2009年12月4日金曜日

フォト.ライブラリを作りました。

昨日、中村弘さんより古都の秋景色を送って頂きました。
既に趣味の域を超えている作品には、心奪われます。
今までに、25枚の作品を送っていただきました事を機に、サイドバー(投稿欄の右サイド)にフォト.ライブラリを作りました。
写真上をクリックしていただきますと、ライブラリにアクセスします。
今のところ、中村弘さんのライブラリのみですが、同窓生の方に、絵画、写真、書道等ご趣味を持っていらっしゃる方、是非私にお送り下さい。
新たなライブラリを作らせていただきます。

趣味で繋がる同窓生もまた楽しいでしょうね。

秋の古都を訪ねました。






11月に 古都 京都と奈良に行ってきました。
京都は 高尾(神護寺と高山寺)で 紅葉狩、そして奈良は 興福寺に 阿修羅、と正倉院展 を観て来ました。
古都の秋を写真に撮って来ましたので メールで送ってみました。
ご笑覧ください。
早いものですね。今年ももう1カ月をきりました。
新型インフルエンザが席巻しているようです、くれぐれもご注意ください。
中村弘

2009年11月30日月曜日

忘年会中止のお知らせ。

 12/6(日)に予定されていました忘年会は、残念ながら中止の運びとなりました。


 新型インフルエンザが猛威を奮っている事と相俟って、出席者が少なめという事を勘案しての決定です。


 それに代わる催しとして、4月のお花見を屋形船でとか、趣向を凝らした同窓会を計画したいとのメールを林部さんからいただきました。


 また、夏には暑気払いを計画して下さるそうです。


 予定の変更は、幹事さんにとっては大変なエネルギーが必要になります。
 にもかかわらず、次回の計画を立てていただいているのは大変有り難い事ですね。


 その際には、関東圏と限定せずに、地元からのご参加も期待致します。
 詳細が決まりましたら、ブログ上でお知らせさせていただきます。
 以上、お知らせまで。

2009年11月7日土曜日

忘年会のお知らせ。

 早いもので、また一年が廻ってまいりました。
 蔵王では初冠雪があったとのお便りがブログを通じてSIZUさんからありました。
 ちなみに、SIZUさんの投稿欄の蔵王の画像をクリックしていただきますと、拡大画像を見る事が出来ます。
 その美しい事、ただただ呆然としました。
 上山から見る蔵王の眺望は、我が故郷の誇りですね。

 ところで、恒例の「忘年会」の季節になりました。
 この忘年会は、数年前から林部さん、新部(旧姓谷江さん)さんおよびご主人様のご尽力で定着して参りました。
 当初は中学3年E組に限定していたものが、他のクラスまでお声掛けをいただき、お陰様で楽しみのおすそ分けに預かっています。
 感謝、感謝ですね。

 今年は、昨年までの会場を変更しまして(新部さんご夫妻には大変お世話になりました)、神田の中華料理のお店に決めた事を林部さんの方からご連絡をいただきました。

 関東圏在住の方は勿論の事、地元故郷、又は他県からのご参加も大歓迎です。
 久し振りに旧交を暖めませんか?
 参加をお待ちしておりま~す。


日 時 : 12月6日(日)  時間は12:00〰エンドレス


場 所 : 神田「永昌園」

     神田駅南口から徒歩2分
会 費 : 5,000円前後
     http://r.gnavi.co.jp/e438100/map1.htm

をクリックしますと、会場を見る事が出来ます。


 ご出席の方は、

林 部 伸太郎(ハヤシベシンタロウ)
☎・FAX : 042-465-8990
携  帯 : 090-7802-6200 までにご連絡下さい。

昨年の忘年会の出席者との記念写真は、
http://kaminoyama.blogspot.com/2008/12/blog-post_13.html

でどうぞ。

2009年11月5日木曜日

蔵王に初冠雪




しばらくぶりの投稿です。11月3日、寒気の到来で東北地方は
雪、霙。ここ上山も霙でした。寒かった~
翌4日は、晴天で蔵王の山々がとても綺麗でしたヨ!!
中央の一番高い山が熊野、見えにくいですがすぐしたが馬の背、
中央の楕円を描いているのがスキー場の一部、右一番上が南蔵
王の不忘ですね。
学生時代は4年間山にばかり登っていました。ただ、植物採集が
主ですので、夏山ばかりです。えっ、いまですか?全然登っていま
せん。登山のインストラクターをなさっているK.Tさんはすばらしい
と思います。
秋色が上山の町にも沢山」ありました。栗川稲荷の通りですが
ドウタンツツジとポプラの紅葉が始りつつあります。
先日ジローさんのいもにの記事を読みましたが、マイ畑(?)で作
ったサトイモでいもに会が出来るなんてステキですね。
ところで、お肉を最初にいためるんですか~、お肉の旨みが閉じこ
もってしまうんじゃないですかね?
私的には
1; 湯がいた一口大のこんにゃくと一口大に切ったサトイモを水か
  ら煮る。このとき醤油少量入れる(サトイモの色付けのため)
2; サトイモに箸が通るくらいなったら分量の調味料(醤油、砂糖、
  お酒)を加え、味出しに牛肉(分量の4分の1くらいかな?)、キ
  ノコ類(原木ナメコ、マイタケやシメジ1種類)を加えて煮る。
3;味だし用の 肉から味がで、サトイモにすっと箸が通るようになっ
  たら。牛肉全部とネギを加えひと煮立ちさせて出来上がり。
 こんなふうにしています。牛肉は安い山形牛を使います。決して
 高い部分は使いません。
 尚、お出しするとき、うすく斜め切りしたネギをトッピングすると
  よりおいしいですよ。

芋煮会記


先週の土曜日、恒例の芋煮会を催しました。
今年はおいしい芋煮になる様に、と張り切って調理にかかったのですが、調理法で早くも夫とバトル(???)。
まず、水の量が多すぎた事、あれ程私が反対した「しいたけ」を入れてしまった事。
出来上がった芋煮は「しいたけ」の味が芋煮全体にとって邪魔になる存在でした。
でも「まあ、良いかッ」といつもの調子であきらめの心境です。
ちなみに子供達によると、この「まあ、良いかッ」が私の口癖だそうです。
 PM1時ごろからポツリポツリとメンバーがやって来ました。奥さん達の手作り料理、お菓子、ワイン、手作りおはぎ、銘酒、梅酒、はては「あけび」等など。
瞬く間にテーブルはお土産で埋まってしまいました。
 「とにかく乾杯しようよ」との私の呼びかけで、「お久し振り~」とガチンコの乾杯。
「来年も一人も欠けずに再会をしようね。」と余計な事を言いながら、「でも、その当人が欠けちゃったりしてね」と私。(上記の写真はその瞬間のものです。ちなみに私の隣は夫)。

久し振りに飲むビールのおいしかった事。そのうち誰からともなくびっくりする話題が。


「楽天に戸村健次が入団したんだって、しかも指名一位で入ったらしいよ。契約金が一億円?、ワッーすごいー。」との話。

戸村健次君は我が地域のスポ少野球部に在籍していた選手だったのです。
このメンバーの半数(夫も)は戸村選手の学年の指導者として、彼を良く知っていました。
特に、そのうちの一人は「彼は当時三番手の投手で、コントロールが悪かったけどなあ、でも根性はあったなあ」とは、直接彼のピッチングの捕手を努めた経験談を。


私達夫婦だけその話を全然知りませんでした。
夫は「菊池がどこの球団に入るかそればっかり興味を持っていたから全然知らなかった」と。
そこで、私は「後援会を作ろうよ」と提案したら、他のメンバーから「〇〇さんが後援会長が良い」、「僕が事務局長になるよ」など、大分酔いがまわってきたのか、皆好きな事を言い始めて、留まるところを知らず。
良くオリンピックなどで活躍する選手が話題になると、その遠縁の方とかかなり遠い知人がテレビで喜びを得々と語る・・・あの心境です。


ところで、今日「戸村健次君を励ます会」の通知が来ていました。


話は変わりまして、お料理の得意な方の手作りのお寿司を食べているうち、我が家の芋煮が完全に出番を失ってしまいました。
やっと出番が廻って来たのがPM5時ごろ、つまり調理してから5時間後でした。(その時の芋煮の写真です。)


吉野さんに教えていただいた「まいたけ」は手に入らず、具は里いも(80個)、牛肉(1kg)、こんにゃく、しめじ、しいたけ、でした。
皆さんの感想は、「おいしい~」とかなり無理(?)をしてくれました。

しかし、私は翌朝に残りの芋煮を食した時が一番美味しかった様です。
来年は、食すタイミングを工夫しようと思います。

2009年10月28日水曜日

おいしい芋煮を教えて下さい。

31日(土)に恒例の「芋煮会」を我が家で催します。
総勢13名が我が家の狭いリビングに集まるわけです。
このメンバーは、子供達のスポ少野球部のコーチ繋がりで、未だ家族ぐるみの交流が続いています。(何故か肝心の子供同志の関係はなくなりましたが・・・)

