2011年11月25日金曜日

晩秋の羽黒山

3週間ほど前に晩秋の月山路を越え、羽黒山へ行ってきました。
今年、定年退職した家内の弟夫婦に同行し、
国宝の五重塔や山頂の合祭殿に参拝した後、
斎館という所で精進料理をいただくのが目的でした。

山形を出発したのは午前10時過ぎ。
庄内あさひICまでは高速道路を利用しました。
その後はスーパー農道として整備された中山間部の道路を走り、
羽黒山麓の駐車場に到着したのは正午前。
五重塔までは駐車場から歩いて15分ぐらいです。

随神門という門から、薄暗い石段をくだり、朱塗りの橋を渡ると間もなく
杉小立の一角に歴史を伝える雄姿がありました。
五重塔は平安中期の930年代に平将門が創建したとも伝えられ、
1966(昭和41)年に国宝に指定されたそうです。

斎館は参籠所。参拝客の宿泊施設でもあるようです。
予約をすれば精進料理をいただけます。
この日は午後1時に4人分の予約を入れておきました。

案内された静寂な一室で、胡麻豆腐や厚揚げのほか月山筍、シイタケ、ナメコなど、
出羽三山の山麓で採れる山の幸を伝統の膳でいただけるのは、また格別の味でした。

まだ、寒さが来る前のこと。
月山の山懐に抱かれた庄内映画村オープンセットまで足を伸ばし、
穏やかな秋色の1日を満喫してきました。

2011年11月24日木曜日

洋ナシパン・・・伝統の食べ物

ドイツ語でBirnweggli、フランス語でChausson aux poires。ドイツ語で、Birnは洋ナシ、Weggliは小さいパンのことです。長さ14センチ、幅4センチ。中に入っているのは、乾燥洋ナシから作られているそうです。食べていると、甘さが程よくて、伝統を受け継いで作ってくださる人々を思いますね。

 

雪子

2011年11月23日水曜日

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インターネットをお世話してくれる会社は、サーバーと言いますね。電話、テレビの時は何というのでしょうか。

 

今回、我が家では、電話、テレビ、インターネットを同じ会社でやってもらうことにしました。

 

今までも、テレビとインターネットは、この会社のお世話になっていました。テレビは、住んでいる建物全体がケーブルネットに入っています。

 

この会社がオランダの会社に買収され、何ヶ月前から、テレビで、「電話、テレビ、インターネットをひとまとめに、わが社で!」と、広告をしていました。花ちゃんのおとうさんが、「この方が安いし、インターネットもうまく行っている」と言うので、我が家でも、そうすることにしました。

 

ありがたいことに、設置料は、定年退職者には、無料です!!!

 

驚いたことに、テレビは105チャンネル見られます!中国語放送まであります。105なんて!

 

日本では、どうなのですか?

 

