2012年1月7日土曜日

日常生活が始まって。


山形地方は積雪40センチとの事、私の住んでいる埼玉西部は晴れの日々が続いております。

晴天の合間をぬって、お正月の休暇を利用して我が家を訪れた息子、娘夫婦の寝具を日光に当て、やっと押し入れにしまい、日常の生活に戻りました。

それにしても、通常我々二人に愛犬一匹の生活に慣れている事もあって、そこにプラス3人は大変でした。。。

これに何年か先には、孫とかが加わり、総勢何人になる事やら。

考えただけでも疲れてきます。

今年はその事を念頭に入れ、次年度からのお正月逃避行を宣言しました。

でも、娘のハッピーな顔を見る事も捨て難い。。。のです。

無理が祟ってしまったのか、お陰で、年末からの風邪がまだ回復していません。

咳がなかなか止まらない。

今年流行のマイコプラズマ肺炎では?と疑ってみたのですが、熱も無いし、五体は元気だし、そのうち治るでしょう。

マイコプラズマと言えば、娘がまだ生後三ヶ月(?)の頃、三日三晩、高熱と苦しさから (今考えると激しい頭痛だったと思います)、泣き通しでした。

これはおかしい、と思い、当時住んでいた東京都下福生市の「こども病院」で診察をお願いしたところ、「マイコプラズマ肺炎でしょう。すぐ入院をして点滴をする必要があります」と主治医の先生に言われました。

「マイコプラズマ?聞いた事がないわ」と思ったのですが、すぐ入院手続きを取り、付き添いで病院に残ろうと思ったところ、「完全看護だからその必要はないです」との事。

生後三ヶ月の娘を病院に残したままの帰宅はそれは辛く、外に出てから暫くは、娘の居る病室を見上げ、涙したものでした。

こんな思い出が突然蘇り、「あれが母性なのだわ、でも、この感情は今も全然変わらないのね」と一人、娘の部屋に入り、ため息をついてしまいます。

娘とジローの画像を、それと椿と南天の画像をミックスしたものをアップしてみます。

娘に怒られないかなあ?

2012年1月6日金曜日

運動不足解消

このところ降り続いた雪で山形市内の積雪が40㌢を超えたようです。

気温も朝方マイナス5~6度まで下がり、すっかり冬の生活になっています。

こんな中でも5日と6日は2時間から3時間ずつテニスを楽しむことができました。

屋内コートが整備されていることに加え、冬でもテニスをしたい-という仲間に恵まれているためです。

3月末まで月・火・木・金曜日と週4回の予定が組まれ、コートにさえ顔を出せば運動不足は解消されそうです。(今年も屋内コートとテニス仲間に感謝!)

Happy Birthday 70

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします―。

年頭の挨拶を繰り返しているうちに、三ヶ日はあっという間に過ぎ、今日は既に6日。
昨夜は小生の誕生記念に「イガッタ」で食事をしてきました。

1942年1月5日に生を受けて以来、丸70年。
文字通り古稀の域に達しました。

といっても前日と何ら変わったことがありません。
人生80年といわれるこの時代、稀でも珍しいことでもありません。
むしろ当たり前なのかもしれません。

それでも、我が家では初めてとなる誕生記念の夕食をとるためにイガッタへ出掛けたところ、
デザートの皿に「Happy Birthday 70」と記していただくサプライズもあり、
改めて70歳を意識したところでした。
(了)

2012年1月4日水曜日

新年のご挨拶を申し上げます。

良い新年を迎えられた事と存じます。

いよいよ、70歳の大台とともに始まる新年は、新たなる覚悟の下での出発になる様な気がします。

昨年は、色々な事がありました。

その中でも、東日本の大震災で、私は生き方の根源を変える程の衝撃を与えられた様な気がします。

この災危が、日本の新たなる「夜明け」となる様に祈らずには居られません。

そして、この未曾有の出来事を決して風化させる事のない様、見守りたいと思います。

昔、「一年の計は元旦にあり」等と言いながら、やれそうにもない事を計画したものですが、久し振りに今年は、目標をちゃんと持とうと思いました。

何よりも、真っ先に来る目標は、「健康」ですね。

日常的に健全な状態で居る時は、その有り難さが解らないのですが、一度、そうでない状態に置かれた時、「健康」の有り難さが良く分かります。

次に来る目標は、「勉強」です。

昔から怠け者の私は、系統的に勉強をした憶えがないのです。

何を、勉強するか?それは、ヒミツです。

三番目の目標は、趣味を兼ねたビジネスです。

これもヒミツ。。。。

何か良く解らない文章になってしまいましたが、要するに、「健康」は全てに優先する、という事です。

2011年12月13日火曜日

先輩の訃報

上山中学校の野球部で1年先輩だった大石富雄さんが去る12月8日、急逝されました。
11日に行われた葬儀では多くの後輩がまだ早かった旅立ちを悼みながらご冥福を祈りました。

