2008年4月8日火曜日

2008年4月7日月曜日

小学校時代ね・・?

小学校の時を思い出すなんて事は ほんとに、ほんとに無かったので絞り出しているいるところです。今は桜のたよりで満開で時期はずれの感が否めないのですが、冬の雪道のためそれとも 長雨のためなのか 長靴に金色で名前を書いてくれるおじさんが学校にきてくれた気がするのです。自分の名前が金色で書かれるなんて 心が弾むじゃないですか!何かうきうきと 決められた所に持っていき遊び時間に 書きあがっているかどうか 何度か足を運んだような~。たしか低学年でした。ふだんは下駄で学校にいきましたね。

 私の担任の先生は3年途中から6年まで須藤清雄先生で母の従姉弟なのです。だから家庭訪問も一度も無く 家の前が先生の家 つまり有馬館です。 藤倉さんや菅原一ちゃんがピアノを習っていて 付いて行き習わず遊んでいました。今考えると惜しいことをしました。バイエルぐらい弾けたら今頃は、優雅にポロロン~でしたね。父は戦死して金持ちでもないのに 母が好きだったのか日本舞踊を習わされていました。きっと明るく生きようと前向きだったのでしょう。だから私はピアノはいいやーとしなかったのかもしれません。

踊りといえば4月8日の大般若・寿仙寺で五助の典子ちゃん 松本屋ののぶこちゃん達と踊りました。月岡神社のお祭りで角兵衛獅子の扮装して踊ったのですが 何故か鼻の下をブルーに塗る化粧をされておんおん泣いたり、映画館のときわ館では発表会で本格的にかつらをつけて踊りました。その時よねやのはるみちゃんなどとても可愛くすばらしかったです。踊りの縁でよねやの大広間の舞台が稽古場になった時もあり 何度か通いました。原田さんにはお世話になってたわけですね。

 私には学校よりこちらの方が鮮明に思い出されました。小学4年ぐらいまでの話です。

私事でつまらなかったでしょう。

2008年4月5日土曜日

桜満開です。


    私の住んでいる日高市は、今日桜が満開になりました。

 桜は何時、何処で眺めても良いものですね。

 アップの画像は夫が朝のジローの散歩の時に撮ったものです。

 この時期になると、この地域に住んでいる幸せみたいなものを実感します。

 でも、今年の桜色は色が薄めに思えたのですが・・・。

2008年4月4日金曜日

もう一度1~2年3組の写真

 小学1~2年3組の写真で小池國男君の名前が出ていましたが、彼も同じクラスだったのでしょうか。本人はほとんど覚えていないようですが、担任は「まだ若くて元気のいい女の先生だった。後で中学校の柴田先生の奥さんになった人だ」と言っておりました。枝松先生が柴田先生の奥さんになった方ですか?
 その國男君は定年退職後、水彩の植物画をはじめ、毎日のように絵筆を執っているようです。教室とか講座に通っているわけではなく、独学で黙々とスケッチブックや色紙、短冊などに筆を運んでいます。
 本人は「人に見せるような絵ではない」と言っておりますが、無造作に置いてあった作品を無理に撮ってきました。還暦の手習い。よく頑張っていると思います。2枚の写真がその作品です。
 ちなみに國男君の父親と小生の母親が姉弟で、我々は「いとこ」同士です。PCはまったく無縁と言っておりますから、代わりに写真を投稿します。多分、本人の目に入ることはないと思いますが…。
 それからsizuさん、アオサギの件ありがとうございます。通りがかりで珍しかったものですから、ついシャッターを押しました。少し上流ではカモの姿も見られ、気持ちが安らぎました。

