会の入り口から、外を見て撮りました。

雪子

2011年11月25日金曜日

晩秋の羽黒山

3週間ほど前に晩秋の月山路を越え、羽黒山へ行ってきました。
今年、定年退職した家内の弟夫婦に同行し、
国宝の五重塔や山頂の合祭殿に参拝した後、
斎館という所で精進料理をいただくのが目的でした。

山形を出発したのは午前10時過ぎ。
庄内あさひICまでは高速道路を利用しました。
その後はスーパー農道として整備された中山間部の道路を走り、
羽黒山麓の駐車場に到着したのは正午前。
五重塔までは駐車場から歩いて15分ぐらいです。

随神門という門から、薄暗い石段をくだり、朱塗りの橋を渡ると間もなく
杉小立の一角に歴史を伝える雄姿がありました。
五重塔は平安中期の930年代に平将門が創建したとも伝えられ、
1966(昭和41)年に国宝に指定されたそうです。

斎館は参籠所。参拝客の宿泊施設でもあるようです。
予約をすれば精進料理をいただけます。
この日は午後1時に4人分の予約を入れておきました。

案内された静寂な一室で、胡麻豆腐や厚揚げのほか月山筍、シイタケ、ナメコなど、
出羽三山の山麓で採れる山の幸を伝統の膳でいただけるのは、また格別の味でした。

まだ、寒さが来る前のこと。
月山の山懐に抱かれた庄内映画村オープンセットまで足を伸ばし、
穏やかな秋色の1日を満喫してきました。

2011年11月24日木曜日

洋ナシパン・・・伝統の食べ物

ドイツ語でBirnweggli、フランス語でChausson aux poires。ドイツ語で、Birnは洋ナシ、Weggliは小さいパンのことです。長さ14センチ、幅4センチ。中に入っているのは、乾燥洋ナシから作られているそうです。食べていると、甘さが程よくて、伝統を受け継いで作ってくださる人々を思いますね。

 

雪子

2011年11月23日水曜日

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インターネットをお世話してくれる会社は、サーバーと言いますね。電話、テレビの時は何というのでしょうか。

 

今回、我が家では、電話、テレビ、インターネットを同じ会社でやってもらうことにしました。

 

今までも、テレビとインターネットは、この会社のお世話になっていました。テレビは、住んでいる建物全体がケーブルネットに入っています。

 

この会社がオランダの会社に買収され、何ヶ月前から、テレビで、「電話、テレビ、インターネットをひとまとめに、わが社で!」と、広告をしていました。花ちゃんのおとうさんが、「この方が安いし、インターネットもうまく行っている」と言うので、我が家でも、そうすることにしました。

 

ありがたいことに、設置料は、定年退職者には、無料です!!!

 

驚いたことに、テレビは105チャンネル見られます!中国語放送まであります。105なんて!

 

日本では、どうなのですか?

 

