ブログの仲間が増えました。
既にご存知の方もおられると思いますが、スイス在住の雪子プルスさんです。
彼女は既にご自分のブログをお持ちで、その場を通して、持ち前の文才と卓越した識見を惜しみなく発揮され、溢れるばかりのパワーを私達に与えて下さっています。
書く事がお好きと伺いました。
私達のブログをきっと賑やかにして下さるでしょう。
サイドバーから、彼女の個人ブログをちょっと覗いて見られたら。。。
歓迎を込めて、撮れたて写真を一枚ほど。
2010年4月27日火曜日
蔵出し・時速5㌔の伊勢参詣⑦
6日目:西那須野町~矢板市~宇都宮市
《雨具を着用》
朝から雨。初めて雨具を着用し、リックにはビニールカバーを掛けた。
朝から雨。初めて雨具を着用し、リックにはビニールカバーを掛けた。
このためサイドポケットに立てていた樫の棒は、手に持って歩くことになった。
山形市内のホームセンターで買ったのこぎりの柄。長さは60㌢ぐらい。
金山峠など山間部を通るときの護身用に持ってきたものだ。
握りの部分が丸く、先端は四角で平らになっている。
疲れたときに肩とか太もも、ふくらはぎを軽くたたいて刺激を与えるのに都合が良かった。
道中、何かと役に立つだろうと思い、捨てないでリックのサイドポケットに入れていた。
《矢板市内で職務質問を受ける》
ところが、この日は手に持っていたために、警察官から職務質問を受けてしまった。
《矢板市内で職務質問を受ける》
ところが、この日は手に持っていたために、警察官から職務質問を受けてしまった。
手に持っているだけでなく、人通りのない沿道では木の枝や雑草を
テニスのボールに見立て、サーブやボレーの真似をしたり、
ときには野球のバットスイングのように振ってみるなど、結構、振り回しながら歩いていた。
これが雨の中を合羽姿で歩き、しかも凶器(?)を振り回す不審者と見られたらしい。
矢板市郊外の国道4号でパトカーから降りてきた警察官2人に呼び止められた。
通りかかりの車から通報があったということだったが、
自分たちがパトロール中に目撃して不審に思ったのかもしれない。
いずれにしても怪しいものに見えたということだろう。
行く先、目的にはじまり住所、氏名、年齢、職業、電話番号のほか、
振り回していた樫の棒の用途を尋ねられた。
運転免許証を提示し、還暦・定年退職の記念に歩いて伊勢参りに行く途中であること、
運転免許証を提示し、還暦・定年退職の記念に歩いて伊勢参りに行く途中であること、
歩くのは日中だけ、夜は民宿やビジネスホテルに宿泊していることなどを話し、
樫の棒については疲れてときに肩や足をたたくマッサージ器のようなものだと説明した。
山形から三重県まで歩くと聞いて2人ともびっくりしたようだったが、
事件に関連するようなことがないと確認したらしく、
朝食を兼ねた昼食を取った。この日は朝6時20分ころ出発し、国道4号を南下した。
大田原市から矢板市に入り、氏家町に抜ける。雨の中で朝食をとるチャンスを逸し、朝食と昼食を兼ねることになった。
ボリュームのある野菜炒め定食で空腹を満たし、
正午前にトラックターミナルを出た。雨はまだ降っていた。
晴れ間がでたのは氏家町に入ってから。
通りがかりにユニクロの店があったので、下着2枚と長袖シャツ1枚を買った。
通りがかりにユニクロの店があったので、下着2枚と長袖シャツ1枚を買った。
長袖シャツはその後、洗濯をしながら伊勢、奈良まで着ることになった。
氏家町の中心部を過ぎ、上阿久津という所からかつての奥州街道に入り、鬼怒川を渡った。
氏家町の中心部を過ぎ、上阿久津という所からかつての奥州街道に入り、鬼怒川を渡った。
トレーニングで自宅から上山市楢下を往復したときも痛みを感じたところ。
少しずつ筋肉が硬くなるような感じ。ストレッチをしながら騙そうとしたが、痛みも出てきた。
もしかすると疲労性の肉離れ(?)。ホテルを予約してある宇都宮まではまだ10㌔以上もある。