昨年は私の腰トラブルの為中止にしましたから、2年振りという事です。
当日の会食のメインメニューは、「芋煮」(当然ですよね。)で、他は奥様達の手作り料理のオンパレードです。芋煮より手作り料理が私の楽しみ(イヤ皆の楽しみです)で、いつも最後まで残るのが私の手作り料理、という訳です。

芋煮のさといもは夫の趣味の家庭菜園(とは言っても、300平米と言っていましたから、もうベジタブルヤードです。(英語ではこの規模の広さはこの様に言うそうです。))から収穫しますので、あとはお肉とこんにゃく、しめじを買うだけです。
勿論お酒類は忘れる事が出来ません。(大抵はメンバーのご主人様達が持参する銘酒で間に合いますが)

そんなこんなでそろそろ準備を・・・と思っていましたら、材料のしめじの代わりに地場産のしいたけが良い、と夫が言い出しました。
私が、「この間のNHKの番組で、しめじと言っていたじゃない?)と頑張ったら、両方入れようと言い出しました。
「センスがない」と私が言ったのですが、その気になっている様です。

と言いますのは、山形に帰省する2、3日前に、NHKの料理番組で、「山形市の馬見ヶ崎から芋煮を紹介」という事で、地元のお母さん達の芋煮料理を紹介するものでした。

ざっと手順を紹介しますと、
①最初に牛肉をすき焼き風にお砂糖、醤油で味付けし、その牛肉を一旦取り出す。
②①の鍋にお水を足し、そこに里芋、こんにゃくを入れ、醤油、酒、砂糖で味付け、そのまましばらく煮る。
③里芋が柔らかくなったら、しめじ、①の牛肉を戻す。
④最後にネギを入れて完成。

見事な位おいしそうな芋煮が出来ました。

従来の私達の作り方との違いがありました。
イ.まず、里芋は事前に下茹でしたものを使う。
ロ.次に、牛肉は最初から最後まで入れた儘。

な~る程と思いました。
「馬見ヶ崎の芋煮」の作り方を採用しよう・・・と思っていた矢先、夫が「里芋はやはり下茹でした方が良い」と言い出したので、「それじゃ、コクがないわよ、コクのあるお芋が美味しいんじゃない・・・」と頑張ったところ、「僕はあっさりした汁が好きなんだよ」と。

「まあ仕方が無い、どうでもいいや。」とちょっと投げ遣りになってしまいましたが、やはり本来の作り方は「馬見ヶ崎の芋煮」が正しいと思うのですが、どなたか本当のところを解る方は、アドバイスをお願いします。

2009年10月20日火曜日

時々未着メールあり。

 最近、私から発信するメールが相手方に届かない事があります。

 ここ一週間の間に、2件ばかり相手方に届きませんでした。

 いずれもブログ関係者で、大切なメールでした。

 原因が解らないまま解決しましたが。

 そこで、大変申し訳ありませんが、「開封確認」の機能を追加してメールを発信する事にします。

 私からのメールを受信後、

「メッセージの送信者は、開封確認を要請しています。開封確認のメッセージを送信しますか?」
と聞いて来ますので、「はい」をクリックして下さい。

 大変お手数ですが、よろしくお願い致します。 

2009年10月6日火曜日

初秋の花

9月末、雨上がりの朝 カメラを持って近くをウォーキング、
初秋の花 彼岸花、秋桜(コスモス)を撮ってみました。
いよいよ 秋の到来ですね。
食欲の秋、芋煮会の秋、読書の秋、物思いの秋・・・
これから、日々 日ノ出が遅く・日暮れが早く、また長袖シャツが離せなり、
秋が深まっていく行くとこでしょう。
皆さん 風邪などひかぬよう ご自愛ください。 中村
 

2009年10月4日日曜日

花屋隆さんの3人展



天高く晴れ上がった4日の日曜日、笹谷越えのドライブを楽しみながら、花屋隆さんの“秋の風”三人絵画展を鑑賞させていただきました。

会場は宮城県秋保温泉の「ふれあい小さな美術館」。ホテル瑞鳳とホテル華の湯の近くでした。
「俺の作品はどうでも、会場の雰囲気が素晴らしい。一階の喫茶室では手巻き蓄音機で“ライムライト”を聴かせてくれるよ」(花屋さんの話)という触れ込みの小さなギャラリーは瀟洒な白い洋風の2階建て。玄関を入るとすぐ右側が喫茶室、2階の座敷が展示室でした。

自宅を出たのは10:15。国道286号を東上し、県庁前から馬見ケ崎川沿いに出ると、川原一帯は早くも芋煮会の準備を急ぐグループや家族連れで賑わっていました。

妙見寺、滑川、新山と一般道を走り、高速道路に乗ったのはトンネルを抜ける関沢IC-笹谷IC間だけ。釜房ダムを過ぎ、秋保温泉に着いたのは11:15ごろでした。

玄関のドアを開け、ダンディなマスターの案内を受けながら、2階の展示室へ。花屋さんの作品は西川町本導寺や飯豊町、鮭川村の庭月観音、新潟県粟島などを題材とした水彩画や木版画、ブロンズなどの小作品が主体でしたが、相変わらず温もりのある作品ばかりでした。スケッチアートが得意分野という息子さんの作品もなかなかでした。

ひと通り鑑賞を終え、一階に下りたときはもうお昼どき。ランチの「赤いカレーとコーヒーセット」を注文し、喫茶室の奥に展示されている東北各地の伝統こけしや伊万里、古伊万里、九谷、薩摩焼などのコレクションも鑑賞させていただいた。

赤いカレーはトマトをベースにしたカレーライス。伊万里焼の器でいただき、この間、手巻きでねじを巻く蓄音機で「ライムライト」や「禁じられた遊び」「第3の男」「エデンの東」などのレコードを聴かせていただいた。

先月26日のミニ同級会で案内状をいただき、当初は「同級生を誘い合わせて行ってみよう」とも考えましたが、皆さんのご意向やご都合をお聞きするエネルギーがなく、好天に誘われついつい単独の抜け駆けをしてしまいました。

 しかも一人では贅沢すぎる時間を過ごし、2~3呼びかけた同級生の方々には大変、申し訳ないことをしてしまいました。心からお詫び申し上げます。

2009年10月1日木曜日

ミニ同級会 イガッタ~!!




ジローさんを囲んで 時間の過ぎるのも忘れ、すっかりタイムスリップ


してしまった数時間でした。そんな雰囲気はジローさんとogaさんの投


稿から感じてくださったことと思います。それで、吉野静子さんのデジカメ


のSDをお借りして、皆さんの了解もなくアップしてしまいました。

2009年9月30日水曜日

花屋隆さんの絵画展のご案内

花屋隆さんの「絵画展」のご案内のハガキです。
ご本人の了解を得ましたので、アップ致します。

感動の同級会

 去る26日(土)、山形「イガッタ」で同級会が開かれました。
 たまたま母親の13回忌で帰省する機会があり、それに合わせてogaさん初めサワ(澄ちゃん)、ジク(恒子さん)、敏ちゃんのご尽力のお陰で、盛大な同級会に出席させていただき、感激ひとしおです。

 遅れる事10分、会場の「イガッタ」の和室に入るや否や、「まあ、お久し振り~」とのお声があちこちから・・・、「???」と辺りを見渡せば懐かしい顔ばかり、「ミゴちゃんコッチダバー」と私の為に用意してくださった席にひとまず着席。

 「小野さんヒサスブリ」と康夫さんと公ちゃん、「アラッー、久し振り・・・でも、本当に康夫さん?」てな具合で、ランダムな挨拶。
 「アラッー、sizuちゃん?、ブログではお世話になっています。」と隣りに座っているブログ繋がりの同級生に一言。

 そのうちサワが「ホレ、ogaちゃん開会のアイサツサスッベハー」といつもの口調でご指示。
 ogaさんの簡単な挨拶が終わり、私に「挨拶を」とのご指名で、私も簡単な挨拶。

 「とにかく、乾杯スッベ」と誰かに誘われて、「乾杯~~」とあちこちからグラスのガチンコ音。
 「お久し振り」と乾杯の手が交差する中をすり抜けて、何とかAテーブルの方との乾杯が終わりました。でも、Bテーブルが残っているなあ~、と微かに頭を過ぎったのですが、まあそのうちに、と思い、グラスのビールをぐいッーと。
 そのおいしかった事。
 早速堰を切った様におしゃべりのシャワー。

 そのうちどこからともなくジクが現れ、「ヒサスブリダナ、ミキちゃん」とご無沙汰のその後の話を一通り、「なに、何とかベルの練習だって?休んじゃえば」と勝手な事をいう私に、「ンダケドヨ、一人カゲットヨ大変なのよ」とジク。解ります解ります、私もコーラスをやっているから、一人欠けてもハーモニーに影響があるのです。
 「ソノウジ電話スッカラ」、と帰る雰囲気だったのが、何と一時間はいたのかなあ~。

