2008年9月18日木曜日

残暑お見舞い申上げます。

 
 ここ2,3日の天候は、朝はヒヤリで秋支度、昼近くは夏の直射日光がジリジリと・・・、2階に上って、夏服にお着替え、夕方やはり暑い、そして夜半(ちょうど0時過ぎ)もやはり暑く、お風呂上りに扇風機をかけています。不安定な天候に比例して私も疲れが増すばかり・・・、でももう少しで秋ですね。

 そうです!!大好きな秋の到来です。ちょうど今ぐらいから10月中旬ぐらいまで、わが町の唯一全国的に名の知れた「巾着田の彼岸花」が咲き始めます。
 「巾着田」とは、日高市内を流れる高麗川の蛇行で形作られ、見るときんちゃくに似ていることから巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれる様になりました。
 興味のある方は、http://www.kinchakuda.com/をクリックしてみて下さい。
 コスモス畑もあります。
 私がジローの散歩中に怪我をしたのも、この場所です。私が住んでいる地域では、風に乗って巾着田から飛んで来た彼岸花の種が花をつけます。あちこちにひっそりと咲く彼岸花の風情が何ともやさしく、私はこの彼岸花が好きです。レイアウトされた「赤いジュータン」と化した巾着田の彼岸花はあまり好きではありません。

 それと、コスモスも「群生」よりも、野辺につつましく咲いている方が好きですね。コスモスを見ると、母を思い出します。見た目弱々しいのですが、凛とした立ち居姿は母そのものです。
 秋が深まると、私も元気が蘇ります。
 つたない文ですが、投稿もします。
 皆様も近況をお知らせ下さい。

2008年9月17日水曜日

かかし祭り~天地人


かみのやま温泉の秋祭り(三社祭)も終わり、秋ですね、、、。

おどろいた、おどろいた、おどろいた

いろはの若い衆はおどろいたぁ

チンチロリンとならして~、、、

憶えていますか?踊り山車を曳く時の若い衆の曳き歌です。

私たち小学生の頃は、踊り山車が3日間でて、新丁坂下か

ら新丁クランクをようやく曲がっていました、十日町、二日町、

までも付いて行ったのを憶えています。

また、芸者衆も山車で踊れて一人前、段物を踊って格式の高

いものでした。化粧も顔師がきていたようですし、衣装も相当

なものだったようです。

谷待ち的存在の旦那衆が多い時代は続いたのでしょうが、一時

途切れてしまいました。同級生の故鈴木勝也さんや石井茂吉

さん(旧姓石井良さんの弟)青年会議所の方々が中心になって

復活させて30年近くになるようです。

 湯の町上山も例にもれず、芸者衆が少なくなり、一昨年あた

りから山車で踊るのは山形舞妓さんです。もう1台は踊りの社

中の屋台です。

 かかし祭りの会場もかみのやま城の公園から市役所隣の市民

公園に移って2年目です。

 その時代を映して、アイデアを練り、学校、地区、職場、、、。

で手作りです。北海道や千葉など県外からの出品もあります。

BGMは30、、年前の南春男(?)のかかし音頭が流れてました。

さだまさしのかかしではこの会場では雰囲気が会わないのかな~

2008年9月16日火曜日

かかし祭り

 秋祭りがたけなわの今日この頃ですが、14日の朝刊に「かみのやま(♨)全国かかし祭」が紹介されていました。かかし祭りとしては日本一の規模で、大小合わせて六百五十体を超す手づくりかかしが出品されたそうです。

 世相を反映してか、「激怒!居酒屋タクシー」、「あなたとはちがうんです」など霞ヶ関の不祥事や首相辞任劇を皮肉ったものも登場。原油高や北京五輪についての作品も多かったとか。

 でも、待てよ! かかしは私の記憶では、田畑を荒らす鳥達を追い払う為に、人間に似せた番人風な人形(それも似ても似つかないヨレヨレの人形、即ち、即効性をねらった人形)が多分オリジナルと思っていたのですが、果たして、鳥達は日本語を読めるのかしら・・・などなどつまらない疑問を持ってしまいました。

 グランプリは来年放映予定のNHK大河ドラマ「天地人」にちなんだ地元山形ゆかりの直江兼続のかかし。歴史も無知な私は、直江兼続を知りません。どなたか教えて下さい。

 21日までの会期中、十八万人の人出が見込まれているらしいのです。

2008年9月15日月曜日

古里の秋祭り

古里を離れている29年卒業生の皆さん、上山の秋祭りで町内に繰り出した「山車」を覚えていらっしゃいますか。法被姿のいなせな若い衆が山車を引き、山車の上では美しく着飾ったお姐さんたちがあでやかな踊りを披露するあの山車です。一度は途絶えながら、地元の若い人たちの熱意で復活してから30年になるそうです。小生が最後に見たのは中学1~2年生だったかもしれません。近くに住みながら、その後は見たことがありません。
しかし、今朝の新聞で踊り山車の記事を読み、50年以上も前の祭りを想い起こしました。当時は我々の新丁まで山車が回って来たのではなかったでしょうか。踊りもさることながら、お姐さんたちの艶かしい唄声に合わせ、威勢良く山車を引いていた若い衆の姿が目に浮かびます。お姐さんたちが口にしていた唄は「今もそのまま唄われているのだろうか」とか、当時の若い衆は「我々よりも幾つぐらい年上の方々だったのだろうか」などと、懐かしさを覚えながら、山形新聞から写真を切り抜き、取り込んでみました。

