2011年3月31日木曜日

四月の魚(エイプリルフール)

明日は、エイプリルフール、四月馬鹿ですね。

 

<魚の通行禁止・但し、綱をつければよし。普通、これは、普通は犬の絵が描いてありますが、誰かが、魚に直したのでしょう。>

 

スイスに来た頃、テレビのニュースでは、アナウンサーが「エイプリルフールのニュース」を読み上げながら、ウインクをしていました。

 

私は、いつも、引っかかってしまいます。

 

毎年、4月1日には、新聞をみながら、どれが、四月馬鹿なのか、探すのですが・・・。

 

昨年、子供のシートベルトが話題になっていました。タクシーにも、そして、子供を迎えに行くおじさん、おばさんの車にも特別なシートベルトが必要・・・と言うことで、「スイス人は、規則が好きな国民!」と思っていました。4月1日に、地元の新聞に「犬にもシートベルトが必要」と読んで、「又、規則!」と本気にしてしまったのでした。

 

この慣習は、1564年発令のルシヨン令に遡るそうです。それによると、フランス王シャルル九世は、「一年の初めを四月一日ではなく、一月一日に替える」というもので、それまでも、年の初めは一月一日でした。伝説では、国民は王様を馬鹿にして、四月一日にまやかしの贈り物をし合ったそうです。

 

何故、魚か、といいますと、その当時、贈り物は食べ物で、そして、受難節中、キリスト教徒は、肉は食べなかったからです。

 

それから、四月は、ホロスコープの魚座、冬の最後の月が終わる時にあたるからです。

 

そして、ずっと後に、メディアでこの冗談を受け継いだわけです。

 

さて、明日は、何が、「四月の魚」でしょうか?

 

雪子

2011年3月30日水曜日

ウシ湖岸散歩道

高級ホテルのボー・リヴァージュ。昭和天皇がお泊りになりました。<二番目の写真>

 

一度、夫のお客様が泊まられて、スイートに伺いましたが、大きなお部屋がいくつもありました。お客様は「淋しい」とおっしゃって、町の中のホテルのスイートに移られました。

 

散歩道を東に向かって歩いていますが、右側は湖、道路を挟んで、立派なお屋敷が並んでいます。

 

散歩道はかなり広くて、恋人同士、乳母車の若いお母さんたち、ゆっくりと行く年老いたご夫婦、ローラースケーターや、ジョッギンガーたちと様々です。

 

マグノリアは、もう花がお終いになりそうで、もう茶色になった花びらがありました。こぶし、もくれんの一種だと思うのですが、中国原産とかいてあり、ピンクで花が大きいのです。後ろは、オリンピック博物館。この写真ではよく見えませんが、車のすぐ後ろは、噴水です。

 

国際バレーボール協会本部。こういうお屋敷のおかげで、この辺は静かなのですね。<最初の写真>

 

夫が見当たりません。ずっと、後ろのほうで、ベンチに座り、サンドイッチを食べていました。まだ、早いのに・・・。

 

と、これで、今回のシリーズは、お終いです。

 

雪子  

 

 

2011年3月29日火曜日

ウシの街角

ウシは、この地区全体です。このサンドイッチ屋さんから右へも行けるのですが、今日は、道路を渡り、「ウシ自治体」の建物を左に曲がります。

 

このレストランで、チーズフォンデュが食べられす。赤と白は、ローザンヌの色。

 

反対側に渡り、このレストランの通りを撮りました。

 

そして、湖を見ると、こんな感じ。

 

明日に、続きます。

 

雪子

2011年3月28日月曜日

ウシへ

朝、思い立って、25番のバスで、デリスで下り、地下鉄沿いの散歩道を下り、ウシに行き、湖岸散歩道から、ピュイの自宅まで歩いて帰ることにしました。実は、オリンピック博物館前に、この辺で春一番に咲くマグノリアを見たいのでした。

 

ウシは、ローザンヌの港です。暖かくなると、観光客で賑わいます。

 

お花屋さん。

 