 ブログ繋がりの静ちゃん、sizuちゃん、公ちゃんの他に、電話繋がりのサワ、敏ちゃんに一通りの挨拶が済んだ後、50年振りの万寿子ちゃん、ハッチ(トミちゃんの愛称)との挨拶。

 「ハッチ、全然昔のままね、どうしたらそれを保てるの?」と素直に疑問を投げかけました。
 彼女はスポーツウーマンにも拘わらず昔から奥ゆかしい方でしたから、「そんな事ないわよ。」と謙遜の一言。「今にも、バスケをやりそうな感じだわァ」と私。とにかく私はハッチが好きでした。どちらかというとスポーツの苦手な私にとって憧れの存在でした。

 「万寿子ちゃんお久し振り、私はお父様にとても恩義を感じているのよ~」、「昔、英語が解らなくて、お父様の教室に参加させていただいて、解る様になったの」、「エッ知らなかった」と万寿子ちゃん。
 お父様は40年程前に他界されたとの事。昔から、「何と可愛い方なのだろう」と思っていましたが、全然変わらず、今もその美貌は健在でした。
 「Yukiko Plussさんからも時々メールをもらっているの」と携帯のメールを私に見せようとしてくれたので、「ちょっと字が見えない」とメガネを出したのですが、今度はメガネチエーンがこんがらかってしまってどうしても解けない。「サワお願い、取って」と、「ホレ、トレダズ」、でも遅かった、携帯は閉じられていたのです。これがとても心残りでした。

 そのうち万寿子ちゃんが「一緒に写真撮ろう?」と誰かの携帯でパチリ。
 そのうちあちこちで「パチリ、パチリ」とシャッターの音。

 その間も引っ切り無しにお店の感じの良い店員さんが、おいしいお料理とワイン、お酒を運んでくれました。どのお料理もかなりおいしい。
 でも、じっくり味わう暇が無いほど、積もる話に盛り上がり、今思うと「シマッター、あのスパゲティーもっと食べておけば良かった」と後悔しきり。

 一通り再会の行事が終わって、落ち着いたところで、ブログ繋がりのsizuさんと会話を楽しみました。
かねがね聞きたいと思っていました同級生のご主人との馴れ初めを伺ったところ、やはり想像していた様に、熱烈なアタックがあったとの事。ドラマチックな半生も話して下さいました。
 sizuさんとは20年振りの再会でした。父親の一周忌に帰省した折、「よねや旅館」に一泊した際にお会いしました。当時子供達は4才と6才、その事を鮮明に記憶されていました。嬉しい限りです。

 そんなこんなの中、最も威勢の良いのは敏ちゃん、青春真っ只中の日常を披露してくれましたが、我々常人にはかなり刺激の強い話ばかり。彼女のスケールの大きさには脱帽ですが、一方「彼女を理解する人は少ないだろうなあ~」と思いつつも、彼女独特の魅力にはすっぽりはまり、いつまでも友達でいたい一人です。

 富貴ちゃんは、クラスが一緒になった事がなく記憶には無かったのですが、良く伺って見ると、「軽井沢サスンデンダ、ホレジョウコウズのチカクダッペ」と懐かしい上山弁で話して下さいました。
 思わず「心地良いなあ~、上山弁は」とつくづく思った一瞬でした。

 そのうち、サワが「ミゴちゃん、コッチサクッダベー」と誘われたところが、康夫さんと公ちゃんの前の席。康夫さんのお兄さんと私の長兄は昔友達だった縁で、その話を一通りした後、何故か、「良い夫婦とは」について、お二人の訓話を伺い、「幸せなんだなあ~」と率直に「ご馳走様」を言いました。

 一番端に陣取っていた花屋さんからは、「絵画展」のご案内はがきを頂きました。聞くところに依りますと、「CG(コンピューター・グラフィック)アーティスト」と理解しましたが、帰宅していただいたハガキを拝見する限りでは絵画の方でした。私の早とちりでした。ダンディな感じのワイン片手がぴったりの花屋さんには、昔の色白の面影はありませんでしたが、とても穏やかなそして魅力的な方でした。

 長岡さんとは二次会でご一緒しましたが、とても面白い方でした。実は、私の記憶には無かったのです。ごめんなさい。

 木村勲さんとは、直接お話をする時間がありませんでしたが、今度お会いした時は、是非お話を伺いたいと思います。

 ほぼ4時間近くの同級会でしたが、まだまだお話足りない事ばかり、その分は次回に譲りましょう。

 最後になりましたが、ほぼ50年振りの再会の方達が多い中、一瞬のうちにタイムトンネルを通り過ぎ、まるで、日常的な生活圏の中にいる友達の様に歓迎していただき、接していただきました。
 感謝、感激です。
 有難うございました。

2009年9月29日火曜日

再び同級会モード

 9月26日(土)夕の「佐藤美樹子さんを囲む集い」は、
ご出席いただいた皆さんのご協力で、
ミニ同級会として楽しく盛り上がることができました。
 
 埼玉県日高市在住の美樹子さんはこの日、
ご母堂様の13回忌法要で帰省されたものです。

 中学時代に親しかった方々が中心となって
上山、山形在住の同級生に呼び掛けたところ、
総勢15人の賑やかな集いとなりました。
 
 出席なさったのは美樹子さんご本人をはじめ澄子さん、
靖子さん、万寿子さん、敏子さん、公子さん、富貴子さん、
トミ子さん、静子さん、恒子さんの女性10人と、
康夫君、隆君、一雄君、勲君、ogaの男性5人。
 
 会場は「箸で食べるイタリアン」の「イガッタ」という店。
JR山形駅西口から歩いて5分のところでした。

 開始予定の17:30を少し過ぎたところで全員がそろい、
堅苦しいあいさつは必要なし-という澄子さんの“お言葉”もあって、
美樹子さんが一言あいさつした後は、乾杯ももどかしく一気にフリートーク。

 50年前にタイムスリップした会話は、
堰をきった流れのように勢いよく渦巻いた感じでした。

 最初は向かい同士とか隣同士の会話。それが、
すぐに斜め向かいや一人おきへと相手が変わり、
端から端にも飛んで、声も次第に大きくなっていきました。

 話の内容も「〇〇君は今、何処にいるの?」と
現在の消息が話題になっていたかと思うと、
一転して「あれはよ…」といって、たちまち子供の頃のエピソードが暴露される。

 50年前かと思えば、数年前の同級会だったり、
小学時代かと思えば中学時代だったり、
話はあっちへ飛んで、また引き返す。
複雑な綾掛け会話が同級会の特色かもしれません。
 
 そして「小さい頃の話は私に任せろ」といって、
腕白坊主だった男性たちのエピソードを
次々と披露してくれたのは公子さん。

 中学時代は物静かで控え目な方との印象でしたが、
その迫力は「F組女性陣」に引けを取らない方に変身しておられました。

 男性では上山在住の康夫君から豊富な情報と
楽しい話題を提供していただきました。
この日、東根市での会議に出席した後、
真っ直ぐ駆け付けてくださったのは勲君です。

 一雄君とトミ子さんは自彊術の教室で一緒になるとのことでした。
隆君は9月25日(金)から10月13日(火)まで
仙台市秋保温泉の「ふれあい小さな美術館」で
息子さんと一緒に絵画展を開催中とのことでした。

 万寿子さんからは若くして亡くなられた
実のお父さんの歌集について
新聞記事のコピーを通して教えていただきました。

 実家が一軒隣の靖子さんからは学生時代、県内の山々に登った話や
教壇に立った話、そして虚空蔵山のデワノハゴロモナナカマドは
「私の父親が名付けた」という逸話も披露していただきました。

 この日、初めてお会いした静子さんと富貴子さんは
小生の実家近くにお住まいで、静子さんからは
ダンスの写真を見せていただきました。

 上山の実家には週に1度は帰っているため、
又お目にかかる機会があるかもしれません。
 
 美樹子さんを含め澄子さん、敏子さん、恒子さんの
F組女性陣を除く方々、皆さんと話をすることができました。

 実はある方から「こんにちは、ご無沙汰しています」
「さようなら」だけでは駄目。皆さんと話をして、楽しむようにとー
ご助言をいただいていたものです。
今回は何とか実現できました。

 しかし、ほかの皆さんの満足度はどうだったのでしょうか。
料理は美味しかったのでしょうか。飲み物は十分だったのでしょうか。

 そして最後に話が出た「古稀の修学旅行」は
楽しみにしていてよろしいのでしょうか?

