2010年4月18日日曜日

時速5㌔の伊勢参詣④

【3日目:福島市~二本松市~郡山市】

《桜が満開の福島路》
朝6時にホテルを出発。すぐに阿武隈川を渡った。しばらくは国道4号の歩道を歩く。通勤ラッシュにはまだ早い。曇り空。緩い上り坂で向かい風が強かった。急ぐこともない。一歩一歩、ゆっくりと歩を進めた。次第に車が増え、ラッシュの時間帯となった頃、旧街道に下りた。
福島市と安達町の境界を過ぎるあたりから雲が切れ、風もおさまった。朝食は8時半ころ通りがかりのコンビニで弁当を買い、街道筋にあった小さな神社の境内で満開の桜を見ながら食べた。山形は梅が満開、桜は咲き始めだったが、福島路は桜が満開だった。

《安達太良山がくっきり・智恵子の里》
10時半ごろ安達町の中心部に着き、高村智恵子の生家を訪ねた。明治初期に建てられたという造り酒屋が復元され、裏庭には智恵子記念館もあった。記念館には智恵子の油絵や紙絵、雑誌の表紙を飾ったデザインなどが展示されていた。くっきりと姿を見せた安達太良山を含め、ふるさとを想う「智恵子の世界」に触れることができた。
ただ、智恵子の生家前で写真を撮ってもらったとき、カメラを路上に落としてしまった。次に寄った二本松市の霞ヶ城でもシャッターを押してもらったが、まともに写っているかどうか。それまで撮った写真も大丈夫かどうか心配だ。霞ヶ城は満開の桜が美しく、観光客や家族連れでにぎわっていた。

《田園の旧街道を往く》
 二本松から郡山まではかつての奥州街道を中心に歩いた。ほぼ並行して走っている国道4号とは違い車の数が極端に少ない。田園風景が続く中で古い家並の集落を幾つも通り抜けた。
日差しが強く、やたらとのどが渇く。前日と同じように水分補給のペットボトルが離せない。通りがかりの自動販売機で求め、空になるとすぐに補充した。
 昼食を取ったのは午後1時半ごろ。本宮町の食堂で店自慢の串カツ定食を食べた。かなり空腹だったので大盛りを注文して後半の行程に備えた。
 福島―郡山間は40数㌔。暑い中での長丁場だ。その後も道路沿いの公園や神社などで休憩を重ね、郡山駅近くのビジネスホテルに着いたのは夕方5時近かった。福島を出てから約11時間がかり。後半は背負っている荷物が重く感じ、両足のつま先や腰の周りなどが痛みだした。しかし、郡山まで3日で来た自信は大きいものがある。
(続く)

2010年4月17日土曜日

時速5㌔の伊勢参詣③

【2日目:七ヶ宿町~桑折町~福島市】

《絶景の七ヶ宿ダム右岸》 

午前6時に朝食。6時半に本陣旅館を出た。さわやかな青空。朝の日差しを正面に受けながら、まず福島県の桑折町を目指した。夜、ぐっすり眠ったせいか前日の疲れはない。足も軽い。
 
出発して間もなく七ヶ宿ダムの上流部に出た。ダム周辺は自然休養公園として整備されている。
ダムの規模は山形県の寒河江ダムに次いで東北2番目になるという。宮城県南部の水がめでもある。
ダムの左岸を国道113号が走る。早朝から大型車が多い。朝の通勤時にも掛かる。国道113号を避け、対岸(右岸)の道路を通ることにした。

途中から1車線になり、カーブやトンネル、橋が多い。所々に車の待避スペースが設けられていた。

しかし、景観が素晴らしい。何度もカメラのシャッターを押した。とりわけ残雪の南蔵王連峰が湖面に映えて美しかった。

2時間近く歩いても通る人はもちろん、1台の車とも出会わなかった。およそ10㌔の空間を一人占めにしたようで、何か得をしたような気分でもあった。

《小坂峠から福島県へ》
ダム下流に奇岩で有名な「材木岩」がある。高さ100㍍ぐらい。材木を並べたような岩肌が目の前に広がる。この材木岩の近くから藩政時代の宿場だった下戸沢、上戸沢を通って小坂峠に向かった。