雪子

携帯は不携帯

3月の震災後、携帯電話を持つようになりました。
主に家内との連絡用ですが、その使用回数は極めて少なく、
ひどいときは2~3週間も使わないときがあります。

普段は居間の卓上に置き、外出時はバッグに入れて出掛けます。
ただ、このバッグが曲者で、いつも身の回りにあるとは限りません。

外出の大半がテニスや野球のため、携帯もその用具と一緒のバッグで
車のトランクや物置の押入れに“眠って”しまうことが再三です。

呼び出し音が聞こえないため、せっかく電話をいただきながら、
通話にならなかったことが何度かありました。

たまたまバッグから取り出してみると、赤いランプが点滅し
着信があったことを知らせています。

開いて見ると3人もの方から電話をいただいておりました。
それも何日か前の電話でした。まさしく用を足さない携帯電話です。

あきれ返った知人からは「もう当てにはしない」とも言われています。

写真やメールの機能も使ったことがありません。
「無用の長物」とはジローさん以上かもしれません。
緊急時に役に立つのかどうか心配です。

2011年11月19日土曜日

高齢化が進む我が街

当地に移り住んで23年になります。

上山に住んでいたのは、6歳(位?)〜20歳までの15年間でしたので、それを超えてしまいました。

私の故郷が上山なら、ここは子供達の故郷です。

当時は、活気のある東京のベッドタウンとして発展しましたが、今は高齢化も進み、少子化という社会現象のモデルとも言える程、急速に人口減が進んでおります。

子供達が小学生の頃は、生徒数950人余のマンモス校で、人口も1万人弱の街でした。

土日ともなれば、小学校の校庭は、スポーツ少年団の活動拠点ともなり、野球、サッカーの練習風景や、高らかに響き渡る規律正しい歓声が聞こえたものです。

また街中は若いお母さん達のベビーカーを押す様子があちこちで見られたものでした。

そう言えば、息子、娘とも小学生の頃は「スポ少野球」をやっていました。

土日は殆ど他地域への遠征の為、家族四人分のおにぎりを作り、朝から出かけたものでした。

その頃がとても懐かしいのです。

今は、街中でお見かけする方は、殆ど高齢者です。

たまに、若い女性とかに出会うと「あれっ、どこのお孫さんかしら」と思わず振り返ってしまうのです。

つまり、彼女等は、ここでの第三世代に当たる人達なのです。

少子高齢化が進むとともに、当地の大型スーパーが撤退してしまいました。
採算が採れないからでしょう。

新たな問題は「買い物難民」と呼ばれる方々に対する対策をどうするか、でした。

ほんの「数人の声」が行政を動かし、近隣のスーパーに働きかけた結果、毎日スーパー行きのバスを出してくれる事になりました。

運転がまだ無理な私も、先日そのバスを利用しました。
とても助かりました。

利用者も多く、住民の感謝の声がスーパーに反映された様です。

その他住民パワーを結集して、隔月、街の中心部で「おしゃべり広場」と称したイベントが開かれます。

どれも高齢者を中心に配置されたサービスです。

多分、高齢者対策がかなり充実した街ではないかと思います。

その様な訳で、住民同士の結束も進み、住み良い街になった様です。

子供達は、「多分ここには戻らないと思うよ」とはっきり言いますが、私は、「自然環境、人間環境に恵まれたこの街は捨てたものではないわよ」とは、事ある毎に子供達に言うセリフです。

2011年11月14日月曜日

炬燵はまだですか?

このところ、小春日和が続いておりますね。

例年ですと、とうに炬燵のセットは終わって、暇を見つけてはトップリと炬燵に入って気持ちの良いうたた寝などをしているのでしょうが、今年はまだです。

ところで、右の画像は、とあるサイトからお借りしたものですが、最近この「家具調炬燵」が流行っていますね。

でも、私はもっとオーソドックスな普通の炬燵が大好きです。

炬燵の醍醐味は、身体の半分以上(つまりお尻もとっぷりと)を炬燵の中に入れ、顔だけを出してテレビを見たり、時にはうとうととする事にあると思うのですが、家具調炬燵では、そのスタイルは無理の様です。

炬燵にまつわる子供の頃の思い出が蘇ってまいります。
私には、三人の兄がいます。

主に三兄が私の遊び相手でした。
その兄とよく炬燵で喧嘩をしたものです。
いわゆる炬燵の中での「足蹴り」です。
最初はふざけ半分で遊んでいるのですが、そのうち真顔の喧嘩になってしまって。。。
でも、何より面白かった事は、炬燵での三兄の「寝転がり歌」でした。
何しろ、歌を歌い始めたら止まらなくなる。
良く次兄が言ったものでした。

「○○の歌は当分止まらないよ」と二人で大笑いしたものでした。

その甲斐あってか、三兄は今でも、歌が上手いのです。

東日本の大震災に遭われた方々の復興にかけるエネルギーには、本当に頭の下がる思いがします。

でも、この寒い冬を、「どうぞご無事で、少しでも快適にお過ごし下さい。」と願わずには居られません。

「炬燵などもっと先にしよう」と思っています。

Rue Horloge時計通り

9番のバスで、リュトリーのVoisinandヴォワジナンで降りると、右に駐車場があります。もう少し下ると、Rue HorlogeHorlogeは時計ですから、時計通りですか。狭い通りです。

 

ウィスキータイム・・・何だか、ロマンチックですね。

 

どこかのお宅の入り口のような所から、教会への指標が出ていました。セクシーな下着のお店、子供服を売っているお店などを、横目でみながら、進むと、Place des Hallesアル広場にでます。これは、この次にUPしますね。