2008年9月12日金曜日

久しぶりの投稿です

長い間、ご無沙汰してしまいました。5月初旬、奈良県に住む下の娘が2歳半の男の子(小生にとっては唯一の孫)を連れて里帰りして以来、パソコンから遠ざかっておりました。
どこの家庭でも同じかもしれませんが、小さな子供にとっては家の中にあるすべての物体が興味の対象となり、飽きてしまうまで遊び道具になるようです。パソコンも例外ではありません。スイッチ・オンであれば手当たり次第にキーボードを押されてしまいます。
夫婦二人きりの生活に慣れきったペースが一転し、2歳半中心の生活ペースになったのは、言うまでもありません。そして娘の注文はNG(駄目)という言葉は遣わないでほしい。子供の気持ちに伝わるような言い回しで納得させほしい。子供に危険を及ぼすようなものは予め片付けてほしい。安易に食べ物を与えない(特に甘いもの)でほしい-等々。
となると、なかなか手強い2歳半でもあったが、目線を大人ではなく、2歳半に移してしまえばそれほど難しいことではありませんでした。来た当時の体重は15キロぐらい。体は大きめながら、気は小さめの甘えん坊といったところ。上山の実家へ行ったり、公園や遊園地で一緒に走り、遊び回っているうちに、暑い盛りが過ぎ秋の気配が漂い始めておりました。
その娘と孫が奈良へ帰ったのはお盆過ぎ。また二人だけの生活に戻り、パソコンに向かう時間も増えてきました。交流の輪に復帰させてください。

2008年8月28日木曜日

心配です!!


ジローさん、怪我をなされ入院されてから大分日数

がたちますがその後いかがでしょうか?

ブログが更新されないので、御加減が心配です。

 暑さもひとしきり、8月もまもなく終わろうとしています。

蔵王の山々も何となく澄んできています。山頂近くは

赤トンボが飛び交っていることでしょう。

まもなく「かかしまつり」も始まります。サイドバーの

かみのやま温泉観光協会をクリックしてみてください。

趣味のアレンジフラワーも暑さを通り越して花材も豊富

になり、花持ちも少しよくなりまして楽しさがましました。

今月は 花笠、月遅れのお盆などと、何かといそがしか

ったですがこれからは アレンジフラワーに集中できそ
うです。

みなさん、近況をお知らせくださ~い、、、。

2008年8月5日火曜日

暑いです


暑いぞ 熊谷 今年も!
 毎日暑い日が続きます。去年最高温度40.6度を出した熊谷は我が家から歩いても10分。うだるような暑さに対抗して毎日クーラー漬けの日々を送っています。後で体がだるくなるかな~と 気にかかるのですが もわっとした空気には耐えられません。昨年最高温度を記録した8月16日の未明に不思議な体験をした話をしたいと思います。 父は戦死をしました。6人兄妹の長男でその当時は大学は出たけれど就職がなく 今の韓国(朝鮮)の女学校の先生の口ならあるよとの知り合いの縁で赴任し 母は若いうちはしゅうとたちとは離れて暮らし 長男だから後で家を継げばいいじゃないかとの縁談で結婚したようです。 私が数え年で2歳のときに父に召集令状が来て 「日本の国で待ってなさい。」と母に言い残したそうです。今になれば そのあたりをもっとしっかり聞いておけば 又聞いててあげれば 母も沢山話せたろうにと悔やんでいる箇所です。上山の家は祖父 祖母 おじさん 叔母さん おじさんの家族総勢10人もいましたから 父が戦死して居なくても寂しい思いはせずに育った気がします。という事は 思い出も何も無いので失礼ながら 存在すら考えずここ何十年過ごしてきてしまいました。いかに呑気なわたしでも戦後60年とか世間で マスコミで騒ぎ始めてるころから気になっていました。  今は亡き母が 我が家に来る毎に持ってくるお土産の中に父が帽子をまぶかに被った写真を納めた写真立てを何気に飾っていってくれたのでした。ずうっと中を見ることも無くいたのですが 昨年は 終戦記念日も近いし 写真立てのガラスも磨こうとばらしてみたら サイパン島~で云々書いてありました。何かとても身近に感じ始めていた矢先のあの暑い日の真夜中に 宵っ張りのわたしが 「あついわあー」と空を見てたら電信柱ぐらいの高さに 綺麗な青 真ん中にいくほどしろくなっていく火の玉 すうっと10mほど流れたのです。火の玉ってあおいの?赤くないのだ?なんてよぎった後は鳥肌が立ったけど ほんとにきれいでした。きっとあれは 父との接点 つながりをお互いに感じたよーとの合図と思っています。ずいぶん とろい娘でもうしわけないきがします。 姉にもこのことを話し 今年11月ころ慰霊の旅をし サイパンの海に花を手向けてきます。先だって シンガポールにいる娘家族のこと投稿しましたが どんでんがえしの結果でもう日本にいます。いきさつはこの次といたします。
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