2008年4月9日水曜日

好文木

 年のせいか目覚めは早い。ogaさんの健脚には及ぶべくもないが、早朝散歩に出る。
つい2ヶ月前には暗かったが、今は出かけてまもなく朝焼けになり、家に戻るころには朝日
が出ている。今日の日曜日は快晴だ。思わず口ずさみたくなる、清少納言の枕草子の
あの一節「春は曙・・・・・」あとが続かない。もし覚えている人がいたらその一節教えて
下さい。
 
 春先は雑務が多い。町内一斉清掃による側溝掃除、猫の額の庭であるが雪囲いはずし、
枝の剪定と消毒、冬タイヤから夏タイヤへの交換等等。
 側溝掃除とタイヤ交換をして「やれやれ・・」と思っていたら、女房殿の長電話がいつもより
長く、声も弾んでいる。いやな予感が走る。
「こんなに天気がよいのだから、どっかさ、行くべー」。案の定であった。
 
 庄内「湯田川温泉」の梅祭りに行くことにした。車は月山道をひた走る。正面に際立って
白い月山を見る。つい数日前に雪が降ったからだろう。山道にかかっても路面は乾いている。
両脇の山肌には残雪がまだまだ多い。
 
 カーラジオから流れる「パットブーン」の「アナスタシア」、たちまち意識は青春時代に引き
戻される。鉛を飲み込んだような重い苦痛が蘇る。
  
 高校卒業の翌年の夏の初め、上野駅に鴨家君は迎えに来てくれた。小雨に煙っていた
宵のころ、新宿の音楽喫茶に入った。初めての音楽喫茶。結構広い会場で、出演者は
当時ヒット中の「井上ひろし」、「ルイジアナママ」がヒット前の「飯田久彦」、そして「ミッキー
カーチス」。司会者が井上ひろしの「雨に咲く花」を紹介すると、間髪をいれず観客席から
「外は雨よ!」と若い女性の掛け合いが入る。どっと沸く会場。「そうか、これが東京か!」
と思った。
 
 翌年、東京に就職し会社の寮に入ったがなじめず、鴨家君のアパートに転がり込む。
私は昼の勤務、彼は夜の勤務、すれ違いの生活を数ヶ月した。
 最後に彼と会ったのが昭和49年の山形。その後は時々電話で話したが6年前から
音信不通になった。これは私のせいなのだ。彼はいま生きているのだろうか?
 
 やがて、湯田川温泉に入る。ずいぶんと人が歩いている。駐車場入り口も列を成している。
藤沢周平人気のせいか。宿は10件ほどだが大きくはなくともなかなか格式のある旅館もある。
 黒い板塀の上から、樫、椿、梅、松等が枝を覗かせている。門から海坂藩の武士がすっと
出てくる錯覚に襲われる。
 
 公園は小高い丘にあり、段々状の丘ごとに梅ノ木がある。紅梅が多い。以前は、梅の花
には何か物足りなさを感じたが、今はその楚楚とした閑雅な風情に気品を感じる。
 古代の中国において、梅ノ木は文学を好むゆえ「好文木」とも言われたと言う。
花の下で現地の人がしゃべっていた。梅には庄内弁が似合う。
 「春の夜の闇はあやなし梅の花、色こそ見えね香やは隠るる」(凡河内躬恒)
私の好きな歌です。
 
帰途、庄内から見た月山は、キャンバスに厚い白色を塗ったようで、神々しく荘厳であった。
 
 
nobu
 
 
 
 
 
 

2 件のコメント:

oga さんのコメント...

いつものことながらnobuさんの文は奥が深い。今日も広辞苑や日本の古典、ことわざ大辞典などを側に置いて勉強させていただきました。
好文木(こうぶんぼく)は「文を好み給ひければ開き、学問怠り給へれば散りしをれける梅は有りける。好文木とぞいひける」とありました。
春はあけぼの。だんだん白んでゆく山ぎわが、少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている―といった様子が古文で出ていました。そして夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝がいいと続く。
先日は想夫恋の小督で平家物語を開き、今日は枕草子。少し頁をめくって、暁に女性のもとから帰る人の項目も読んでしまいました。次は何でしょうか。楽しみにしています。

kas さんのコメント...

小学校3年以来の旧友nobuさんは、懐が深い。なぜか人の消息が腕の立つ私立探偵のように湧き出てくるのです。好文木の鴨家君、宗川利宏君、齋藤菊子先生、6年6組柿崎学級クラスメートのメンバー等々の貴重な情報に、私は大変助けられました。高校卒業後の複雑で苦難の多い経験とその下でも高い理想を実現した気力を尊敬しております。
 また故武田洋君のお墓参りの際にはお世話になりました。光禅寺の桜満開の時武田夫人、松田徳子さんと共に色々日程を作っていただきました。さらにその日の夜は泊まらせていただき、奥様と末期医療の進歩と費用の高額化の課題、尊厳死などを話し合いましたね。昨日のことのように鮮やかに思い出されます。
 先日永年鍛えていたという古典芸能の仕舞を見せて貰う機会があり、私など全く及ばない人間の幅の広さを感じました。お二人の益々の御活躍を期待しております。 柏倉