雪子

携帯は不携帯

3月の震災後、携帯電話を持つようになりました。
主に家内との連絡用ですが、その使用回数は極めて少なく、
ひどいときは2~3週間も使わないときがあります。

普段は居間の卓上に置き、外出時はバッグに入れて出掛けます。
ただ、このバッグが曲者で、いつも身の回りにあるとは限りません。

外出の大半がテニスや野球のため、携帯もその用具と一緒のバッグで
車のトランクや物置の押入れに“眠って”しまうことが再三です。

呼び出し音が聞こえないため、せっかく電話をいただきながら、
通話にならなかったことが何度かありました。

たまたまバッグから取り出してみると、赤いランプが点滅し
着信があったことを知らせています。

開いて見ると3人もの方から電話をいただいておりました。
それも何日か前の電話でした。まさしく用を足さない携帯電話です。

あきれ返った知人からは「もう当てにはしない」とも言われています。

写真やメールの機能も使ったことがありません。
「無用の長物」とはジローさん以上かもしれません。
緊急時に役に立つのかどうか心配です。

2011年11月19日土曜日

高齢化が進む我が街

当地に移り住んで23年になります。

上山に住んでいたのは、6歳(位?)〜20歳までの15年間でしたので、それを超えてしまいました。

私の故郷が上山なら、ここは子供達の故郷です。

当時は、活気のある東京のベッドタウンとして発展しましたが、今は高齢化も進み、少子化という社会現象のモデルとも言える程、急速に人口減が進んでおります。

子供達が小学生の頃は、生徒数950人余のマンモス校で、人口も1万人弱の街でした。

土日ともなれば、小学校の校庭は、スポーツ少年団の活動拠点ともなり、野球、サッカーの練習風景や、高らかに響き渡る規律正しい歓声が聞こえたものです。

また街中は若いお母さん達のベビーカーを押す様子があちこちで見られたものでした。

そう言えば、息子、娘とも小学生の頃は「スポ少野球」をやっていました。

土日は殆ど他地域への遠征の為、家族四人分のおにぎりを作り、朝から出かけたものでした。

その頃がとても懐かしいのです。

今は、街中でお見かけする方は、殆ど高齢者です。

たまに、若い女性とかに出会うと「あれっ、どこのお孫さんかしら」と思わず振り返ってしまうのです。

つまり、彼女等は、ここでの第三世代に当たる人達なのです。

少子高齢化が進むとともに、当地の大型スーパーが撤退してしまいました。
採算が採れないからでしょう。

新たな問題は「買い物難民」と呼ばれる方々に対する対策をどうするか、でした。

ほんの「数人の声」が行政を動かし、近隣のスーパーに働きかけた結果、毎日スーパー行きのバスを出してくれる事になりました。

運転がまだ無理な私も、先日そのバスを利用しました。
とても助かりました。

利用者も多く、住民の感謝の声がスーパーに反映された様です。

その他住民パワーを結集して、隔月、街の中心部で「おしゃべり広場」と称したイベントが開かれます。

どれも高齢者を中心に配置されたサービスです。

多分、高齢者対策がかなり充実した街ではないかと思います。

その様な訳で、住民同士の結束も進み、住み良い街になった様です。

子供達は、「多分ここには戻らないと思うよ」とはっきり言いますが、私は、「自然環境、人間環境に恵まれたこの街は捨てたものではないわよ」とは、事ある毎に子供達に言うセリフです。

2011年11月14日月曜日

炬燵はまだですか?

このところ、小春日和が続いておりますね。

例年ですと、とうに炬燵のセットは終わって、暇を見つけてはトップリと炬燵に入って気持ちの良いうたた寝などをしているのでしょうが、今年はまだです。

ところで、右の画像は、とあるサイトからお借りしたものですが、最近この「家具調炬燵」が流行っていますね。

でも、私はもっとオーソドックスな普通の炬燵が大好きです。

炬燵の醍醐味は、身体の半分以上(つまりお尻もとっぷりと)を炬燵の中に入れ、顔だけを出してテレビを見たり、時にはうとうととする事にあると思うのですが、家具調炬燵では、そのスタイルは無理の様です。

炬燵にまつわる子供の頃の思い出が蘇ってまいります。
私には、三人の兄がいます。

主に三兄が私の遊び相手でした。
その兄とよく炬燵で喧嘩をしたものです。
いわゆる炬燵の中での「足蹴り」です。
最初はふざけ半分で遊んでいるのですが、そのうち真顔の喧嘩になってしまって。。。
でも、何より面白かった事は、炬燵での三兄の「寝転がり歌」でした。
何しろ、歌を歌い始めたら止まらなくなる。
良く次兄が言ったものでした。

「○○の歌は当分止まらないよ」と二人で大笑いしたものでした。

その甲斐あってか、三兄は今でも、歌が上手いのです。

東日本の大震災に遭われた方々の復興にかけるエネルギーには、本当に頭の下がる思いがします。

でも、この寒い冬を、「どうぞご無事で、少しでも快適にお過ごし下さい。」と願わずには居られません。

「炬燵などもっと先にしよう」と思っています。

Rue Horloge時計通り

9番のバスで、リュトリーのVoisinandヴォワジナンで降りると、右に駐車場があります。もう少し下ると、Rue HorlogeHorlogeは時計ですから、時計通りですか。狭い通りです。

 

ウィスキータイム・・・何だか、ロマンチックですね。

 

どこかのお宅の入り口のような所から、教会への指標が出ていました。セクシーな下着のお店、子供服を売っているお店などを、横目でみながら、進むと、Place des Hallesアル広場にでます。これは、この次にUPしますね。

 

雪子

 