ブログデビューおめでとうございます





とんちゃんおしばらくです。

コメントでなくお見せしたいものが在りましたのでこちらのページに載せました。

上山在住の女性会員がいませんので、つたない文章と写真で蔵王の麓から

故郷便りをかいています。

関東方面からは桜の花便りが毎日届き、宇都宮あたりまで北上しておりま

すが、かみのやまはまだまだ、、、。梅の花もまだ蕾です。このウメは尾形家

の梅の木でして畑がすぐ隣にありますのでいつも花見をさせていただいております。

スイセンもチュウリップも蕾、元気よく咲いているのはパンジーやサクラソウですね。

桜が咲きましたらあちらこちらアップしたいと思います。見てくださいね。

2008年4月3日木曜日

故郷思い出巡り

皆さんの懐かしい話を足で辿ってみたくなり、2日の水曜日に山形から上山市内をウォーキングで往復してきた。
 往路は半郷まで高湯街道、半郷からは上山東街道と、昔の街道をイメージしたルート。桜田、成沢、半郷、金瓶、金谷、泉川を通って上山に入った。
 高湯街道は山形の六椹八幡が起点。鉄砲町の集落(西高の東側)から元木、青田、桜田へと通じていたらしい。道幅は大八車が通れる程度。成沢とか半郷、金瓶の集落内を通ると旧街道の面影が残る。
 泉川からは宮川の橋を渡った後、すぐ左折し、前川沿いに市街地へ向った。奥羽本線の鉄橋下をくぐり、北町から新丁通りに出た。ポンプ小屋と読んでいた消防車の車庫や嘉平さんの茅葺き屋根が健在だった。
 城下町の出入り口でもあったクランクも懐かしい。昔、突き当りの床屋さんにトラックが突っ込んでいるのを何度か見た。新丁33番地。小生の本籍だが、もう実家はない。北燐だった洋品店の駐車場になっている。
 お不動様の参道から石段を上り、境内に出た。小学生のころ毎日、暗くなるまで遊んでいたホームグラウンドだ。学校の記憶は薄いが、こっちは思い出が深い。
 石段脇のキャラ木。赤い実を口にしたこともあった。地蔵尊や三角ベースの野球に興じた境内、稲荷さま、そして十日町の圏域になる愛宕神社。いずれも昔のままに近い。祖母に連れられ地蔵講だったのか、数珠回しの輪に入れられた記憶もある。
 切り通しから御井戸町、湯町を抜け、武家屋敷に出た。一番北側の旧曽我部家は小6で同級生だったミヤコちゃんの家。玄関前の水琴窟でしばらく耳を傾けた。さらに新湯の旅館街から春雨庵まで足をのばし、沢庵和尚に手を合わせてきた。
 帰りは旧羽州街道を辿る。小学校から下大湯共同浴場前に出て、十日町まるや角から北上。新丁坂下の三差路を左に入って四谷の坂を上る。参勤交代の大名やイサベラバードも通った街道だ。
 坂を上りきり、T字路を右折して百花園からまっすぐ黒沢峠に出るつもりだった。しかし、みはらしの丘の大規模開発で旧道はすっかり姿を消していた。道路は目指す方向と反対の方向へ大きく迂回し、すっかり遠回りになってしまった。
 午前10時に家を出て、帰宅したのは午後4時半過ぎ。途中、昼食や休憩時間を除いて5時間ぐらい歩いたことになる。沿道では散り始めたサザンカやマンサクの黄色い花が目立った。前川のほとりではゴイサギ(?)らしい鳥を写真に収めた。
 写真は上が前川で撮ったゴイサギ(?)。中はかつて小生の実家があった新丁クランク付近。下は羽州街道の黒沢峠です。
 久しぶりの遠出で体のあちこちが痛み始めていたが、時の流れを自らの足と目で確かめ、思い出に浸ることができた。大きな充実感だ。 といっても単なる自己満足に過ぎない。長々と記したがご容赦いただきたい。

2008年4月2日水曜日

中学校の思い出

 皆さん、中学校の思い出はありますか?

 一年の時は、小学校の3~6年の4年間続いた同級生と離れたショックもあり、新同級生にはなかなか馴染めず、教室の中では大分よそよそしい態度を取っていたのを思い出します。

 その態度が生意気に映ったのか、同級のOさんにはかなり苛められました。私の左側に席を置いていたOさんに、突然椅子ごと蹴られた経験があります。それでも知らぬ存ぜぬの私の態度に、さらにその苛めはエスカレートしたのを良く憶えております。

 二年の思い出は、やはり苛め。三年の女子バスケのメンバーに廊下又は体育館で”オオイ~マンドリン”と野次られたのには、閉口しました。どうも私の発育し過ぎのバストを揶揄したのだと思います。でも、やはり無視したのが気に入らなかったのでしょう。彼女達が卒業するまで続きました。

 楽しかった事もあったのです。この年初めて上級生にほのかな思いを持ちました。でもその上級生とは口も聞いた事がなかったのですよ。今は良い思い出です。

 三年の時の思い出は、やはり受験にまつわる思い出ですね。正規の授業後に補習(今みたいに塾とかなかったのですね。)を受けた事。この補習が終ると外は真っ暗、いつも仲条屋の敏ちゃんと帰途につきました。夜なので街中のコースを選び、決まって、「いくよ」の前を通るとき、敏ちゃんと「寄る?」と頷き合って、中華そばを食べた時のあのおいしさを忘れる事が出来ません。どちらかと言うと、補習が目的ではなく、帰りに中華そばを食べたかったのが本心だった様です。

 でも、私は、小遣いを貰っていなかったので、敏ちゃんに借金して食べたものでした。帰宅後母親に、借金の事を言うとすぐ代金を呉れたものです。私なりの知恵だったのでしょうね。

 帰郷の時は、よく「いくよ」に中華そばを食べに寄ります。相変わらずおいしいですね。~

 その敏ちゃんとは、今もずっと交流が続いております。