 

雪子

 

2011年11月12日土曜日

再び携帯のこと。

携帯で撮りました。

結構鮮明で綺麗ですね。

私の携帯は今、パソコンの側で、ホコリを被っています。

最近は、外出の時に時計代わりに、又は時々気に入った被写体があると、右の様な写真を撮る時に使用しています。

通信ツールとしては殆ど使いません。

たまに、メールが入る位ですか。。。

勿論外出先から、家になど電話をしません。

そういう訳で、私には携帯は不要なのです。

でも、家族との和を保つ為には(携帯を進めたのは家族ですから)捨てる訳にもいかないでしょう。

私にとって携帯の存在など、生活の視野にも入って来ないけど、命よりも大切だとか。。。
そんな風に感ずる若者もいるらしい。

また、携帯でのメールの交換で、微妙に人間関係を複雑にする事もあるらしいですね。

特に、若者間では、「返信」は5分以内、という暗黙のルールがあるらしいです。

従って、トイレに入る時も、お風呂に入る時も携帯所持。

また外出する時に携帯を忘れた場合、待ち合わせ時間を遅らせても、家に取りに帰るそうですね。

一度、息子に立腹した事があります。

池袋で待ち合わせをした時の事です。

待ち合わせの時間を決める時の事、「何時にする?」、息子曰く「池袋に着いたら、携帯に電話してよ」と。

そこで、私は凄い剣幕で「ちゃんと時間を決めなさいよ。そして、それに間に合う様に努力するのが社会人としてのルールよ」と。

つまり、全て携帯の利便性に頼り切って、時間管理もルーズになっている、ことがどうしても許せないのです。

ところで、夫の携帯を盗み見て、それが離婚に繋がる場合もあるそうですね。

携帯は個人の所有物と考えた場合、または夫のプライバシーと捉えた場合は、まずいですよね。

どちらにしても、いくら夫の携帯とは言え、「禁じ手」だと思いませんか。

携帯の罪の側面は多々あると思いますが、「ビジネスツール」としては、優秀な相棒ですね。



2011年11月9日水曜日

サンクトガレンのビバリ・・・伝統の食べ物

ドイツ語でSt. Galler Biberli mit Mandel Füllung、フランス語でPain  d'épice fourré aux amandes。アーモンド餡入りレープクーヘン。大きさは、4.5センチの直角形。15世紀の書類に見られるそうで、ビバリとは、「スパイスの効いた平たいパン」の意味だそうです。

 

サンクトガレン州、地図では、右端の真ん中、薄いグレーのSGです。

 

そして、政治の中心地も同じ名前のサンクトガレン市は、右上の紺色のコンスタンツ湖の右端から、少し下に下がったところです。

 

雪子

 

2011年11月8日火曜日

私の携帯

 7月の怪我入院の際、家族に無理矢理携帯なるものを持たされました。
 私は、「要らない〜」と頑に拒否したのですが、何しろ二度の入院の実績(?)がもたらした私への不信感からか、遂に買わされてしまいました。
 こうなったら、思いっきりファッショナブルでハイセンスな携帯を。。。と思ったのですが、最後は選択が面倒くさくなり、画像の様なパープルカラーになった訳です。

 でも、以外と便利な事に気が付きました。
 ベッドに横たわったまま外部の方々と交信が出来るのですから。
 「シャンプーと洗剤と、適当に甘いものを持って来て」とか、今度は夫の方から、「今日は夕方行くから、とか、買い置きの醤油は何処?」等々どうでも良いメールを交換したり。
 2,3日後、「あれっ、病院は携帯禁止では?」と気が付きました。
 良く周囲を見渡したら、禁止区域と許可区域がある事に気が付きました。
 我ながら不注意でした。
 