 

 

2009年9月27日日曜日

同級会モードからテニスモードへ

 ミニ同級会で盛り上がった皆さん、お疲れ様でした。
一夜明けた27日(日)は高畠町太陽館のテニスコートで
置賜地区の方々と交流試合に汗を流しながら、
芋煮会を楽しんで来ました。

 太陽館はJR高畠駅と温泉が一緒になった施設。
温泉のある駅舎として有名です。
その一角にテニスコート(2面)も整備されています。

 この駅舎に近いコートで米沢シニアテニスクラブの方々が毎年、
テニスと芋煮会を楽しむ親善交流の集いを開いているとのことでした。

 今年4月から山形県シニアテニス連盟の事務局を担当するようになったことから、
米沢クラブの会長さんが招待してくださったものです。

 前夜の同級会モードからテニスモードに切り換えて、朝7時に起床。
7時半に家を出て、8時12分山形駅発の普通列車で高畠に向かいました。

 座席に着くなり売店で買い込んだ駅弁を開き、
蔵王駅から茂吉記念館前、かみのやま温泉駅などを眺めながら、
朝食を取っているうちに、何故か同級会のことは頭から消えていました。
上山を走っているにもかかわらずです。

 食べることに夢中だったのか、テニスに集中しているのか、
それとも新たなことは記憶にとどめられないという加齢に伴うものなのか。
赤湯を過ぎるあたりでふうっと思い直すと、一瞬どきりとしてしまいました。
 
 テニスと芋煮会は楽しいものでしたが、
このどきりが効いて同級会よりも先に
モードの切り換えを投稿してしましました。

 10月5日(月)は自分が所属する山形シニアテニスクラブの芋煮会、
10月7日(水)8日(木)は1泊2日の日程で
東北マスターズテニス大会(仙台市)への出場と、
テニスの行事が続きます。
加齢に伴うことがないように…と、
意識しながら動き回るしかありません。

2009年9月22日火曜日

全国かかしまつり


しばらくぶりのアップです。ご無沙汰しておりました。


シルバーウイーク中いかがお過ごしですか?


上山も秋祭り(八幡様のお祭り)、かかし祭り、街道


祭り(楢下宿を中心として羽州街道の飛脚駅伝)な


どを19日~23日に開催されています。


と言うわけで昨日かかし祭りにいってきました。会場


は市役所東隣の市民公園です。世相を反映して(?)


天地人をテーマにしたものが多いようでした。


エコをテーマにした小学生の作品も沢山ありました。


2020年まで1995年比CO2、25%削減を目指す


には私たち一人ひとりが毎日の生活の中で意識して


いかないと、、、と思いました。27日まで開催されてい


ます。






敬老の日と還暦野球

敬老の日の21日は山形も好天に恵まれ、山形市長杯還暦野球大会という
高齢者の野球大会を主催し、自らもプレーを楽しみました。

朝6時40分に自宅を出て、霞城公園の中にある野球場で、
ダイヤモンドのライン引きに始まり、審判を務めたほか、
自チームが出場する試合では監督をしながら
ショートを守ったり、キャッチャーをやって
目いっぱい体を動かしてきました。

還暦野球は文字通り60歳以上の野球です。
この日の大会は例年、10月の体育の日を中心に開催してきましたが、
今年は会場となる野球場の関係で、敬老の日が開催日となりました。

敬老の日としては「元気なおじいちゃんたち」ということで、
地元の報道機関に格好の話題を提供したようです。
何社かのテレビニュースで放映されました。

本人たちは万年・野球小僧のつもりで張り切っておりますが、
体の方は正直なものです。
頑張れば頑張るほど珍プレーとなってしまいます。

個人的には70歳になっても野球をしたいと考えています。
還暦野球よりも1ランク上(?)の古稀野球の全国大会があるからです。

昨日の試合は6-6の同点でしたが
大会規定によって抽選で勝ち上がったため、
今日22日は準決勝に出場しなければなりません。
さらに閉会式が終わるまで大会主催者側としての務めも残っています。
7時半に家を出て頑張ってきます。

2009年9月19日土曜日

愛称

澄ちゃん、敏ちゃん、恒ちゃん、靖ちゃん、静ちゃん、万寿子ちゃん、トミちゃん、公ちゃん、富貴ちゃん…とキーボードを打っているうちに、なぜか「ふぅー」とため息がもれた。

緊張しているのかな-。小・中学校の同級生とはいえ、
これだけ女性の愛称を口にしながら(?)記した経験はない。

傍に誰がいるわけでもないのに、気恥ずかしさがこみあげてくる。
ということは、この方々は今でも、名前だけで人をときめかせるものを持っているのかな?

 「まさかぁ。少なくとも彼女たちはお前さんより年上だよ」。
(小生は早生まれ。多くの同級生より1つ若いつもりでいる)

だが、50年前に次々と口にすることができていたなら、
人生が変わっていたかな。もしかしてバラ色? 
ということはあり得ないなあ。むしろバラバラ色だろうね。

現実性のない、途方もないことを想い浮かべているうちに?・?・? 
今日は何を書くつもりだったのかなあ。一瞬、考えてしまった。

最近、こうしたケースは珍しいことではない。
例えばグラスを取りに行って戸棚の前に立つと、
あれ何をしに来たんだっけ?ということを繰り返している。

話が横にそれてしまったが、今月26日(土)午後5時半から山形市で、
埼玉県からご帰省なさる美樹ちゃんを囲み夕食会を開く。

その出席予定の方々を紹介するために、パソコンを打ち始めたものだった。
前記の方々のほか、男性では康夫君、一雄君、隆君が出席してくださる予定。

久しぶりのミニ同級会なので、皆さんよろしくーということお伝えするために、
ファーストネームというか愛称(親しみをこめたつもり)で
書き始めた文章がこんな形になってしまいました。

2009年9月15日火曜日

続・3年F組の女性

もう1人、F組女性との会話から。

「〇〇ちゃんを囲む夕食会の場所、決まったがあ?」。
「はい。山形テルサに近いイガッタ(Igatta)という店に決めました」。

「何、エガッタ? ほだな店あんの?」。
「エガッタではなくイガッタです! 煙突のエではなく、石ころのイ!」

「んだがらエスころのエだべ」。

「石畳のイですよ」「エスダダミのエ」。
「糸のイ」「ほいずはエドっだなあ」。
何だかからかわれているような気がする。

そして「イチローのイですよ」と言うと、
急に口調が変わり「そうね、エズローとは言えないわね」。

ということで、最初から分かっていたらしい。
そして追い打ちがきた。

「イガッタでエガッタ!エガッタ! あはははー」。
「・・・」。あっけにとられて返す言葉がない。
3年F組は女性上位と聞いていたが、
まさしくその通りかもしれない。

3年F組の女性との会話から

ある朝、8時少し前に電話が鳴った。

「もしもし…」。寝ぼけ声で受話器を取ると
「あぁogaちゃん? **子です。おはよう。起ぎっだけべー」と、
おっそろしく元気な声が飛び込んできた。

「ogaちゃんは朝5時ごろ起ぎでマイニズ散歩してるてゆったけずねー」。
「???」。朝はけっして早いほうではない。
たまに5時ころ目を覚ますことはあっても、せいぜいパソコンに向かう程度。
散歩に出たことは一度もない。
この時も、まだ布団の中だった。

「誰かと勘違いしているのかな」と思いながら、
生返事をしていると「〇〇ちゃんから電話あったけベー」。
再度「???」。
〇〇ちゃんがよく聞き取れない。
「えっ、誰からですか?」。「〇〇ちゃんョ、〇〇ちゃん」。どうしても聞き取れない。

無言でいると「何、分がんねの。〇・〇・ちゃ・ん!」。
語気が一段と強くなった。「今度、ヤマガダさ来る同級生だべずー」ということで、
何とか〇〇さんの件であることが分かった。

用件は「私ョ、上山さえぐ用事あっから、
その帰り〇〇ちゃんば乗せてくっがっらナ」ということだった。

3年F組の女性は幾つになっても迫力がある。
濁音に語尾の強い話しぶりは“郷土文化”を継承なさっている証でもあろう。
そして温もりがある。でも〇〇ちゃんと呼んでいた名前は今もってわからない。

2009年9月14日月曜日

上山出身のピアニスト。


 大分前になりますが、上山在住の吉野静子さんから月刊ミニマガジン「かみのやま」を送っていただきました。

 早速目を通したところ、最初に目に留まった記事が、上山出身のピアニスト永田美穂さんによる寄稿文、「パリでの音楽修行」についてでした。

 「アレッ、永田歯科医院のお孫さんかしら?」と思いながら、その記事を読みました。

 上山小から上山北中卒業後、東京の桐朋女子高校音楽科を経て桐朋学園大学演奏学科を卒業後、フランス、イタリアに音楽留学をし、現在はパリ在住との事。

 その間、各種コンクールに参加、入賞、そして時々帰郷し、故郷でのコンサートを開かれているとの事でした。
 最近では、8/30に上山で開催されました。
 謂わば日本における若手のホープというところでしょうか。

 また留学中は、練習やコンサートの合間を利用してフランス語のレッスンに通い、それも何とか克服されたとの事。
 活動拠点がヨーロッパの為、演奏旅行の先々で、現地在住の日本人や知遇を得た人々の歓待を受け、日本人として立派な民間外交を果たされているご様子には感銘を受けました。
 我ら同郷の誇りとして、暖かく見守りたいものですね。