目指すのは、サンドイッチ屋さんで、以前から、車の中から見て、このお店があるのは、知っていました。店員さんは若いタムール人で、驚いたことには、フランス語をきちんと話していませんでした。この人くらいの年齢ですと、スイス生まれなのに、この青年は、スリランカからの移民でしょうか。「写真を撮ってもよろしいでしょうか?」には、承諾してくださいました。夫曰く、「ここのサンドイッチは、安いよ。」

 

ウシには、面白い人たちがいて、「ウシ自治体」と称し、新聞を出し、自分たちをpirates海賊(湖ですから、湖賊ですか?!)と呼んでいます。「大使館」とかかれたスイスとウシのワッペンも見えます。

 

明日に、続きます。

 

雪子

2011年3月27日日曜日

タンポポの葉っぱのサラダ

日本の春の味は、蕗の薹でした。

 

スイスでは、タンポポの葉っぱのサラダではないでしょうか。

 

写真のように、花が咲いたのは、もう使えません。葉っぱもまだ小さい時、長さが5センチ位の時に、採ってきます。

 

①葉っぱはよく洗います。

 

②ソースは、お酢1に対して、サラダ油3の割合が目安ですが、好みで、変えてください。

 

③固ゆで卵の殻を取り、小さくサイコロに切っておきます。

 

ベーコンをカリカリになるまで、フライパンで焼いて、適当に切っておきます。

 

クルトン (市販でも売っています。そうでなければ、食パンをサイコロに切り、油で揚げておきます。)

 

④タンポポの葉っぱをソースで合え、③を散らします。

 

少し苦いので、大人の味ですね。どうぞ、召し上がれ!

 

雪子

??????????

昨夜、土曜日、花ちゃんのおかあさんと電話で話しました。

 

・モルジュ(ローザンヌからジュネーブへ行くときの、レマン湖沿いにある最初の町)の日本人のおかあさんたちが中心になって、街頭募金をしました。町から許可をもらったのが、木曜日。

 

義捐金の送り先は、スイス人に知られている組織がよいだろうと、World Visionを選びました。仙台でも活躍しています。インターネットでサイトが見られます。

 

実際に、募金をお願いすると、「どこに、お金が送られるの?」と聞かれました。

 

ジュネーブの日本語補修校がお休みなので、花ちゃんも街頭に立ちました。

 

最後まで、いなかったので、いくらになったのかは、わかりませんが、来週の土曜日もまた、活動します。

 

・金曜日は、ローザンヌで、街頭募金があったそうです。

 

・日本人のおかあさんたちが、子供の行っている学校内で、募金運動をしているそうです。ジュネーブでも、それから、ヴヴェーのある学校では、おかあさんたち3人の呼びかけて、6000フラン、集まったそうです。

 

・仙台の近くにお住まいのご両親さまの様子を伺いました。

 

おとうさまの具合が悪くなっても、ガソリンが無くて、病院に行けないので、救急車に来てもらい、病院に行って、そのまま、入院。おかあさまが帰宅するのに、電車もバスも止まっているので、6時間、歩いて帰られたそうです。今は、皆さん、リュックをしょって、何処にでも歩いて行き、戦時中みたいだそうです。

 

皆様、偉いです。ありがとうございます。

 

 雪子

義援金のあて先について

Pluss 雪子さんより2度程ご投稿いただきました「義援金」についてですが、「義援金集めの組織は信用していません。」とのお話にはちょっと違和感を覚えます。

今回の「東北•関東大震災」の直後、多数の義援金受付の団体が組織されました。
企業、メディア、多数のNGO、インターネットサイト、もちろん県市町村など行政サイド等です。

中には、「義援金」を名目として募金を呼びかけた詐欺グループもあり、2、3のグループが摘発されたニュースを、最近新聞で目にしました。

しかし大抵の多くの組織は、個人又は団体の好意の受け皿として日夜活動されているのではないかと思います。

義援金は、最終的には「日本赤十字社」に集められ、「義援金分配委員会」というところで配分方法が検討されるそうです。

15年前の「阪神•淡路大震災」で初めて「義援金分配委員会」なるものが出来たらしく、それでも被災者の手に渡るまで、約1年を要したそうです。

その教訓を生かして、出来るだけ速やかに被災者の手に渡る様にするそうです。

義援金の行き先については下記サイトをご覧になってみて下さい。(参考までに)

http://greenz.jp/2011/03/19/tohoku_earthquake_donatio/

このサイトを信用されるか否かはご覧になる方のご判断だと思います。

??????????···????????