 ところで、携帯メールの入力方式には数種類あるという事をご存知ですか?
 私の携帯は標準的入力方式で、「5タッチ」入力方式と呼ぶそうです。
 皆様はご存知かと思いますが、私は初めて知りました。
 つまり、通話ボタンの(1)ボタンには「あ」「い」「う」「え」「お」という5つの文字が割り当ててあり、例えば、「お」を入力するには(1)ボタンを5回押すという方式であります。
 瞬間的に、この方式は私には向かない、と思いました。
 気が短い私は、例えば「う」を入力したいのに、いつも行き過ぎてしまい「え」とか「お」まで行き過ぎてしまうのです。しかし、バックの機能がないので、「う」を押す為に、8回押す羽目になってしまうのです。
 これでは、不便でしょうがないと思いませんか。
 PCのキーボードからの入力では、一回のタッチで済む訳ですから。。。
 バック機能もあれば良いのに。。。

 入院中は、お見舞いのメールを何通も頂きましたが、元気になった今、届くメールもあまり無く、時々、友から、夫から、あるいは息子(との専用回線になってしまいました)とか、です。
 今は、無用の長物と化しました。
 つまり主婦の私は、固定電話、あるいはPCメールで事足りる訳ですから。。。。

2011年11月2日水曜日

ベルトロ通りChemin de Bertholod

リュトリーの理学療法士さんの診療所まで、夫に送ってもらい、治療の間、夫に散歩に行ってもらいました。

 

終わって、出てくると、夫が駐車場の日向で待っていてくれました。「9番のバスの終点まで行ったんだ。初めて歩いた所、きれいだったよ。見たい?」と、車で連れて行ってくれました。

 

いつもは、リュトリーに入って、すぐの交差点で、左折、COOPのロータリーから、左に曲がり、右には行ったことがなかったのです。右折して、しばらく行って、サヴュイ街道Route de Savuitを横切ると、細い登り道があります。景色が素晴らしいのです。残念ながら、湖の方は、きらきら光かって、写真がうまく撮れませんでした。

 

ベルトロ塔Tour Bertholod。この近くのブドウ畑は、中世に、キリスト教の修道士が始めたそうです。これは、夫が道路側の説明書を読んで教えてくれました。

 

上の写真の曲がり角の左側のブドウ畑から、ご婦人が降りてきました。多分、散歩ですね。暖かな日ですから、歩きには最高でしょう。その曲がり角からの写真です。

 

ベルトロ通りを下ると、9番の終点はすぐ側でした。

 

雪子

 


2011年10月27日木曜日

ジャイアント・シュナウザー・・・うれしい出会いと再会

車を洗っていて、隣の車を見たら、犬が、中におとなしく座っていました。夫が、持ち主の女性に「よく躾けられていますね」と話かけました。

 

車から出たところ、大きな犬!私のウエストの高さ位。伺いました。「写真を撮ってもよろしいでしょうか?種は何ですか?」「勿論OKです。Schnauzer Géantシュナウザァー・ジェアン(ジャイアント・シュナウザー)です。」ドイツ語で、Schnauzは口ひげのことなので、少し、垂れてはいるけれど、なるほど!

 

ご主人は、赤と黒のアンサンブル、この犬もおしゃれ、首輪は赤と黒。車に乗って、去っていきました。車には、ローザンヌ・ホッケーチームと乗馬のロゴが貼ってありました。

 

雪子

 

2011年10月26日水曜日

111026  中央小学校の日時計・・・日時計1

ピュイの中央小学校にあり、「時は、飛び去る」と書いてあります。タイルです。

 

雪子


2011年10月25日火曜日

レカンフラワーの作品展

                sizuさんの作品その2
                吉野静子さんの作品
                 sizuさんの作品その1
               会場のNHK山形放送局
 蔵王の山々も日増しに紅葉が進んできました皆様お変わり
ありませんでしょうか?
ジローさん大変でしたね~お大事にしてください。なんせ私た
ち「古希」なんです気持ちは青春でも体はそれなりになんで
すよね。認めたくはなくとも認めざるを得ない日常です。
 ogaさんも書いてくださいましたが「レカンフラワー」
の作品展が今日終わりました。レカンとはフランス語で
「宝石箱」、乾燥剤(ジェルサンド)を使って草や花を
自然のまま立体的に乾燥させ、器に入れた様はまるで
宝石箱のようです。新潟市にお住まいの青井幸子さん
は全国でも屈指のインストラクターです。
ogaサン、ノブさんご来館いただき有難うございました。