小坂峠は宮城県と福島県の県境でもある。緩い上りが続き、気温も高い。水分を切らさないように心掛けた。県境近くの街道沿いに朱塗りの鳥居が並ぶ神社の参道があった。奥に萬蔵稲荷という稲荷神社があるという。
このお稲荷さんを過ぎると間もなく県境だった。県境についたのは11時を少し回ったころ。眼下に福島県側の眺望が開けていた。しばらく道端に腰をおろし、この景観を楽しみながら休憩の時間を取った。

福島県側は急な下り坂。ヘアピンカーブが続き、
日光の「いろは坂」を思い出した。車に注意しながら走るようにして下った。
《羽州街道と奥州街道の分岐》
桑折町に着いたのは正午過ぎ。羽州街道と奥州街道が分かれるところ。古くから「桃の里」として知られ、伊達家発祥の地とも伝えられる。

宿場町の面影をたどりながら町の中心部を歩く。伊達町の近くで国道4号に出た。 予定ではこの伊達町あたりに二日目の宿を取るつもりだった。

だが、伊達町で午後1時を過ぎたばかり。しかも福島市の中心部までは10㌔弱。あと2時間ぐらい頑張れば行けないことはない。

電話で福島市内のビジネスホテルを予約し、国道4号を南下した。足取りは重くなったが、休まず歩けば遅くとも16時まではホテルに着けるはずだ。
 
福島市内の国道4号はこれまで一度も通ったことがなかった。このため沿道の街並みにけっこう目を奪われる。福島競馬場も外観だけながら初めて見ることができた。
15:40頃、予約したビジネスホテルに着いた。場所は国道4号と13号の交差点近く。
初日と合わせ歩いた距離は90㌔ぐらいになっただろうか。
明日は郡山を目指す。距離は45㌔ぐらい。
朝6時に出発すれば休憩や食事の時間を含めても17時ころまでに着けるだろう。
(続)

季節はずれの雪

17日(土)の朝は山形も季節はずれの雪が降っています。

屋根も道路も真っ白。多分、月岡公園も白一色のことでしょう。

21日(水)に予定している6年1組の観桜会が心配です。

予報によると今日、明日は雪か雨模様。
来週もお天気マークがありません。

曇り空が続き、春爛漫とはいかないようです。
まずは上山の皆さんに連絡を取らなければ…。

そんな1日になりそうです。

2010年4月16日金曜日

時速5㌔の伊勢参詣②


【1日目:山形~金山峠~宮城県七ヶ宿】

《楢下までは最短コース》
「じゃあ行ってきます」。玄関前で出発記念のシャッターを押してくれた
家内に軽い言葉を残して自宅をあとにしたのは午前6時。

この日まで何度も上山を往復し、歩き慣れた山大医学部までの通りを、
いつものペースで歩き始めた。ジーパンにウォーキングシューズ。
下着や洗面道具の入ったリックを背負っているとはいえ、
今から伊勢まで歩いて行くとは誰も分からないだろう。
自分自身にも気負いはない。まずは淡々と上山市の楢下を目指した。

本来なら片谷地、松原、黒沢といった
旧羽州街道を通って上山市へ抜けたいところだったが、
この日の宿は七ヶ宿町の関地区に予約してある。
かなりハードな行程となるため、山大医学部前から成沢、
半郷、金瓶、金生、宮脇、牧野を通って楢下に直行した。

それも金瓶から旧上山街道の金谷、泉川を抜けて
国道13号(上山東バイパス)に出る最短コースを選択した。

自宅を出発して2時間後、午前8時に上山市金生の
国道13号沿いで朝食を取った。
食事は近くのコンビニで買った弁当とお茶、パンなど。
朝の通勤ラッシュで流れる車の帯を見下ろしながら食べた。

食後に軽いストレッチをして再び歩き始めた。
宮脇八幡宮から牧野の集落を抜けて
楢下の「滝沢屋」に着いたのは午前9時45分。
管理人のおばさんにお願いして看板の前で
記念のシャッターを押してもらった。

《金山峠から宮城県へ》
金山峠は藩政時代、参勤交代で江戸を往き来する
秋田の佐竹藩主らが整備したともいわれる。
楢下と七ヶ宿を結ぶ最短ルート。道幅が狭く、
曲がりくねった山間道路のため、
12月から3月末まで通行止めになる。