用事があって、友人に電話をしました。

 

3月30日のコンサートの話をしたら、

 

「知りませんでした。先日、友人たちと会いましたが、そんな話はしていませんでした。」

 

驚きました。話してみるものですね。

 

「早速、友人たちに話します。」

 

そして、「ある友人のご主人様が100万円、義捐金を出された・・・と話していました。」

 

ありがたいですね。

 

雪子

2011年3月26日土曜日

義捐金のあて先は?

お隣のブッシュさんが、「義捐金集めの組織は信用しません」と言いました。

 

スイスには、数知れぬほどのNGOがあります。それぞれ、好意で運営されているのですが・・・。

 

寄付をする人は、出来るだけ、被災者の為に、直接使ってもらいたい、と願っていますね。

 

例えば、あるNGOの代表が、義捐金を持って、日本を訪れる、と仮定します。旅費、ホテル代、膨大な経費がかかります。これでは、経費に寄付が使われてしまいます。

 

こういう訳で、スイス人は、なかなか、お金をだしたがらないのです。(上海で、スーツケースにお金を詰めて、寄付した・・・などと、聞くと、恥ずかしくなります。)

 

夫もそうです。「家族に送りなさい」と言います。

 

「家族は、前と同じところに住んで、食べ物もあるので、送るのは後。でも、今、全部失ってしまった人たちの為にお金を送ったら・・・」と私は言います。

 

夫に黙って、お金を送ることは出来ますが、私の良心が許しませんね。

 

この時、ヘルボルト直子さんからのメールでした。

 

ヘルボルトさんは、以前、ジュネーブの日本語補修校で、先生をしていらたこともあり、ローザンヌでは、「日本人のおしゃべり会」を立ち上げてくださって、現在は、「サークル・スイス・ジャポン」の会長さんをしていらっしゃいます。

 

「サークル・スイス・ジャポン」とローザンヌ音楽大学<写真>が共同で、バイオリン奏者アモヤルさんと学生さんのコンサートが開かれることは、お伝えしました。音楽大学の意向で、入場料は取らないで、募金箱を置くのだそうです。

 

集まった義捐金は、宮城県庁内社会福祉課が窓口となっている「東北太平洋沖地震に係る義捐金」口座に送られるそうです。寄付金として送付すると、復興事業の財源となるそうですが、「サークル・スイス・ジャポン」としては、被災者の生活支援の為になるように、義捐金窓口を選んだそうです。

 

送金が確実に行われたか、どうか、ヘルボルトさんの教え子ので宮城県庁職員の佐藤浩章さんに、フォローしてもらうそうです。

 

これで、夫も納得。「サークル・スイス・ジャポン」の口座番号を教えてもらい、送金することにしました。

 

夫の友人にも、このことを話したら、「寄付する」というので、口座番号を教えた、と言っていました。

 

ヘルボルト直子さんには、大きな力がおありです。そして、お世話になっています。

 

雪子

???????????

お隣のブッシュさん、

 

「仙台の友人、モリカワさんと電話連絡が取れました。避難所にいましたが、家に帰ったそうです。近くに川があり、トイレの水は川の水を汲んで、使っているそうです。何か送りたいのですが、何がいいでしょう?」

 

「今、日本に郵便物は送れないし、全部失ってしまった人が大勢いるので、<幸福の鎖>のような義捐金募集の口座に寄付した方が、よろしいと思いますが・・・。」

 

「義捐金集めの組織は、信用していません。モリカワさんに、聞いても教えて下さらないので、何がよいでしょうか?お米とか、麺類はどうでしょうか?」

 

「日本人は、日本人用のお米しか、食べませんね。麺類もあるのではないでしょうか。唯、お米とか、麺類とか、同じものを毎日、食べていると思うのです。

 