 ちなみに、昔まだ小学低学年だったころ、確か虫歯の治療で、母親と共に同医院を訪ねた日の事を思い出しました。
 治療台に上がった途端、「嫌だ~」と大ゴネをし、先生をはじめ周りの方々のやさしい説得にも屈せず治療台を降りた途端、先生の一言「こんな我儘な子供は初めてだ!!」 と怒られた事を思い出しました。
 機会がありましたら、永田美穂さんのコンサートに行きたいものですね。

2009年9月10日木曜日

かみのやま温泉「山城屋旅館」

【歌人・斎藤茂吉翁ゆかりの宿は高橋健三君の生家】
 「歌人・斎藤茂吉翁ゆかりの宿」として知られるかみのやま温泉の山城屋旅館は静岡県藤枝市在住の東濤会会員・高橋健三君の生家でもある。健三君の祖父・高橋四郎兵衛さんが茂吉翁の実弟で、茂吉翁の著書や遺墨、書簡、写真などが数多く残されている。
歌聖の息遣いが伝わってきそうな山城屋旅館館内には常設展示室が設けられ、その一部がいつでも見ることができるという。母親がアララギ系の歌人でもあった鈴木正朗君と同旅館を訪ね、健三君の兄・豊二さんから山城屋と茂吉翁の思い出などをお聞きした。

《祖父は茂吉翁の実弟》
 山城屋旅館はかみのやま温泉の湯町地区にある。大正ロマンを感じさせる純和風の木造3階建て。美しい日本庭園を備え、2階には茂吉翁の書跡展示室がある。
 四郎兵衛さんは幼名を直吉といい、山城屋の養子になって四郎兵衛を襲名した。生涯、兄の茂吉翁を慕い、誇りにしていた。茂吉翁も帰郷した際はきまって山城屋に滞在し、四郎兵衛さんばかりでなく、甥の重男さん(健三君たちの父)を「シゲオ、シゲオ」といって可愛がり、外出にはよく同行させていた。健三君たちを膝の上に抱いてくれることもあり、家族のようにして寛いでいたという。山城屋滞在中に詠んだ歌も何首かある。

《茂吉翁の頭をなでる・やんちゃだった健三君》
 健三君より2つ年上の豊二さんは「やんちゃな健三が3歳ぐらいのとき、いたずらで茂吉の頭をなでたところ、祖父からひどく怒られたことを覚えている」という。四郎兵衛さんはよその子供でも悪さをするとよく叱った。近所の子供たちにとっては「おっかない爺さん」でもあったらしい。

《蔵王山頂に歌碑を建立》
 「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ」。有名な蔵王山頂の歌碑は大正9年、四郎兵衛さんの尽力によって建立された。短歌そのものが歌碑建立のために作られ、歌碑の文字も茂吉翁が揮毫した。台座やさお石は四郎兵衛さんと重男さんが何度か蔵王に登って探し当てた。全国各地に数多く建立された茂吉翁の歌碑の中で、茂吉翁生前の歌碑はこの蔵王山頂の歌碑だけという。この歌碑建立にあたり、茂吉翁が四郎兵衛さんと重男さんに宛てた書簡も山城屋の書跡展示室に展示されている。

《貴重な資料が並ぶ常設展示室》
 貴重な資料が並ぶ書跡展示室四郎兵衛さんは山城屋の3代目。木造3階建ての建物や日本庭園は四郎兵衛さんの代に整備された。客室には「あらたま」とか「赤光」といった茂吉翁の歌集名が付けられ、どの客室からも日本庭園と蔵王の山並みが見えるようになっている。茂吉翁や蔵王に寄せる四郎兵衛さんの想いが込められているという。

《蔵王は特別な存在・子供の頃からよく登る》
 「蔵王には子供のころからよく連れていかれた。暁登山は夜8時ころ上山を出発し、夜通し歩いて山頂まで登った。歌碑のこともあり、家族にとって蔵王は特別の存在でもあったようだ」という豊二さん。この7月15日は健三君と二人で熊野岳に登り、歌碑を観てきたという。今も森林インストラクターとして活動を続ける健三君は8月24日から木曽駒ケ岳、宝剣岳、笠ケ岳を歩いてきたばかり。その原点は蔵王にあったのだろうか。そういえば健三君は子供のころからスキーも上手だった。小学校の校内スキー大会で、健三君が山頂からさっそうと滑ってくる姿をただ驚きの目で見ていたことを思い出す。
 山城屋の客室はいずれも8畳の2間続きか3間続き。ゆっくり寛ぎながら日本庭園や蔵王連峰を眺め、温泉に浸る。そして偉大な歌人・斎藤茂吉翁の足跡に触れることができる。上山城や武家屋敷までは歩いて3分から5分。首都圏をはじめ県外客にも親しまれ、リピーターが多いという。いで湯のまちの老舗旅館は文化人ぞろいの東濤会員にもお誂え向きの宿かもしれない。(小笠原英雄記)

2009年9月9日水曜日

飛鳥と平城山

皆さんお変わりありませんか。今夏、奈良県飛鳥地方の高松塚古墳や甘樫丘、飛鳥寺、万葉文化館などを訪れ、古代国家の歴史や万葉人の歌心を育んだ地域の一端を垣間見てきました。
 今年3月から橿原市に転居した下の娘の家に1週間ほど滞在し、時には家内と2人で、時には1人で気の向くままに足を運んだものです。
 
《シートで覆われた高松塚古墳》
高松塚古墳は近鉄・飛鳥駅から歩いて約15分。小高い丘の中腹にありましたが、保存整備のためシートで覆われていました=写真= 本来の姿を見ることができなかったのは残念ですが、彩色の飛鳥美人は隣接の壁画館で見ることができました。

 大化の改新のころ、蘇我一族の館があったと伝えられる甘樫丘から大和三山といわれる香具山、畝傍山、耳成山を眺めているうち、やはり中大兄皇子と大海人皇子の兄弟から愛された万葉のヒロイン・額田王を想い起こしておりました。

 甘樫丘から歩いて20分ぐらいの奈良県立万葉文化館に寄ったところ、万葉劇場で額田王が恋と歌に生きた女流歌人として紹介されており、古代権力者たちの熱愛物語をさらに詳しく知ることができました。万葉の里は恋の里でもあったようです。
 《平城山の歌に惹かれて》
 昨年12月、首都圏に在住されている方々の忘年会で、ジローさんや伊藤さんが歌ってくださった「平城山の歌」にゆかりの磐之媛命陵にも寄ることができました。根っからの音痴で、音楽の世界とは縁遠い生活でしたが、何故か歌詞も知らない「平城山」の琴の調べが心に残っておりました。
 
 近年、その歌詞や、歌詞に出てくる古の人が磐之媛という古墳時代の皇妃であったことなどを知り、また平城山という地名にも惹かれ、一度は訪れてみたいと思っていた所です。

 近鉄・大和西大寺駅から歩いて約30分。平城宮跡の近くで、古墳の多いところでした。磐之媛は仁徳天皇の皇后で嫉妬深い女性と伝えられているようですが、情熱的な女性歌人でもあったようです。
 この日は小雨模様でしたが、傘をさしながら古墳巡りをしているという男性2人と出会いました。このうち三重県津市から来たという方にシャッターを押してもらった記念の写真を掲載するつもりでしたが、本人が写っていない陵墓だけの写真にしました。
 飛鳥も平城山も機会があれば再度、足を運んでみたいところでした。

2009年8月26日水曜日

月下美人

月下美人といっても残念ながら? 湯(?)上り浴衣姿の美人のことでありません。
一夜しか花が咲かない「純白色の美人の花」のことです。
メキシコ原産サボテン科クジャクサボテン属、日本では月下美人と名付けられています。
香りが強く、花が咲くと甘い匂いがして自分の存在をPRします。
花ことばは、「はかない美」「はかない恋」「繊細」「快楽」「一度だけ会いたくて」など、切ない言葉ですね。
20年くらい前から自宅で育て、10年前から花が咲くようになりました。
その間、転勤のときも赴任地にも家族の一員として行き来しております。
夕方になると蕾が膨らみ。暗くなると段々花が開いてきます。
二枚目の写真は 19時30分頃から咲きはじめます。
22〜23時頃が満開(三枚目の写真)、午前2時頃には 萎んでしまい「儚い一生」を終えてしまいます。