だが、歩き続けるしかない。途中、杉並木が残る白沢街道で何度か休みながら宇都宮にたどり着いた。
《ホテル代が半額、定年感謝祭というキャンペーン》
宿舎はJR宇都宮駅西口近くの「東横イン」というビジネスホテル。
《ホテル代が半額、定年感謝祭というキャンペーン》
宿舎はJR宇都宮駅西口近くの「東横イン」というビジネスホテル。
郡山でも泊まったホテルだが、チェックインの手続きを取っていると、
フロントの係員から「お客さんの身分を証明できるものがありますか」と聞かれた。
年齢を61歳と記入したためだが、定年感謝祭というキャンペーンで
日曜日と祝祭日は60歳以上なら半額になるという。
この日は職務質問に次いで2度目の運転免許証の提示だったが、
この日は職務質問に次いで2度目の運転免許証の提示だったが、
ホテル代が半額になるというので今度は喜んで提示した。
ちなみにこの日の宿泊費は3,675円で済んだ。
機会があったなら、また利用しようと思ったが、この後は日曜日と祝祭日に
宿泊した都市に「東横イン」がなく、甘い汁を吸えたのは1度だけだった。
(続く)
(続く)
2010年4月23日金曜日
蔵出し・時速5㌔の伊勢参詣⑥
【5日目:白河市~黒磯市~西那須野町】
《国道4号沿いに栃木県入り》
朝6時にホテルを出た。この日も好天に恵まれ、
快調な滑り出し…と思っているうちに、
目指した方向とはまったく違う道を歩いていた。
ホテルから国道4号に出て黒磯方面へ向かうのがこの日のルート。
だが、旧陸羽街道の国道294号方面へ向かっていた。
散歩をしていた地元の人に道をたずねながら
目指すルートに出ることができた。
時間的にだいぶロスをしたが、あせる必要はない。
この日のうちに目的地へ着けばいいのだから…。
朝日をうけた那須の山並みをのぞみながら栃木県境へ向かう。
国道4号は次第に人家が少なくなった。
前日、ホテルで洗濯した靴下が乾いていないことを思い出し、
リックの外に出して日に当てながら歩いた。
《那須連山をのぞむ晩翠橋》
7時半ころ栃木県境を通過し、
8時半ころ那須町の柏沼というところで朝食を取った。
コンビニで求めたパンと牛乳で済ませ、
次に休憩した弓落(那須町)という交差点でカロリーメイトを補給した。
黒磯市の中心部まで5㌔ぐらい。
国道4号(バイパス)とは別の旧道を通って市街地に向かった。
正午前に那珂川に架かる「晩翠橋」という橋を渡った。
アーチ型の美しい橋で、那須連山の雄大な姿とうまくマッチしていた。
晩翠は「冬枯れの時期でも草木の緑色が変わらない」という意味だそうだ。
那珂川の岸に生い茂る松の緑から名付けられたという。
《黒磯駅前で昼食》
昼食はJR黒磯駅前の食堂で座敷に上がり、ゆっくりと取った。
白河から約30㌔。一日の行程として目安にしていた距離でもあり、
この黒磯市内に泊まることも考えていた。
しかし、午後1時を過ぎたばかり。時間的にまだまだ余裕がある。
12㌔ほど先の西那須野町まで足を延ばすことにしてビジネスホテルを予約した。
《三島通庸の足跡》
黒磯市を過ぎ、西那須野町に入ってから「三島」という地名の農村地域を通った。
明治の県令・三島通庸らの尽力で開拓され、
三島農場や旧三島村が設立されていたという。
西那須野町を含む「那須野が原」一帯は
かつて荒涼とした原野だったらしい。
本格的な開墾が始まったのは明治時代に入ってから。
開墾は地元の有力者や三島通庸ら明治士族の尽力で進められ、
特に那須疎水の整備が進むにつれて不毛の地が
緑豊かな大地に変わっていったらしい。
三島通庸は山形県内でも土木県令の異名をとり、
道路整備などに功績を残しているだけに、
その足跡を思い起こさずにはいられなかった。
《西那須野町に宿泊》
とはいえ連日40㌔を超す行程のせいか、疲れを感じはじめた。
背中の荷物がやけに重く感じられるようになり、足取りも重い。
休憩回数と水分補給を増やしながら国道4号を南下し、