半月ほど前に下見をしたとき、野生の猿が集団で出没していた。
案内してくれた地元の青年に「危険はないのか」とたずねたところ
「目を合わせなければ大丈夫」ということだった。
しかし、峠道を長時間、一人で歩く不安から、
自衛のために長さ60㌢ほどの樫の棒を携帯した。
後日、この棒を持っていたために警察官の職務質問を受けることにもなった。

《県境までは一気》
楢下から金山峠までは約6㌔。かつて鉱山があった赤山地区で
高畠町二井宿方面へ向かう道路と分かれ、左の山道へ入る。
道幅が狭く、カーブが多かったものの、それほどきつい上りではない。
県境までは一気に上りきった。

さすがに交通量は少ない。出会った車は5台足らず。
このうち七ヶ宿側から峠を越してきた福島ナンバーの
高齢者夫婦から「峠道での姿」を撮ってもらった。

山形・宮城の県境では道端に雪が残っていた
県境を通過し、宮城県に入ったのは11時を少し過ぎた頃。
自宅を出てから5時間になる。まずは最初の難関を越えた。
ほっとしながら七ヶ宿町の歓迎看板が立つ休憩所で一息入れた。
とはいえ関地区の「本陣旅館」まではまだ20㌔もある。けっして楽ではない。

《山間の宿場町・七ヶ宿》
県境から50分ほどで国道113号に合流した。
国道113号は宮城県の白石方面と山形県の県南地域を結ぶ主要路線。
二井宿峠(高畠町)の改修が進んでから交通量が増え、
特に大型トラックの走行が目立つ。

山形を出発してから30㌔は超えただろうか。
新調した靴がまだ馴染みきっていない。
両足のつま先に痛みを感じるようになった。
我慢できないほどではなかったが、
七ヶ宿スキー場入り口の峠田地区で靴を脱ぎ、しばらく休憩した。    

七ヶ宿町かつて湯原宿、峠田宿、滑津宿、関宿、渡瀬宿、
下戸沢宿、上戸沢宿と山間地域に七つの宿場があった。
町内を東西に横切る街道(国道113号)は藩政時代、
羽州13藩の参勤交代や出羽三山参りの人々が
往き来した「歴史の道」でもある。 

滑津地区の街道沿いに建つ安藤家本陣は
当時の面影を残しながら保存されている。
8月には町内の旧街道を草鞋履きで歩くイベントもあるらしい。

最初の宿「本陣旅館」に着いたのは15時15分頃。
自宅を出発してから9時間を過ぎていた。
初日にしてはハードな行程だったが何とかクリアする事ができた。

本陣旅館は七ヶ宿町の役場近くの関地区にあり、
昔の宿場町を想い起こさせる民宿。

歩いて伊勢に向かう旅の第一夜としては
似合いの“旅篭”であったかもしれない。
(続)

2010年4月15日木曜日

時速5㌔の伊勢参詣①

4月15日といえば、7年前の2003(平成15)年に「時速5㌔の伊勢参詣」と称し、山形から伊勢まで
徒歩旅行した際の自宅を出発した日でした。

「じゃあ行ってきます」。玄関前で出発記念の
シャッターを押してくれた家内に軽い言葉を残して
自宅を後にしたのは午前6時。といった書き出しで
綴った紀行文も懐かしい。

ジローさんにメールで送りアップロードしていただいたのがその表紙です。

パラパラめくっていると、10日で東京に着き、
さらに箱根を越え、大井川や木曽3川を渡って
27日目に伊勢へ着いたことを鮮明に思い出します。

ブログの投稿欄をお借りし、紀行文の要旨を抜粋しながら、
7年前のルートをたどってみます。


《60歳のチャレンジ》
還暦と定年退職の記念に2003年春、
徒歩での「お伊勢参り」に挑戦した。
心身ともに健康で還暦を迎え、
42年のサラリーマン生活をまっとうできたことに感謝しながら、
改めて自らの体力、気力を試してみるつもりだった。

「時速5㌔の伊勢参詣」と称し、自分の足だけが頼りの一人旅。
一抹の不安はあった。しかし4月15日に山形市の自宅を出発し、
10日目に東京へ到着。さらに箱根を越え、
大井川や木曽三川を渡って27日目に伊勢神宮を参拝した。
余勢を駆って奈良県の室生寺まで足を延ばし、
最後は奈良市内から下の娘が住む高槻市まで歩くことができた。