一週間分の食料を送ることなど、とうてい無理で、気持ちの表れなので、少しだけ、何でもよいのではありませんか。

 

例えば、小さな袋入りで、お湯に溶かして飲める飲み物、チョコレート、コーヒー、スープなど。それから、ハーブティー。のど飴。プロセスチーズ。小さな容器に入ったホテルなどでよく見るジャムや、蜂蜜。忘れていました、チョコレートなど。食べ物でなくとも、何でも、喜んでいただけるのでは・・・。」

 

「これから、3週間の旅行にいきますから、帰ってきたら、日本への小包は出せるかもしれませんね」と旅立って行かれました。

 

本当は、どんなものがよいのでしょうね・・・。

 

妹の誕生日がもうすぐで、私は、サッサと、すばやくできないので、以前から、少しずつ用意していましたが、地震の為、そのままになっています。

 

 雪子

2011年3月24日木曜日

写真・・・ありがたいもの

居間に飾ってあります。大事な人たちの写真です。夫と私のはありません。

 

私と血が一番近い妹の写真がありません。2009年、日本で会ったのですが、脳梗塞の後遺症で、脚を突っ張って歩いている妹に、動転してしまい、写真どころでは、ありませんでした。夫は、「写真を・・・」と私に頼まれていたので、知っていたけれど、撮れなかったそうです。

 

勇気を出して、妹に電話をして、頼んだら「もう少し、待ってね」との返事でした。

 

写真があって、今、改めて、ありがたいと思います。写真も全部失い、家族を亡くされてしまった人たちの心痛をお察しいたします。

 

雪子

2011年3月23日水曜日

思い出の庭・・・イレーヌさんを偲んで

お早うございます。スイス時間で3月23日、朝6時45分です。

 

イギリスの友人から、お見舞いのメールが入っていました。「ご家族に何事もありませんように・・・」

 

ブログを続けますね。

 

「母の葬式に参列してくださり、そして、やさしいお言葉、ありがとうございました。これから、父と一緒に進んで行きますが、父は、何が起ったのか、よくわからないようです。

 

母は、ピュイ墓地の思い出の庭に葬られています。お電話いたしますね。

 

                    シルヴィアンヌ」

 

日本語では、こういうのを何と言うのでしょうか?お悔みのお礼状です。普通は、十字架が印刷してあるのですが、可愛い天使の絵は初めてです。

 

ピュイ墓地の「思い出の庭」は歩いて一分、早速、訪れました。

 

この写真の左の方には、イレーヌさんのお葬式の時の花輪がまだ飾ってあり、お花が一杯でした。

 

お葬式もできない被災地の方々のお心をお察しいたします。

 

雪子

小さなろうそく

昨日、妹に電話をしました。元気な声で、「茨城県では、停電は、今のところはないの」とのことでした。

 

「皆さん、節電しているけれど・・・?」との質問には

 

「節電、申し訳ないけれど、しなかった。普通は、真っ暗な中で眠るけれど、余震がひどくて、心細くて、電灯とラジオはつけっぱなしで、ウトウトしていました。今日あたりから、又、暗くして寝ようか・・・と思っているの。」

 

無理もありません。妹は、脳梗塞の後遺症で、歩くのが不自由ですし、重いものは持てないのです。走って逃げる・・・なんて、出来ません。

 

「おねえちゃん、助かったのよ。クリスマスに贈ってもらった可愛いろうそく、初め、電気がなかった時につけたら、1時間半ももったのよ。ありがとう!」

 

何の話かと言いますと、こちらで、お料理したものを温めておく、直径4センチほどのろうそくがあります。

 

食べ物を温めるのは、上下二部で出来ています。下部には、このろうそくを入れる穴が何個か開いていて、そこにこのろうそくを入れ、火をつけ、そして、大抵は銅製のカバーをかけて、その上に食べ物をいれたお皿を置いておきます。

 

クリスマスには、変わった形のが売られます。例えば、クリスマスツリー、星、サンタクロース、サンタさんの靴・・・などです。真っ暗のなかで、かわいいろうそくが小さな灯を・・・なんて、思ったら、胸がキューンとしました。

 

雪子