午後4時半過ぎに西那須野駅前のホテルに着くことができた。
背中の負担を減らすため、余分な荷物を自宅へ送った。
少し弱気な面が出たところでもある。
(続く)
《国道4号沿いに栃木県入り》
朝6時にホテルを出た。この日も好天に恵まれ、
快調な滑り出し…と思っているうちに、
目指した方向とはまったく違う道を歩いていた。
ホテルから国道4号に出て黒磯方面へ向かうのがこの日のルート。
だが、旧陸羽街道の国道294号方面へ向かっていた。
散歩をしていた地元の人に道をたずねながら
目指すルートに出ることができた。
時間的にだいぶロスをしたが、あせる必要はない。
この日のうちに目的地へ着けばいいのだから…。
朝日をうけた那須の山並みをのぞみながら栃木県境へ向かう。
国道4号は次第に人家が少なくなった。
前日、ホテルで洗濯した靴下が乾いていないことを思い出し、
リックの外に出して日に当てながら歩いた。
《那須連山をのぞむ晩翠橋》
7時半ころ栃木県境を通過し、
8時半ころ那須町の柏沼というところで朝食を取った。
コンビニで求めたパンと牛乳で済ませ、
次に休憩した弓落(那須町)という交差点でカロリーメイトを補給した。
黒磯市の中心部まで5㌔ぐらい。
国道4号(バイパス)とは別の旧道を通って市街地に向かった。
正午前に那珂川に架かる「晩翠橋」という橋を渡った。
アーチ型の美しい橋で、那須連山の雄大な姿とうまくマッチしていた。
晩翠は「冬枯れの時期でも草木の緑色が変わらない」という意味だそうだ。
那珂川の岸に生い茂る松の緑から名付けられたという。
《黒磯駅前で昼食》
昼食はJR黒磯駅前の食堂で座敷に上がり、ゆっくりと取った。
白河から約30㌔。一日の行程として目安にしていた距離でもあり、
この黒磯市内に泊まることも考えていた。
しかし、午後1時を過ぎたばかり。時間的にまだまだ余裕がある。
12㌔ほど先の西那須野町まで足を延ばすことにしてビジネスホテルを予約した。
《三島通庸の足跡》
黒磯市を過ぎ、西那須野町に入ってから「三島」という地名の農村地域を通った。
明治の県令・三島通庸らの尽力で開拓され、
三島農場や旧三島村が設立されていたという。
西那須野町を含む「那須野が原」一帯は
かつて荒涼とした原野だったらしい。
本格的な開墾が始まったのは明治時代に入ってから。
開墾は地元の有力者や三島通庸ら明治士族の尽力で進められ、
特に那須疎水の整備が進むにつれて不毛の地が
緑豊かな大地に変わっていったらしい。
三島通庸は山形県内でも土木県令の異名をとり、
道路整備などに功績を残しているだけに、
その足跡を思い起こさずにはいられなかった。
《西那須野町に宿泊》
とはいえ連日40㌔を超す行程のせいか、疲れを感じはじめた。
背中の荷物がやけに重く感じられるようになり、足取りも重い。
休憩回数と水分補給を増やしながら国道4号を南下し、
午後4時半過ぎに西那須野駅前のホテルに着くことができた。
背中の負担を減らすため、余分な荷物を自宅へ送った。
少し弱気な面が出たところでもある。
(続く)
2010年4月22日木曜日
6年1組・花見の集い
6年1組の有志が21日(水)、上山城に隣接する月岡公園で花見会を楽しみました。
参加したのは女性が佐々木啓子さん、安孫子ナヲさん、栗城ミヤコさん、藤倉恒子さんの4人。男性は鈴木通世君、長岡一雄君、花屋隆君、墫守人君に0gaを含めて5人。さらにブログを見て駆け付けてくれた宗川利廣君(東京在住)とnobuさんを加え、総勢11人の花見会でした。
本来なら春爛漫、蔵王連邦を眺望しながらの観桜会を期待したところでしたが、あいにくの天候不順で、公園の桜はようやくチラホラと咲き始めたばかり。「花見を満喫」とは言えませんでしたが、心配していた雨が降らなかったばかりでなく、午後からは日差しにも恵まれ、ブルーシートを敷いての宴は時間を忘れて盛り上がることができました。