一時、左足首付近を痛め、思い切って歩けない日が
何日か続いたが、歩一歩、休まず足を運んでいるうちに
東北から関東、東海、近畿と“踏破線”は着実に延びていった。

一日に歩いた距離は平均20~30㌔ぐらいだろうが、
正確な数字は把握していない。道すがら時間の余裕があれば
各地の神社仏閣や名所、旧跡などを訪ねた。

毎日が刺激的で新鮮そのもの。
32日間でおよそ1千㌔の道のりだったが、
あっという間に過ぎたような気がする。

2010年4月9日金曜日

6年1組の観桜会

4月21日(水)11:00過ぎから上山の月岡公園で
6年1組の観桜会を開くことになりました。

幹事は去る7日(水)、山形国際ホテルで
花屋隆さんの絵画展を鑑賞した後、
バイキング・ランチを共にした4人です。

当日は11:00に上山城の入り口前広場に集合し、
月岡公園の適当な広場にブルーシートを敷いて
「車座の宴」で盛り上がる予定です。

上山の女性陣がブルーシートを用意してくださるほか、
飲み物・食べ物の買出しも担当してくださいます。
男性陣は連絡と後片付けを担当することになりました。

当日「桜花がどうなっているのか」は、話題になりませんでした。
満開なのか、桜吹雪なのか、あるいは葉桜なのか…。

気にすることではありません。観桜は口実的な存在。
まずは同級生が集まることが第一なのですから。

昔日と変わらない蔵王連峰の雄姿を望みながら、
野の宴を同級生の誼を最大限に活用して楽しもうというものです。

日時、会場、役割分担など、事務的に打ち合わせすれば
数分も掛からないところですが、久しぶりにお会いした同級生同士、
しかも行動範囲が広く、話題が豊富な方々とのテーブルでは、
話が四方八方に飛び、迷路の中を行きつ戻りつを繰り返します。

迷路にいざなうのは女性の方が圧倒的に多い。
しかも加齢に伴う機能低下(?)が無きにしも非ず-とあって、
「何処まで決めたっけ?」ということもしばしばでした。

役割分担でいろいろ引き受けてくださった方が、
メモも取らずに泰然としておられたので、
大丈夫かなあという不安を感じましたが、
もう一人の方がしっかりと要点を確かめながら
リードしてくださるようなので、安心しています。

雨が降ったばあいの対策はこれから考えます。

6年1組以外の方々からの差し入れも大歓迎です。
昨今の宅配網で遠方からも時間を掛けずに届きます。
各地の珍味、佳肴をお待ちしています-というのは厚かましいですね。
と言いながらもブログの効用を試そうとしています。

同級生の誼に甘えながら、
育ちの悪さ、性格の悪さを露呈してしまいます。

同級生の絵画展(Ⅱ)

去る7日(水)、山形国際ホテル4階メセナホールで開かれた
花屋隆さんたちの絵画展を拝見しながら6年1組や
イガッタ会の皆さんとお会いすることができました。

花屋さんはかつて勤務していた職場の仲間たちと
毎年、絵画展を開いているもので、
今年は8回目になるそうです。

花屋さんの作品は水彩画や切り絵など11点。
雪降る節の「長谷堂城跡」や
桃の花が咲く頃の「月山・葉山」、
かつて出羽三山参りで栄えた「西川町本導寺の集落」、
さらに木炭で描いた「裸婦」など、
いつもながら素敵な作品ばかりでした。

しかも、会場では同級生ばかりではなく、
訪れた数人の方々と一緒に花屋さんから
「街道筋に家屋は描いていないけど、
道に影を描いて家並みの感じを出した」とか
「長谷堂の雪は筆毛につけた水彩絵の具を
和紙に弾き飛ばして描いた」などと、
1点1点の作品が完成するまでの過程や表現方法を
聴きながら一層、深く鑑賞させていただくことができました。

この日、会場でお会いした同級生は、
上小ブログを見て上山から駆けつけてくださった
「イガッタ会」のお二人と、6年1組の4人でした。

イガッタ会のお二人は早めに帰宅しなければならず、
昼食を共にすることはできませんでしたが、
6年1組の4人はホテルのバイキング・ランチを楽しむことが出来ました。

会話の中で、4月21日(水)11:00から月岡公園で
6年1組の観桜会を開くことになりました。