大石先輩は高校時代、2度も甲子園大会に出場し、社会人になってからも軟式野球で最も権威のある天皇賜杯全国軟式野球大会で3位になるなど、山形県の野球界に名を残された方です。

中学時代、四ッ谷出身の先輩とは帰宅方向が同じなので、よく一緒に下校させていただきました。
部活動が終わった後、体育館の近くから畑道を抜け、矢来から二日町、十日町を通って新丁、新町方面へ帰っていたものです。

途中、空腹に耐えられず、薄暗くなった畑の大根とかニンジンを失敬し、脇を流れる水で洗って口にしたことが何度かあります。

当時、高校生の野球を見るため大石先輩の先導で上山から自転車で山形の霞城公園を往復したこともありました。

 高校時代は強豪チームの先輩たちには歯がたたず、いつも大敗していた記憶ばかり。その最たる試合は大石先輩が3年生で、小生が2年生のとき。先輩たちのチームと決勝戦で対戦し、勝てば甲子園大会へ出場できるという試合でした。
 しかし、1塁手として出場した小生の大暴投をきっかけに、我がチームは0-8と大敗。大石先輩は2度目の甲子園出場を果たしました。このとき我々と同学年の清志君も甲子園に出場しました。
 
その後、社会人になってから、大石先輩と同じチームでプレーすることができました。先輩の活躍で全国3位になったほか、毎年のように全国大会へ連れて行っていただきました。岐阜県で開かれた国民体育大会では山口県のチームと延長28回まで戦ったこともあります。
 
2人にとって痛恨の思い出は、投手だった大石先輩が小生のエラーで完全試合を逃したことです。野球では相手チームに1人の走者も許さなければ「完全試合」といって、投手としては最高の記録になります。

ある大会で9回2死まで大石先輩が1人の走者も出さず、大記録達成が目前でした。しかも最後になるはずの打球は力のない遊撃ゴロ。難なくアウトにできるはずでした。ところが、遊撃を守っていた小生が1塁へ悪送球。先輩の大記録は一瞬にして消えてしまったのです。後にチームメートの語り草にもなったプレーでした。

書いていると思い出は尽きることがありません。今はただ合掌のみです。

2011年12月11日日曜日

古稀の文化祭

今、パソコンで「東濤会だより」という高校同期会の会報を作成しています。その中にノブさんの写真があります。上山の同級生の皆さんにもご高覧いただきたく紹介します。



会報は2007年夏からスタートして5年目。年3回ずつの発行で、今回は第15号になります。A4版、カラーの8頁。今回の内容は10月上旬、山形市で開催された同期会の大文化祭「美術展と音楽の集い」の特集です。

美術展と音楽の集いは会員たちがこれまで取り組んできたそれぞれの趣味の世界を「古稀の文化祭」と称して発表し合ったものです。

山形国際ホテルの4階展示室を会場とした美術展には絵画、彫刻、書道、写真、陶芸、鋳金、源氏物語絵巻模写など、多彩な分野にわたる約150点が展示されました。

音楽の集いは文翔館議場ホール(旧県議会議場ホール)で開かれました。謡曲・仕舞による祝謡・祝舞で幕を開け、ポピュラーバンドの弾き語り、オカリナ演奏、三味線・尺八の共演、原語で歌うナポリ民謡「オーソレミオ」、フルートとチェロのクラシック演奏と続きました。

ノブさんは音楽の集いの冒頭、祝謡・祝舞で平家物語ゆかりの「八島」を舞ったほか、他の3人とともに「猩々」を連吟。厳粛な幕開けを飾るとともに、舞台と客席を夢幻、幽玄の世界へ誘ってくれました。

写真はノブさんのステージと音楽会の1幕です。

2011年12月5日月曜日

リュトリーのプロテスタント教会


Rue Horloge時計通りの一軒のアーチを入り、教会の標識をたどって行くと、路地を通り、プロテスタント教会の前に出ます。

全体を写せないほど、大きく、外も、中も、立派な教会です。

入り口の菊の花。

そして、教会の入り口から、外を見て撮りました。

雪子