「花の命は短くて・・・・」とは まさしく月下美人の数時間の花の命 に相応しいかも知れま
せん。  中村 弘

2009年8月24日月曜日

しばらくぶりです

あれから上達せず 皆さんの投稿を心待ちにして 眺めているだけのわたしでした。近頃は書き込みがすくないなーぐらいでね。それに文才はないし 言葉も知らないし 写真も取り入れられないし とんでもないお仲間にもぐりこんでしまったわ~と 後悔の念にかられてました。(本音です) だけど このまま沈むんではジローさん他みなさんに合わす顔がないわー がんばろー。再度デビューのつもり?      今年もあついぞ熊谷  と報告したかったのですが ごぞんじの様に冷夏で すごしやすいと言えばそうですが もの足りない季節でしたね。ましてや 戦争で焼け野原となった熊谷の復興を目指して開催されていて第60回目の花火大会も雨でさんざんでした。昨年はシンガポールから帰国した長女家族の孫たちが喜ぶだろうと 奮発して二万円の桟敷席で目の前で上がる花火とすさましいばかりの音に大喜びされ じじ ばばは満足でした。が 今年も アンコール とめったに要求しない孫の頼みに 普通に見てればタダなのに 今年もがんばりました。ブルーのシートが敷きつめられていて4人が座れるぐらいの囲いになってざふとん4枚が 準備されてるだけです。お天気も危ぶまれていたのですが 雨も降っていないし万が一のためと傘は持っていったのが幸いでした。なにせ二万円も出しているのだからと行きましたよ。開催地の駅に着いたら ポツポツ雨です。 帰る人たちもいましたが 浴衣を可愛く着てるカップル 現代的な着付けにびっくりし 会場に歩を進め かかりの人に案内され 席につきました。    最初は たこ焼き ちょこばなな 焼きそば やきとり 等々「雨の中で食べるのも おつだね~」    花火がバーンバーン上がり始めたら 「花火の力ってすごいね 雨までやませるね」子供たちのパパがそんなことをいいながらまたまた屋台に買い出しに 行ってちょっとしたピクニック気分で 食べて 飲んで 花火に感動し「 今は コンピューターで操作するから音楽に合わせても打ちあがるんだよ 。」 

そうなのか~しばし 傘なしで 楽しんでいたら ジワジワ降り始め 本格的になり ブルーシートに水が溜まり始め  すこし斜めの土手なので流れてくるのです。さあ 御名御璽?それまでってことで 帰ることにしました。半分ぐらいでした。

家族の感想です。    去年のはノーマルに良かったけど 今年は今年で二度と経験できない花火大会だった   うーん よかった! 来年もぜひ!   ないしんわたしは え~。



       

2009年8月22日土曜日

圧巻

今年は、夏のはしりに暑く 昨年同様猛暑かな・・と思いきや、その後、太陽が 雨や雲の中に隠れ ず~っと お出まし願えない日が続きました。8月中頃から ようやく夏らしい天気が戻ってきました。お盆明けのこの頃は、朝夕にチョッピリ涼しい風がそよ吹き秋が近くに来ているようです。そんな短い夏の夜に、花火の写真を撮ってみました。 長島スパーランド(三重県北部)花火を 対岸の長良川が注ぐ伊勢湾河口から、夜風に涼みながら 花火を愉しんできました。
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先日、三重県在住の中村弘さんから送っていただいた花火の写真です。
一人占めにするのは勿体なく、ご本人の承諾も得ない儘、投稿しちゃいます。
中村さんごめんなさい。
すばらしい作品をご堪能下さい。
写真上にマウスを置き、ダブルクリックすると拡大画像を見る事が出来ます。

2009年8月10日月曜日

日立市在住退職者の近況09年8月

 この「美樹子ブログ」もこれまでベテラン会員からの洗練された
投稿内容に敷居が高く感じられ、素人の私には縁遠い存在になって
いました。ところが最近F組の美樹子さんからグリーティングカード
をわざわざいただき近況を報告するよう依頼がありましたので
意を決して悪文を投稿することしました。この悪文が呼び水になり
以前のように盛況を取り戻すよう祈ります。

 さて昨年妻が小脳出血で入院、9月末に退院して自宅でリハビリを
始めることになりました。私が先に逝くものと信じていましたので
介護する側になると、不如意で半年程は無我夢中で不安な日々を送り
ました。
 しかし、陽あたりを良くするため10坪程の庭の樹木15本全てを
伐採するよう妻から提案されました。検討の結果いわれのある「南高梅」
1本を残し約3メートルの木々14本を切り取り、家庭菜園に模様替え
することになりました。一部を業者に依頼して私が約10日間で仕上げて
ソラマメ、えんどう豆を手始めに育てました。
 妻は静かに見守るばかりでしたが、自然の中で豆が成長していく様子が
楽しいらしく、実の刈り取りを不自由ながら手伝ってくれました。
人は、自然に癒されます。老いた夫婦には貴重な時間空間が得られました。
現在、悪天候にメゲズかぼちゃが10個ほど実を結び、収穫の秋を楽しみに
しています。
           日立市 柏倉 孝
追伸
 無償オープン生産管理ソフト普及ボランティア活動も順調継続中です。

2009年8月9日日曜日

大事な時期なのに・・・

 衆議院選挙の公示日も間近にせまって来ました。

 政権交代かどうかの選択を、我々選挙民に課せられている大事なこの時期に、最近の芸能人の不祥事続きとそのマスコミ報道に、ただうんざりしてしまいます。
 
 報道番組は、事実を報道すれば良いのであって、連日の推測交じりのコメンテーター達の話を聞いていると、何も公の電波を使ってまでやるほどの事ではないでしょ、と思ってしまいます。
 でもどうしてもこの種の報道は興味本位で見てしまいます。

 しかし、先日の初の「裁判員制度」に関する報道は、改めて市民の目線が生かされた裁判として、高い評価を得ましたね。

 ところで、各党のマニフェストも出揃った訳ですから、その検証をそれこそ国民の立場に立ってやって欲しいですね。
 そして、その事が正しい投票行動に繋がれば、マスコミの存在意義、大と思いますが・・・。

2009年6月22日月曜日

東沢バラ公園・どんでん平ユリ園




昨日は父の日、皆さんいかがお過ごしでしたか?


朝雨がふっていましたが、バラの苗(モッコウバラ)が欲しくって


東沢バラ公園まで主人と出かけることにしました。ついで(?)に


白鷹町のアユ茶屋でお昼をして、長井市のアヤメ(ハナショウブ)


を見て、飯豊町のユリを見て帰ってくる予定です。


東沢バラ公園はようやく雨もあがり、雨にぬれた花々が重そうで


した。平成13年にかおり風景100選の認定を受け、14年に750


品種、20,000株、7.0ha。日本一のバラ公園になりました。


ボランテアで手入れをする人、グッズや飲み物を売る人、、、


大勢の人が働いています。苗木の売店には残念ながらモッコウバ


ラの苗はありませんでした。


村山市~河北町~朝日町~最上川沿いに白鷹町、アユの簗場


にあるあゆ茶屋で蕎麦とあゆ焼きを食べ、売店でワラビが新鮮で


手頃なお値段なのでゲット!!


白鷹から隣町の長井市でアヤメを見る予定でしたが、やめて飯豊町


どんでん平ゆり園に向かいました。もうすっかり晴れ 暑い日差しです。


駐車場完備。まだ五分咲きですが150品種、50、000本のいろとり


どりのゆりと開放感に感動しました。


今年耕地面積をさらに拡張してゆりの丘の中腹に展望台が出来、そ


こからはゆり園全体と散居集落が見渡せます。花の売店で宿根のベ


ゴニアとゼラニュームを5株求めてニンマリです。ゆりソフトを行列に


並んで買って食べましたよ。


帰りは道の駅のめざみの里物産館に立ち寄って地物の野菜を買い、


まるで、遠足の子供みたいでした。


 このような施設は 行政、住民一体になって継続した物づくりが必要


なのでしょうね。






2009年6月12日金曜日

オリジナルカレンダー


  昨年 中村弘さんに送っていただいた画像を使用して、カレンダーを作ってみました。
 「作る」と言っても、自ら苦労した訳ではなく、あるサイトのフリーソフト(無料カレンダー作成用ソフト)を使用したものです。

 下記のサイトをクリックしてみて下さい。
 該当する箇所にチェックを入れていただいて、後はお気に入りの画像を挿入するだけで、自動的に作成されます。

 結構面白いですよ。
http://soho.tururindo.com/prg/ocm09/

 ご希望の方には、お気に入りの画像を送っていただけば、作成代行を致しますが。

2009年6月10日水曜日

上山の話題(新聞切り抜き)

還暦野球とシニアテニスのイベントに追われ4月、5月があっという間に過ぎてしまいました。

久しぶりの投稿ですが、同級生の話題がありません。

それで最近、地元の新聞に掲載された上山の話題を切り抜いて添付してみました。

三吉山に咲くニッコウキスゲと、上山で誕生した「上ノ山麒麟」というサツキの話題です。

三吉山は名前を聞くだけで懐かしい。「上ノ山麒麟」は愛好家にとって貴重な存在のようです。


2009年6月9日火曜日

我が家の愛犬、ジロー

 我が家のジローを動画撮影しました。

 朝の一時間余の散歩から帰った直後のシーンです。

 まるで 「散歩が足りないよお~」と、動作でアッピールしている様ですね。

 一年前に、この愛犬に跳ね飛ばされて腰を強打し、圧迫骨折をしました。

 同時に、荒れ放題の我が家の猫の額の庭をご覧下さい。 

2009年5月31日日曜日

軽くなった私のフットワーク

 最近、私のフットワークが軽いのです。
 私と同世代の女性は、友人を含め皆スリムで身のこなしが優雅ですが、私は、どうもハズレテルと思いつつ、今に至っていましたが、(何故か過去形です。)、最近人並みにちょっとスリムになりました。

