2009年4月28日火曜日

再会の画像をアップします。!!

(向かって右端より、庄司良さん、雪子プルスさん、高橋萬理子さん、私(ジロー)です。)
雪子プルスさんは、無事スイスにお帰りになりました。
20日に亘る日本での滞在の中、その過密スケジュールを割いての私達との再会は楽しいものでした。
アップの画像は、雪子さんに送っていただいたもので、お店の店員さんに撮っていただいた貴重な二枚です。
その店員さんは、とてもハンサムな若い方で、思わず雪子さんが、「貴方、ハンサムね」と話かけをしたところ、とても恥ずかしがって、左手で顔を覆ってしまいました。
ちょっと間を置いてのシャッター切りでした。
私が、「駄目よ~、そんな事を言ったら、恥ずかしがっているでしょう?」と反論したら、「だって、本当にハンサムなんだもの、目が美しいわよね」てな具合。
考えてみると、雪子さんの感性はスイス人のそれなのか、もともと素直なのか、興味があるところですが、正直な表現に思わず、羨ましい~と思いました。
本当に現代の若者には珍しいぐらいの初々しい青年でした。
良い思い出の一つです。
スイスに帰宅されてからの雪子さんは、再び日常的な活動を再開されている様です。
ボランティア活動、コーラス等と精力的です。
私達も見習って、元気に過ごしたいものですね。
とくに、女性は元気です。
男性陣も頑張って下さい。
連休を前に、やっとETCを付ける目途が立ちました。
我が家は、愛犬ジロー中心の生活なので、愛犬を伴っての限られた行動になってしまいます。
何処か温泉か、それとも寺泊辺りまでドライブを兼ねた海の幸を堪能しに行くか、または、益子焼きの仕入れに行くか、成り行き任せです。
いずれにしましても、関越が便利なので、その辺りかな?
皆様も良い連休を。

2009年4月19日日曜日

お元気な雪子プルスさん

 4/15(水)関東在住の3名(高橋萬理ちゃん、庄司良さん、私ジロー)が雪子プルスさんにお会い致しました。
 私は、ほぼ半世紀ぶり、庄司さんもそうだったかなあ、萬理ちゃんは8年振り?の再会でした。
 雪子さんとは、ブログ開設を機に何度かメール交換をしているうちに、身近に感じる様になり、お会いしたいなあ、と思っていたところでした。

 我々の第一声は、「わぁ~、お久し振り」、ちょうど私の隣に着席した雪子さんから、とても香しい匂いが・・・「スイスの匂いがするわ!」と私。「私は肌が弱いからお化粧をせず、代わりにアロマテラピー用のオイルを顔に塗っているからその匂いじゃない?」。「そのせいかな?お肌つやつやね。」てな具合に。まるで50年ものタイムトンネルを感じさせないおしゃべりの幕開け。

 一挙に50年前にタイムスリップしてしまいました。
 最初に私が、「雪子さんは上山の何処に住んでいたの?」と聞いたところ、「ホレ、みっこちゃんの従姉さんが住んでいるところの近よ」と萬理ちゃん。 「ところで、よっちゃんは、弁天住んでいのよね。遠がったずね。」とたちまち、上山弁に。
 あとは、情報通の萬理ちゃんの独断場。私達は専ら聞き役。50年前の微細な事まで憶えている萬理ちゃんの記憶力に脱帽でした。

 同級生の消息を中心に、先生の話、町の話、家族の話、同級生の家族の話等々。
 今思うと脈絡のないおしゃべりだったので、どんな話をしたの?と聞かれても答えようがないのですが、ただ言える事は、とても楽しく、お豆腐料理のランチを味わう余裕などないほどおしゃべりに夢中になってしまいました。

 合間合間に、雪子さんのスイスでのお話を伺いました。
 異文化の中での生活に真摯に向き合われて過ごされてきた雪子さんに、改めて敬意を覚えました。
 小学生時代の雪子さんにはかなり個性の強いイメージを持ったのですが、今の雪子さんはとても親しみ安く、謙虚な方との印象を持ちました。

 あっという間の2時間でした。
 「席を改めてまた続きを・・・」という事で、コーヒー店を探すのにウロウロ、やっと見つけたお店に入り、続きのお喋りを。
 場所を変えてのお喋りは、かなりプライベートに亘るものでしたので、ここでは差し控えます。
 二次会での2時間も瞬く間に過ぎ、再会を約してお別れしたのがPM4時過ぎでした。
 とても嬉しい事は、四人とも健康で元気でまだまだ若いという事です。

 最後に非常に心残りな事がありました。
 雪子さんのスイスでの生活をもっと聞きたかったこと。
 半世紀振りの再会にふさわしいもっとドラマチックな場所を探したかった事です。(ビジネス街にある騒々しいレストランでした。)
 デジカメを撮っていただいたのですが(お店の人に)、ピンボケになってしまいました。