参加したのは女性が佐々木啓子さん、安孫子ナヲさん、栗城ミヤコさん、藤倉恒子さんの4人。男性は鈴木通世君、長岡一雄君、花屋隆君、墫守人君に0gaを含めて5人。さらにブログを見て駆け付けてくれた宗川利廣君(東京在住)とnobuさんを加え、総勢11人の花見会でした。宗川君は子供の頃、矢来3丁目に住み、5年生の2学期まで上山小学校に通っていたそうです。その後、山形市の小学校に転校し、このたびは山形市の中学校同級会に出席するため来形中とのことでした。 6年1組の花見会をブログで知り、どうしても出席したいとnobuさんに連絡。nobuさんの案内で出席してくださいました。今回、集まった6年1組の面々はほとんど知らなかった人たちのようでしたが、持ち寄った古い写真を見ながら微かな思い出を手繰り合いました。 

また7年前、脳梗塞で倒れ、体が不自由になったミヤコさんが、懸命のリハビリで杖が無くとも歩けるようになり、元気に出席してくださったことに一同、感激でいっぱいでした。
ブルーシートの準備や飲み物・食べ物の買出しは上山在住の女性の方々が担当してくださいました。午前11時に上山城前の広場に集合し、まずは月岡公園の一角にある東屋に会場を設営したものの、風の通り道にあたり、日差しも遮られて肌寒かったため、陽の当たる芝生広場に移動し、会場を設営し直しました。
花見のグループはほかになく、公園を独占しているような感じ。花見に欠かせない「だんご」をはじめ、のり巻、いなり寿司、こぶ巻き、漬け物、バナナ、イチゴ等々に手を伸ばしながら、ビールや冷酒、焼酎のピッチも上がる。
勢いにのって「秋は古稀のお祝いをしよう。県外に住む人たちにも呼び掛けて、会場は担任だった須藤先生の有馬館。時期は11月がいい」と、次回の要項も決めてしまいました。
勿論、小学校時代の思い出や級友の消息などにも話が弾みました。太陽が雲に隠れ、肌寒さを感じ、そろそろ「お開きにしよう」といったときは午後3時半近くになっていました。
勿論、小学校時代の思い出や級友の消息などにも話が弾みました。太陽が雲に隠れ、肌寒さを感じ、そろそろ「お開きにしよう」といったときは午後3時半近くになっていました。

2年前、茂吉記念館のある御幸公園での花見会を計画しながら、雨のため藤倉宅での宴会になった経緯があり、今回は初めての野外パーティーで大いに盛り上がることができました。
花屋君の絵画展で花見の話が出てから2週間足らず。はがきで一方的にお知らせする急な話でしたが、ご協力いただいた方々には心から御礼を申し上げます。
今回、出席できなかった方々から直接、電話で返事をいただき、近況をお聞かせいただいたことも大きな収穫でした。
2010年4月20日火曜日
時速5㌔の伊勢参詣⑤
【4日目:郡山市~須賀川市~矢吹町~白河市】
《24時間営業のファミリーレストランで朝食》
この日も朝6時に出発した。急がなくとも朝食前に須賀川へ着けるはずだ。
この日も朝6時に出発した。急がなくとも朝食前に須賀川へ着けるはずだ。
JR郡山駅近くのホテルから国道4号に出て、30分ほどで郡山警察署前を通過した。
警察署前で国道49号が交差していた。
右折すれば会津若松、左折すればいわき方面へ行けるらしい。
この交差点から50分ほどで郡山バイパスとの合流点に出た。
行政区域はもう須賀川市に入っている。
市の中心部まではまだ数㌔あるが、ペースは予定通り。
8時15分過ぎに須賀川市役所近くの交差点に着くことができた。
朝食はこの交差点に面した24時間営業のファミリーレストランで食べた。
注文したのは納豆付の「麦とろ定食」。味とか量とかはともかく、
ゆったりしたスペースで食べた後もゆっくりできる。
食事の前後に地図を出して、その後のルートや目標地点、
おおよその所要時間を確認するのに便利だった。
《時速5㌔を再確認》
次に目指したのは矢吹町。須賀川の中心部から10㌔ぐらい。
《時速5㌔を再確認》
次に目指したのは矢吹町。須賀川の中心部から10㌔ぐらい。
ほぼ直線的に走る国道4号を南下した。