2011年10月24日月曜日

パリから・・・うれしいお便り

夫「花ちゃんからの絵葉書だよ!」

 

裏には、

 

Musée du Louvreルーブル美術館

ナポレオン広場

ピラミッドと噴水>

 

花ちゃんからで、きれいな字で、感心しました。

 

「パパと一緒にパリに来ています。ルーブル美術館、エッフェル塔、それから、他にもたくさん見ました。

 

キスを・・・

 

Hana☆」

 

お父さんからのご挨拶もありました。

 

うれしいですね!!!あるがとうございます。

 

雪子

 

2011年10月22日土曜日

大変ご無沙汰をしました。

 長〜いご無沙汰で、管理人としては大変責任を感じております。

 その言訳はしたくありませんが、私なりにちょっとばかり苦労をしました。

 私の愛して止まない愛犬ジローとの散歩で、アクシデントに遭い(転倒から肩骨折)、入院から自宅療養を経て、やっと全快に近い状態に戻りました。

 でも、好きな車の運転の解禁がまだなので、活動範囲が限定されてしまい、その焦燥感には閉口しています。

 その反動からくるヒステリック症候群に襲われ、時として落ち込み、また元気に。。。その繰り返しです。

 でも、長い長い70年の人生に対する休息も必要かな?等と自分自身を納得させて見たり。

 こんな時、東日本の震災に遭われた方が次の様におっしゃっていたのが印象的でした。
 「日々同じ事の繰り返しは時として退屈に思っていましたが、その事が幸せなんだと思いました。」と。

 即ちこの程度の私のアクシデントを大事(おおごと)と捉えるのは何と情けない事か!!と反省をしています。

 今は、周囲の方々(勿論家族も含めて)の暖かい思いやりが身に沁みて有り難く、健康回復に全力で頑張っていま〜す。

2011年10月21日金曜日

レカンフラワー

 昨日(10月20日)、山形でSIZUさんと静子さんの「レカンフラワー」というクラフト作品を拝見させていただきました。
 
 バラやカーネーション、ヒマワリ、リンドウ…など、様々な草花を独特な方法で乾燥させ、色鮮やかなまま立体的に額やグラス容器に飾り付けた作品でした。
 
 レカンはフランス語で宝石箱という意味だそうです。華やかで美しく、そして可憐で清楚。見ていて飽きない作品ばかり。まさしく「花の宝石箱」でした。(詳しくはSIZUさんが解説してくださるのではないでしょうか)

 10月19日(水)から25日(火)までNHK山形放送局のギャラリーで開かれている「レカンフラワー作品展示会」。

 作品のお師匠さんは上山市新丁にお住まいで、SIZUさんの実家の向かいの方でした。つまり、かつて小生の実家の筋向いに嫁入りされた方でもありました。

 お師匠さんの作品と、SIZUさんの妹さんの作品も展示され、会場は「新丁色」が濃く、さらに旭町の同級生・静子さんの作品も存在感を示されておりました。

 懐かしさのあまり、ついつい余計なことまで話し込み、長居をしてSIZUさんには大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。申し訳ありません。

2011年10月18日火曜日

イギリス・ドーセットから・・・うれしいお便り

<ドーセットの風景>と題して、絵葉書の裏に説明。
 

<ドーセットのチョーク・ダウン(白亜の海岸の丘)はラルワースで、海と出会います。海岸が何処までも続き、砂浜が白い絶壁に入り込んでいます。>

 

そして、友人からのお便り、嬉しいですね。

 

「日が照って、雨が少し降って、古い教会を見学して、海の波に見とれたあとは、暖炉が嬉しいですね。

 

友情をこめて

 

ローズマリー」

 

雪子

グスターヴ・ドレ湖畔通りQuai Gustave Doret

9番のバスで、リュトリーLutryのヴォワジナンVoisinandで降り、そのまま、湖まで下って行きます。

 

ヨットハーバーに出ます。ここから右は、車の入らない散歩道です。テーブルがありますが、日陰でアイスクリームなどをいただくこともできますね。私は、このお店でアイスクリームを買って、日向で食べました。<二番目の写真>

 

リュトリーの船着場です。真っ直ぐに見えているのが、オッシュ岳。水飲み場が見えますが、ここは小さな子供の遊び場です。そして、湖に沿って、右に歩いていきますと、<最後の写真>