 成人病の入り口にいるらしい、とお医者様の診断が下ったのは、昨年10月。
 追い討ちをかける様に、「このままだと、長生きは期待できませんよ」とまで言われてしまいました。
「これは大変、30年も早くは死にたくないッ!!、デ先生私はどうすれば良いの?」と訊ねると、「まず痩せなさい。」との事。

 ソレッ!と減量開始。
 私のメモによると「昨年10/29、〇〇kgからスタート」と書いてありました。

 結果、現在の体重=〇〇kg-7kg、つまり7kgの減量となりました。
 主治医の先生には、「よく頑張りましたね。もう大丈夫でしょう」と太鼓判を押していただきました。

 つまり、心身共にフットワークが軽くなったのです。
 それに副産物として、ヒール付きの靴が履けるようになった・・・。これもすごく嬉しいのです。
 もともと外反母趾の傾向があった私の足に私の全体重がかかり、外反母趾を圧迫して、痛くて痛くてヒールを履けなかったのです。それが、体重の減少により改善された、と言う訳です。

 今年、我が家に慶事の予定があるので、ヒール靴が可能になり大変助かりました。
 今では外出の度にヒールを履き、その心地よさに若かりし頃を思い出しております。

 ダイエットはそんなに大変な事ではありませんでした。
 参考資料として、下記のサイトを使わせて戴きました。
http://www.eiyoukeisan.com/index.html

2009年5月29日金曜日

笹巻きをつくりました


28日は旧のお節句でした。それで「笹巻き」をつくりました。

みなさん覚えていますか?結び方は地方によって違うようですが

私のは実家の母に教えてもらった結び方です。

作り方

ささをクルッと巻いて三角形の漏斗状にし、大匙二杯くらい

水に一晩浸したもち米をいれ笹を折り正三角形にします。

もう一枚の笹をかぶせきちんとした正三角形にし、イグサで巻

いて、中央で結んで完成。一時間くらいゆでて出来上がりです。

(写真)

笹は主人がエコーライン近くから取ってきてくれましたので、150

個くらい作りました。ので、子供たちに山菜もまじえて「ふる郷便」

を送り、あとは会社と自家用とたちまちなくなりました。

お店では売っていますが、家庭で作る方は余りいなくなったようで

すね~

子供たちからは即孫に食べさせている写真添付のメールや、TEL

がきて作った甲斐がありました。ささやかな日常です。

2009年5月20日水曜日

イタリア、ストレーザの写真です。

 先日帰国されたYukiko Pluss さんから、「ブログタイトルの背景にお使い下さい。」と上の画像を送っていただきました。
 タイトル用の画像は、切り抜きをするため、全画像を収める事ができません。
 そこで、あまりにも美しい風景のため、原画像をアップします。
 画像の上にカーソルを持っていきますと、「手」の形に変わりますので、ダブルクリックをすると、拡大画像を見る事ができます。

 雪子さんのメールに依ると、2006年4月にイタリア、ストレーザに行かれた時に撮影された画像だそうです。

↓ ストレーザについて、詳しく記載しています。クリックしてみてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B6

 手書きのカード用に、密かに「旅するちいさな写真ギャラリー」と名付けて、撮り溜めたものの中から、送っていただきました。
 いいですね~、「手書き」のカード、今となっては貴重ですネ。

 ちなみに、湖の対岸は、スイス、アルプスの南側に位置するティチノ州だそうです。 湖は、マジョーレ湖だそうです。

 ストレーザ、スイス、ティチノ州、マジョーレ湖を地図で探したのですが、帝国書院発行の「新詳高等地図」(娘の高校で使用していた教科書)では、見つける事が出来ませんでした。トホホ・・・

2009年5月16日土曜日

女子短大生と共に。

 最近、地元に移転して来た女子短大で、週二回程英語を勉強しています。
 立場は聴講生としてですが、女子短大生と同じ教室で、同じカリキュラムを勉強しています。

 当初は、一教室に約30人程いるうら若き女子大生に、一人ポツンと混じっている事に違和感、羞恥心に近い複雑な気持ちを持ちながらの通学でしたが、最近は慣れてきた事もあるのでしょうか、週二回の勉強を楽しんでいます。

 と同時に、最近の女子大生気質などを、無関心を装いながら観察する事の楽しさにもはまっています。
 まず驚いた事は、英語の基礎学力が非常に低い、という事です。これは、近年の大学生の学力低下が顕著になっている事と符号している様です。

 私自身の事を言えば、人の事を批評する程英語力があるとは思いませんが、それでも彼女達よりは少しましかなあ~。

 そこで、英会話の時間に、時々教授の目を盗んでは簡単な文章の作り方を教えてあげる「せっかいババア」をやってしまいます。それで、優越感にひたったりして・・・
 でも時間の問題で、すぐに立場は逆転するでしょうね。何しろ彼女達は若いから、知識の吸収力がすごい・・・

 特に、私の勉強している学科は、国際コミュニケーション学科ですから、彼女達にはもうちょっと基礎力を身に付けてもらいたいものです。

 近年、英語教育の内容が、文法重視から、リスニング、スピーキング重視に移行していると聞きますが、私はそれは違うと思っています。
 基礎文法に裏付けされたリスニング、スピーキングが国際的に認知される英語力と思っています。

 先日、久し振りに帰国されたYukiko Plussさんんも言っておられました。
 「一見、流暢に英語を話している様でも、聞く人が聞けば、その英語は正しい英語か、そうでない英語かすぐ解ります」と。
 
 でも、彼女達にも良い点が沢山あります。
 それは、私達社会人に対して非常にフレンドリーに接してくれる事です。
 それと、ファッションセンスが良いのです。まるで、キャンパスがタレント養成学校の様相を呈しています。
 巷間言われている様な「群れ」を作らない、等など。
 
 お陰様で、私の生活の場が広がりました。

2009年5月11日月曜日

お気づきですか?

 最近ブログタイトルの背景画を、時々替えていますが、お気づきですか?

 「お庭のお花ですか」とのご質問をいただきましたが、とんでもない・・・我が家の庭は、愛犬のミニドックランと化して、無残にもアナボコだらけ。雨の日などは水溜りが出来、時々その泥水をジローが飲んでいる事があり、背景の画像とは正反対のイメージを呈しています。

 もともと私は博識ではなく、特に草花に関しては殆ど無知であると居直っています。
 数年前になりますでしょうか?娘の小学校卒業記念に植樹した木を桜と思い込んでおり、ある時、実がなっていたので、夫に「桜って実がなるんだっけ?」と聞いたところ、呆れ顔で「お前なあ~、この木は紅梅と言って、梅干にするとおいしいんだよ」と教えてくれました。
 私は、ピンクの花は桜と思い込んでいたため、紅梅の濃いピンクを桜と勘違いする程、草花に無知なのです。

 考えて見ますと、上山の家には四季折々に色んな草花が咲きました。
 椿、杏の花、木瓜、梅の花、しかし、桜はあったかしら?

 特に、母はいつも草花を大事に育て、それを愛で、又時々は俳句に詠み、家をお花で賑やかにしてくれたものでした。
 なのに、私はその血を受け継がなかった・・・

 話は、前に戻りますが、時々アップするお花の画像は、ご近所のお花を撮りためたものです。
 レンズを通してみるお花はとても美しく、最近懲り気味です。
 「このお花の名前は何かしら」も大事ですが、「わあキレイ」の感性を大事にしたいと思います。

 負け惜しみかな?

P.S. ブログの背景に取り上げたいと思いますので、何か画像をお持ちの方は、是非私宛お送り下さい。お花以外上山の風景他なんでも結構です。

2009年4月28日火曜日

再会の画像をアップします。!!

(向かって右端より、庄司良さん、雪子プルスさん、高橋萬理子さん、私(ジロー)です。)
雪子プルスさんは、無事スイスにお帰りになりました。
20日に亘る日本での滞在の中、その過密スケジュールを割いての私達との再会は楽しいものでした。
アップの画像は、雪子さんに送っていただいたもので、お店の店員さんに撮っていただいた貴重な二枚です。
その店員さんは、とてもハンサムな若い方で、思わず雪子さんが、「貴方、ハンサムね」と話かけをしたところ、とても恥ずかしがって、左手で顔を覆ってしまいました。
ちょっと間を置いてのシャッター切りでした。
私が、「駄目よ~、そんな事を言ったら、恥ずかしがっているでしょう?」と反論したら、「だって、本当にハンサムなんだもの、目が美しいわよね」てな具合。
考えてみると、雪子さんの感性はスイス人のそれなのか、もともと素直なのか、興味があるところですが、正直な表現に思わず、羨ましい~と思いました。
本当に現代の若者には珍しいぐらいの初々しい青年でした。
良い思い出の一つです。
スイスに帰宅されてからの雪子さんは、再び日常的な活動を再開されている様です。
ボランティア活動、コーラス等と精力的です。
私達も見習って、元気に過ごしたいものですね。
とくに、女性は元気です。
男性陣も頑張って下さい。
連休を前に、やっとETCを付ける目途が立ちました。
我が家は、愛犬ジロー中心の生活なので、愛犬を伴っての限られた行動になってしまいます。
何処か温泉か、それとも寺泊辺りまでドライブを兼ねた海の幸を堪能しに行くか、または、益子焼きの仕入れに行くか、成り行き任せです。
いずれにしましても、関越が便利なので、その辺りかな?
皆様も良い連休を。