 後日、庄司さんか雪子さんに画像を送って戴き、楽しかった模様をアップします。

2009年4月15日水曜日

ヴルス雪子さんのこと、白禿山のことそしておくりびと







ヴルス雪子さんのこと
四月初めに日本にいらした雪子さんと会いました。13日10時
に渡辺万寿子さん宅に集まりました。雪子さんは午後から東濤
会の集まりが山形であると言う多忙な日程をさいて、上山に来
てくださいました。平成13年5月にお会いして以来です。写真
中央が雪子さん、向かって右が大沢澄子さん、左が吉野(遠藤)
静子さん、向い側が渡辺万寿子さんそして私の五人で3時間の
間吉野さんが用意してくれた小学時代の写真を見て昔の話、そ
して、ご主人の話、スィスの医療費の話、48歳のときの手術の
話等など話はつきません。アッというまの3時間でした。今度は
雪子さんを訪ねられたらいいですね~。
白禿山のこと
みなさんの記憶にある白禿山はogaさんがアップしてくださった
禿げ山とおもいますが、現在は中央の写真のようになりました。
おそらく昭和55~6年ごろですが子供の夏休みの自由研究で
みに行きましたらニセアカシヤやクヌギなどの広葉樹が植えら
れていたようです。それから30年くらい経っております。
右側が白禿山、その後がタカシンザン、左側が秋葉山です。最近
里山を見直されてハイキングロードも少し整備されたようです。
(西山散策コース)昔は高山信仰で4月29日はお重箱に海苔巻き
などお料理をつくって祖母たちに連れられて行き、白禿山のてっぺん
の松の木の下で食べました。すごくおいしかった気がします。
おくりびと上山ロケ地のこと
ロケ当時は全く話題に上らなかった大吾の実家の当時の景観を
再現し広末涼子が水遣りしていた花壇なども再現されています。
市報でも載せられましたが市民の反応は他の街ほどではないかも
しれません。昔2軒あった映画館はトキワ館1軒になりそして今は
全くなくなりました。文化センターで上映されてはいますが、映画館
と言うわけにはいきません。
上山は温泉地のせいか、私たちの小さい頃から結構映画ロケのあ
った街だと思います。また義兄が松竹で木下監督のもとで助監督を
していた為でしょうか、身近にかんじているのですが情報文化の変化
なのでしょうね山形市でさえ映画館がなくなり、国際ドキュメント映画
祭が危ぶまれているようです。「おくりびと」がなんらかの起爆剤にな
ればと思うのは甘いのでしょうか?

2009年4月8日水曜日

白禿山(?)


 皆さん、こんにちは。山形は今日も好天です。桜の開花はまだですが、梅の花が咲き誇っています。市内の小路を歩くと、あちこちの庭から梅の香が漂ってきます。
 先日、おじゃました蟹仙洞の写真を現像、焼き付けしてもらうためと、金融機関に所要があったため、あまり車の通らない小路を歩いて市の中心街まで行ってきました。往復1時間半ほどのウォーキングでしたが、爽快そのもの。気を良くして帰ってきました。
 写真の現像、焼き付けは、今持っているカメラがデジタルでなく、旧態然としたアナログのコンパクトカメラなので、撮影するたびカメラ屋さんに頼まなけれなりません。
 
 それで今回、焼き付けしてもらった写真のうちの1コマを紹介します。上山小学校と後ろに写っているのは白禿山でしょうか。植樹が進み(?)、今は白い部分が見られないようですが、昔はまさしく白禿山だったんですね。高校同期会報に掲載するための取材でしたが、昭和29年上山小卒業同期生の皆さんにも-と思い添付してみました。 懐かしい写真はまだまだたくさんあるそうです。県外在住の皆さんもご帰省された際は蟹仙洞に足を運んでみてはいかがでしょうか。

2009年4月3日金曜日

私のお気に入りのコラム

 ある新聞の「実践マナー塾」というコラムに「短い会話、マイナス点は先に」という記事が載っていました。
 それによると、短い会話の中でマイナスとプラスふたつの気持ちを伝えたいときは、感謝や喜びなどプラスの言葉を最後に持ってくると、前向きな明るい印象を相手に与えるそうです。

 例えば、「おいしいけど固い」「キレイだけど高い」と、マイナス要素の「固い」、「高い」を最初に付けて、「ちょっと固いけど、おいしかった!」、「確かに高いけどキレイ」の方が、「食べてよかった。高価だけど買ってよかった」と明るい気持ちを印象付けるとか・・・。

 そういえば、子供が小さかった頃、結構教育ママだった私は、よく子供達の成績を見ては、「頑張ったんだわね・・・でも、もうちょっと何とかならないの?」が口癖でした。これを、「もうちょっとだわネ、でも良く頑張ったわよ」としたら、子供達も満足しただろうに・・・と時々後悔する事があります。

 まさに言葉は生き物、その使い方で人間の印象や関係をも左右する大切なツールなのですネ。

2009年4月1日水曜日

蟹仙洞

 昨日(3月31日)は高校時代の同期生と一緒に矢来の蟹仙洞に行ってきました。高校の同期会で年3回発行している会報の「会員歴訪」というコーナーに長谷川厚三君の実家を紹介することになり、その取材でおじゃましたものです。
 
 蟹仙洞は厚三君のお祖父さんが創設し、堆朱・堆黒など中国の漆工芸品や日本刀のコレクションで知られる美術博物館。上山を代表する文化スポットの一つですが、これまで入ったことがありませんでした。このたびは厚三君のお兄さんからいろいろと話を聞かせていただきました。
 
 堆朱(ついしゅ)とか堆黒(ついこく)、堆黄(ついおう)と呼ばれる漆工芸は、何度も何度も塗り重ねられた漆の層に彫刻を施したものだそうです。中国で発達し、蟹仙洞には明・清時代の作品が多数展示、公開されていました。国指定の重要文化財もあり、作品の質量は国内最高とも言われているそうです。
 
 ただ、このたびは会報に掲載するための駈け足取材。じっくり鑑賞する時間がありませんでした。改めて足を運び、ゆっくり見学しなければ-と思っています。
 
 その蟹仙洞の前を南北に走る道路は昔、中学校の体育館近くまで延びる細い道だったと記憶しています。

 朝、登校する際は宮川沿いの通学路(?)を通っていましたが、夕方、部活を終えて帰るときはこの細い道を通っておりました。途中、薄暗がりにまぎれて畑から失敬した大根やニンジン、サツマイモなどを、脇を流れる堰の水で洗い、かぶりついて空腹をまぎらわしたのは野球部だけだったのでしょうか。そんな50数年前を思い出したひと時でもありました。