 

プラタナスの並木の下を通ります。右側には小学校、サッカー場、石垣の向こうは、別のヨットハーバーで、すぐ側に、日本料理店があります。遠くにピュイ、そして、薄くジュラ山脈が見えます。<最初の写真>

 

雪子

 

 

 

 

2011年10月12日水曜日

郵便局通り・・・ご近所を一回り

Rue de la Poste郵便局通り、名前は、そうなのですが、郵便局は駅前広場に移っていったので、今は、この通りには、ありません。

 

プリウレをでると、この大通りにでます。左に行きましょう。今日は、左側を見ていきますね。まず、ピュイの家、皮膚科と耳鼻咽喉科医院、メガネやさん、そして、写真の警察。

 

それから、水場。ここは、多分、昔、ウシや馬が水を飲んでいたところと、思われます。

 

バスの停留所があります。この先は、自動車屋さん。

 

雪子

2011年10月11日火曜日

ピエラ・ポルテ通り・・・ご近所を一回り

ファンタジー通りの突き当たりから、左右に下る急な坂道、これが、ピエラ・ポルテ通り、今日は、湖側に左折しましょう。入り口に、大きな石が置いてあります。という事は、車が入れません。ここは、いつも日陰です。左側は屋号ファンタジーの大邸宅、右側はイルカの彫像のある大邸宅で、先日、門に書いてある言葉を良くよんだら、屋号は「La Rocaille」(ロカイユ、ロックガーデンの意味があるそうです)と、書いてありました。

 

屋号ファンタジーの大邸宅が終わると、ホッとしますね。左に、一面に家が建っていますが、以前は、畑でした。

 

そして、上の写真の古いお宅の前で、栗を広いました。右側は、イルカの大邸宅の続き・・・と思います。

 

そして、坂を下りきったところが、バス4番と25番の停留所のあるピエラ・ポルテです。Pierraz-Portayと書かれていますが、この辺のフランス語は、北部のフランス語とは違い、プロヴァンス地方のようにeの音が明るく、アに聞こえるので、Pierre-Porte(石の門)らしいです

 

 

シズさんのブログ、拝見しましたが、コメントの仕方がわかりません。もう、このように美しい紅葉の季節なのですね。こちらには、自然のままのところでは、ほとんど真っ赤になる葉がなく、赤茶けてしまいます。

 

今日は、旧暦の9月15日とか、昨日は、月が美しかったのですが、今晩はどうでしょうか・・・。

 

雪子

2011年10月10日月曜日

9?·???????···????

「書く工房」、今回の出席者は10名、リーダーが休暇中だったので、フランシーヌさんが、代わりに会をすすめました。9月のテーマは、「最も美しい言葉」でした。

 

ありがとう

はかなさ

Culture (文化、教養、耕作・・・)

Aの付く言葉、B・・・、C・・・

自由

こんにちは

Plum (羽、万年筆)

 

10人も女性が揃うと、こんなにも様々な考え、感覚があるものだ・・・、と驚きました。

 

私は「命、今、ここに生きている命、両親、祖父母・・・と、最初の細胞から続いている命、私達が地球を守れば、これからも続く命」を書きました。

 

ジェラルディンさんは、テーマをfarce(冗談、詰め物をした食べ物)と勘違い、「クリスマスの七面鳥」を書いていらして、大笑いになりました。イギリス人で、美しいピンク、フランボワーズ(ラズベリーの意味)と言うそうですが、のアンサンブルに、同じ色の小さなバッグ、筆入れをお持ちでした。

 

帰りに、先回からいらしたイレーヌさんと、少しだけ歩きました。ご主人様を亡くされたとかで、暗く「この会の人たちは冷たい」とおっしゃるのです。本当は、そんなくとはなく、皆さん、明るく、暖かなのです。息子さんのこと、お孫さんのことを伺っているうちに、笑顔が戻ってきて、「親友のイレーヌさんが亡くなり、新しいイレーヌさんと知り合えて、うれしいです。次回、必ず、お会いしましょう。お孫さんの写真を見せてくださいね。」とお別れしました。

 

次回のテーマは、「大掃除」です。

 

雪子