2011年11月12日土曜日

再び携帯のこと。

携帯で撮りました。

結構鮮明で綺麗ですね。

私の携帯は今、パソコンの側で、ホコリを被っています。

最近は、外出の時に時計代わりに、又は時々気に入った被写体があると、右の様な写真を撮る時に使用しています。

通信ツールとしては殆ど使いません。

たまに、メールが入る位ですか。。。

勿論外出先から、家になど電話をしません。

そういう訳で、私には携帯は不要なのです。

でも、家族との和を保つ為には(携帯を進めたのは家族ですから)捨てる訳にもいかないでしょう。

私にとって携帯の存在など、生活の視野にも入って来ないけど、命よりも大切だとか。。。
そんな風に感ずる若者もいるらしい。

また、携帯でのメールの交換で、微妙に人間関係を複雑にする事もあるらしいですね。

特に、若者間では、「返信」は5分以内、という暗黙のルールがあるらしいです。

従って、トイレに入る時も、お風呂に入る時も携帯所持。

また外出する時に携帯を忘れた場合、待ち合わせ時間を遅らせても、家に取りに帰るそうですね。

一度、息子に立腹した事があります。

池袋で待ち合わせをした時の事です。

待ち合わせの時間を決める時の事、「何時にする?」、息子曰く「池袋に着いたら、携帯に電話してよ」と。

そこで、私は凄い剣幕で「ちゃんと時間を決めなさいよ。そして、それに間に合う様に努力するのが社会人としてのルールよ」と。

つまり、全て携帯の利便性に頼り切って、時間管理もルーズになっている、ことがどうしても許せないのです。

ところで、夫の携帯を盗み見て、それが離婚に繋がる場合もあるそうですね。

携帯は個人の所有物と考えた場合、または夫のプライバシーと捉えた場合は、まずいですよね。

どちらにしても、いくら夫の携帯とは言え、「禁じ手」だと思いませんか。

携帯の罪の側面は多々あると思いますが、「ビジネスツール」としては、優秀な相棒ですね。



2011年11月9日水曜日

サンクトガレンのビバリ・・・伝統の食べ物

ドイツ語でSt. Galler Biberli mit Mandel Füllung、フランス語でPain  d'épice fourré aux amandes。アーモンド餡入りレープクーヘン。大きさは、4.5センチの直角形。15世紀の書類に見られるそうで、ビバリとは、「スパイスの効いた平たいパン」の意味だそうです。

 

サンクトガレン州、地図では、右端の真ん中、薄いグレーのSGです。

 

そして、政治の中心地も同じ名前のサンクトガレン市は、右上の紺色のコンスタンツ湖の右端から、少し下に下がったところです。

 

雪子

 

2011年11月8日火曜日

私の携帯

 7月の怪我入院の際、家族に無理矢理携帯なるものを持たされました。
 私は、「要らない〜」と頑に拒否したのですが、何しろ二度の入院の実績(?)がもたらした私への不信感からか、遂に買わされてしまいました。
 こうなったら、思いっきりファッショナブルでハイセンスな携帯を。。。と思ったのですが、最後は選択が面倒くさくなり、画像の様なパープルカラーになった訳です。

 でも、以外と便利な事に気が付きました。
 ベッドに横たわったまま外部の方々と交信が出来るのですから。
 「シャンプーと洗剤と、適当に甘いものを持って来て」とか、今度は夫の方から、「今日は夕方行くから、とか、買い置きの醤油は何処?」等々どうでも良いメールを交換したり。
 2,3日後、「あれっ、病院は携帯禁止では?」と気が付きました。
 良く周囲を見渡したら、禁止区域と許可区域がある事に気が付きました。
 我ながら不注意でした。
 
 ところで、携帯メールの入力方式には数種類あるという事をご存知ですか?
 私の携帯は標準的入力方式で、「5タッチ」入力方式と呼ぶそうです。
 皆様はご存知かと思いますが、私は初めて知りました。
 つまり、通話ボタンの(1)ボタンには「あ」「い」「う」「え」「お」という5つの文字が割り当ててあり、例えば、「お」を入力するには(1)ボタンを5回押すという方式であります。
 瞬間的に、この方式は私には向かない、と思いました。
 気が短い私は、例えば「う」を入力したいのに、いつも行き過ぎてしまい「え」とか「お」まで行き過ぎてしまうのです。しかし、バックの機能がないので、「う」を押す為に、8回押す羽目になってしまうのです。
 これでは、不便でしょうがないと思いませんか。
 PCのキーボードからの入力では、一回のタッチで済む訳ですから。。。
 バック機能もあれば良いのに。。。

 入院中は、お見舞いのメールを何通も頂きましたが、元気になった今、届くメールもあまり無く、時々、友から、夫から、あるいは息子(との専用回線になってしまいました)とか、です。
 今は、無用の長物と化しました。
 つまり主婦の私は、固定電話、あるいはPCメールで事足りる訳ですから。。。。

2011年11月2日水曜日

ベルトロ通りChemin de Bertholod

リュトリーの理学療法士さんの診療所まで、夫に送ってもらい、治療の間、夫に散歩に行ってもらいました。

 

終わって、出てくると、夫が駐車場の日向で待っていてくれました。「9番のバスの終点まで行ったんだ。初めて歩いた所、きれいだったよ。見たい?」と、車で連れて行ってくれました。

 

いつもは、リュトリーに入って、すぐの交差点で、左折、COOPのロータリーから、左に曲がり、右には行ったことがなかったのです。右折して、しばらく行って、サヴュイ街道Route de Savuitを横切ると、細い登り道があります。景色が素晴らしいのです。残念ながら、湖の方は、きらきら光かって、写真がうまく撮れませんでした。

 

ベルトロ塔Tour Bertholod。この近くのブドウ畑は、中世に、キリスト教の修道士が始めたそうです。これは、夫が道路側の説明書を読んで教えてくれました。

 

上の写真の曲がり角の左側のブドウ畑から、ご婦人が降りてきました。多分、散歩ですね。暖かな日ですから、歩きには最高でしょう。その曲がり角からの写真です。

 

ベルトロ通りを下ると、9番の終点はすぐ側でした。

 

雪子