「足は正直」なもので、朝食を取ったファミリーレストランを
出てからほぼ2時間が過ぎていた。
改めて「時速5㌔」を確認するとともに、
急いで歩きエネルギーを消耗したところで
時速はそれほどアップするものではないと思った。
この日宿泊する白河まではあと15㌔。昼食は白河市内に入ってから取るつもり。
ほとんど休みなしに歩いたため、午後2時前にJR白河駅前へ着くことができた。
朝早いうちに5㌔でも10㌔でも歩いてしまえば午後からの行程が楽になる。
《白河駅前で新たなカメラを購入》
白河駅近くのカメラ店で2日前、路上に落としたカメラの具合を見るために、
《白河駅前で新たなカメラを購入》
白河駅近くのカメラ店で2日前、路上に落としたカメラの具合を見るために、
それまで撮ったフィルムの現像と焼き付けを頼んだ。
写真が出来上がるまでの間に昼食を取ったほか、ホテルのチェックインなどを済ませた。
写真は智恵子の生家前で撮ったシーンまでは正常に写っていた。
写真は智恵子の生家前で撮ったシーンまでは正常に写っていた。
しかし、カメラを落とした後は全体的にぼけていた。
オートフォーカスのコンパクトカメラだったが、ピントが合わなくなったらしい。
霞ヶ城前の写真も残念ながらピンボケだった。別のカメラを求めるしかなく、
白河関はいわき市の「勿来(なこそ)関」、庄内・温海町の「念珠関」とともに古代三関の一つ。蝦夷の南下を防ぐ砦(とりで)だったという。
歌枕の地としても知られ、一度は訪れてみたいと思っていた。
しかし、帰りの最終バスまでわずか10分足らず。単に足を踏み入れたというに過ぎなかった。後日、改めて行ってみようと思う。
しかし、帰りの最終バスまでわずか10分足らず。単に足を踏み入れたというに過ぎなかった。後日、改めて行ってみようと思う。
(続く)
2010年4月19日月曜日
御衣黄桜
6年1組の花見の話をしているうちに、
花が緑色の「御衣黄桜」という桜が
上山にもある-ということを聞いた。
場所は軽井沢の浄光寺と新丁のお不動様。
浄光寺は皆さんご存知のようにガマのお寺として知られる。
その駐車場に御衣黄桜があるらしい。
そして新丁のお不動様は子供の頃、
毎日のように遊んでいたところ。
名前を聞くだけで懐かしさがこみ上げてくる。
その一角で御衣黄桜が緑色の花を咲かせるという。
子供の頃は話題にもなっていなかったはず。
写真を見せてもらうと、まだ若い木だった。
近年、植えられたらしい。
しかし、緑色の桜花は、ぜひ見てみたい。
開花はソメイヨシノより少し遅いらしい。
今年は連休前あたりになるのだろうか。
咲いたら連絡をいただくことにしてあるが、
6年1組の花見のほかに楽しみが増えた。
余談ながら、新丁のお不動様で遊んでいた頃は、
花見よりも熟したサクランボ(?)を食べ、
口の周りを紫色にしながら
空腹を満たしていたことを思い出す。
花が緑色の「御衣黄桜」という桜が
上山にもある-ということを聞いた。
場所は軽井沢の浄光寺と新丁のお不動様。
浄光寺は皆さんご存知のようにガマのお寺として知られる。
その駐車場に御衣黄桜があるらしい。
そして新丁のお不動様は子供の頃、
毎日のように遊んでいたところ。
名前を聞くだけで懐かしさがこみ上げてくる。
その一角で御衣黄桜が緑色の花を咲かせるという。
子供の頃は話題にもなっていなかったはず。
写真を見せてもらうと、まだ若い木だった。
近年、植えられたらしい。
しかし、緑色の桜花は、ぜひ見てみたい。
開花はソメイヨシノより少し遅いらしい。
今年は連休前あたりになるのだろうか。
咲いたら連絡をいただくことにしてあるが、
6年1組の花見のほかに楽しみが増えた。
余談ながら、新丁のお不動様で遊んでいた頃は、
花見よりも熟したサクランボ(?)を食べ、
口の周りを紫色にしながら
空腹を満たしていたことを思い出す。
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