2009年4月19日日曜日

お元気な雪子プルスさん

 4/15(水)関東在住の3名(高橋萬理ちゃん、庄司良さん、私ジロー)が雪子プルスさんにお会い致しました。
 私は、ほぼ半世紀ぶり、庄司さんもそうだったかなあ、萬理ちゃんは8年振り?の再会でした。
 雪子さんとは、ブログ開設を機に何度かメール交換をしているうちに、身近に感じる様になり、お会いしたいなあ、と思っていたところでした。

 我々の第一声は、「わぁ~、お久し振り」、ちょうど私の隣に着席した雪子さんから、とても香しい匂いが・・・「スイスの匂いがするわ!」と私。「私は肌が弱いからお化粧をせず、代わりにアロマテラピー用のオイルを顔に塗っているからその匂いじゃない?」。「そのせいかな?お肌つやつやね。」てな具合に。まるで50年ものタイムトンネルを感じさせないおしゃべりの幕開け。

 一挙に50年前にタイムスリップしてしまいました。
 最初に私が、「雪子さんは上山の何処に住んでいたの?」と聞いたところ、「ホレ、みっこちゃんの従姉さんが住んでいるところの近よ」と萬理ちゃん。 「ところで、よっちゃんは、弁天住んでいのよね。遠がったずね。」とたちまち、上山弁に。
 あとは、情報通の萬理ちゃんの独断場。私達は専ら聞き役。50年前の微細な事まで憶えている萬理ちゃんの記憶力に脱帽でした。

 同級生の消息を中心に、先生の話、町の話、家族の話、同級生の家族の話等々。
 今思うと脈絡のないおしゃべりだったので、どんな話をしたの?と聞かれても答えようがないのですが、ただ言える事は、とても楽しく、お豆腐料理のランチを味わう余裕などないほどおしゃべりに夢中になってしまいました。

 合間合間に、雪子さんのスイスでのお話を伺いました。
 異文化の中での生活に真摯に向き合われて過ごされてきた雪子さんに、改めて敬意を覚えました。
 小学生時代の雪子さんにはかなり個性の強いイメージを持ったのですが、今の雪子さんはとても親しみ安く、謙虚な方との印象を持ちました。

 あっという間の2時間でした。
 「席を改めてまた続きを・・・」という事で、コーヒー店を探すのにウロウロ、やっと見つけたお店に入り、続きのお喋りを。
 場所を変えてのお喋りは、かなりプライベートに亘るものでしたので、ここでは差し控えます。
 二次会での2時間も瞬く間に過ぎ、再会を約してお別れしたのがPM4時過ぎでした。
 とても嬉しい事は、四人とも健康で元気でまだまだ若いという事です。

 最後に非常に心残りな事がありました。
 雪子さんのスイスでの生活をもっと聞きたかったこと。
 半世紀振りの再会にふさわしいもっとドラマチックな場所を探したかった事です。(ビジネス街にある騒々しいレストランでした。)
 デジカメを撮っていただいたのですが(お店の人に)、ピンボケになってしまいました。

 後日、庄司さんか雪子さんに画像を送って戴き、楽しかった模様をアップします。

2009年4月15日水曜日

ヴルス雪子さんのこと、白禿山のことそしておくりびと







ヴルス雪子さんのこと
四月初めに日本にいらした雪子さんと会いました。13日10時
に渡辺万寿子さん宅に集まりました。雪子さんは午後から東濤
会の集まりが山形であると言う多忙な日程をさいて、上山に来
てくださいました。平成13年5月にお会いして以来です。写真
中央が雪子さん、向かって右が大沢澄子さん、左が吉野(遠藤)
静子さん、向い側が渡辺万寿子さんそして私の五人で3時間の
間吉野さんが用意してくれた小学時代の写真を見て昔の話、そ
して、ご主人の話、スィスの医療費の話、48歳のときの手術の
話等など話はつきません。アッというまの3時間でした。今度は
雪子さんを訪ねられたらいいですね~。
白禿山のこと
みなさんの記憶にある白禿山はogaさんがアップしてくださった
禿げ山とおもいますが、現在は中央の写真のようになりました。
おそらく昭和55~6年ごろですが子供の夏休みの自由研究で
みに行きましたらニセアカシヤやクヌギなどの広葉樹が植えら
れていたようです。それから30年くらい経っております。
右側が白禿山、その後がタカシンザン、左側が秋葉山です。最近
里山を見直されてハイキングロードも少し整備されたようです。
(西山散策コース)昔は高山信仰で4月29日はお重箱に海苔巻き
などお料理をつくって祖母たちに連れられて行き、白禿山のてっぺん
の松の木の下で食べました。すごくおいしかった気がします。
おくりびと上山ロケ地のこと
ロケ当時は全く話題に上らなかった大吾の実家の当時の景観を
再現し広末涼子が水遣りしていた花壇なども再現されています。
市報でも載せられましたが市民の反応は他の街ほどではないかも
しれません。昔2軒あった映画館はトキワ館1軒になりそして今は
全くなくなりました。文化センターで上映されてはいますが、映画館
と言うわけにはいきません。
上山は温泉地のせいか、私たちの小さい頃から結構映画ロケのあ
った街だと思います。また義兄が松竹で木下監督のもとで助監督を
していた為でしょうか、身近にかんじているのですが情報文化の変化
なのでしょうね山形市でさえ映画館がなくなり、国際ドキュメント映画
祭が危ぶまれているようです。「おくりびと」がなんらかの起爆剤にな
ればと思うのは甘いのでしょうか?

2009年4月8日水曜日

白禿山(?)


 皆さん、こんにちは。山形は今日も好天です。桜の開花はまだですが、梅の花が咲き誇っています。市内の小路を歩くと、あちこちの庭から梅の香が漂ってきます。
 先日、おじゃました蟹仙洞の写真を現像、焼き付けしてもらうためと、金融機関に所要があったため、あまり車の通らない小路を歩いて市の中心街まで行ってきました。往復1時間半ほどのウォーキングでしたが、爽快そのもの。気を良くして帰ってきました。
 写真の現像、焼き付けは、今持っているカメラがデジタルでなく、旧態然としたアナログのコンパクトカメラなので、撮影するたびカメラ屋さんに頼まなけれなりません。
 
 それで今回、焼き付けしてもらった写真のうちの1コマを紹介します。上山小学校と後ろに写っているのは白禿山でしょうか。植樹が進み(?)、今は白い部分が見られないようですが、昔はまさしく白禿山だったんですね。高校同期会報に掲載するための取材でしたが、昭和29年上山小卒業同期生の皆さんにも-と思い添付してみました。 懐かしい写真はまだまだたくさんあるそうです。県外在住の皆さんもご帰省された際は蟹仙洞に足を運んでみてはいかがでしょうか。

2009年4月3日金曜日

私のお気に入りのコラム

 ある新聞の「実践マナー塾」というコラムに「短い会話、マイナス点は先に」という記事が載っていました。
 それによると、短い会話の中でマイナスとプラスふたつの気持ちを伝えたいときは、感謝や喜びなどプラスの言葉を最後に持ってくると、前向きな明るい印象を相手に与えるそうです。

 例えば、「おいしいけど固い」「キレイだけど高い」と、マイナス要素の「固い」、「高い」を最初に付けて、「ちょっと固いけど、おいしかった!」、「確かに高いけどキレイ」の方が、「食べてよかった。高価だけど買ってよかった」と明るい気持ちを印象付けるとか・・・。

 そういえば、子供が小さかった頃、結構教育ママだった私は、よく子供達の成績を見ては、「頑張ったんだわね・・・でも、もうちょっと何とかならないの?」が口癖でした。これを、「もうちょっとだわネ、でも良く頑張ったわよ」としたら、子供達も満足しただろうに・・・と時々後悔する事があります。

 まさに言葉は生き物、その使い方で人間の印象や関係をも左右する大切なツールなのですネ。

2009年4月1日水曜日

蟹仙洞

 昨日(3月31日)は高校時代の同期生と一緒に矢来の蟹仙洞に行ってきました。高校の同期会で年3回発行している会報の「会員歴訪」というコーナーに長谷川厚三君の実家を紹介することになり、その取材でおじゃましたものです。
 
 蟹仙洞は厚三君のお祖父さんが創設し、堆朱・堆黒など中国の漆工芸品や日本刀のコレクションで知られる美術博物館。上山を代表する文化スポットの一つですが、これまで入ったことがありませんでした。このたびは厚三君のお兄さんからいろいろと話を聞かせていただきました。
 
 堆朱(ついしゅ)とか堆黒(ついこく)、堆黄(ついおう)と呼ばれる漆工芸は、何度も何度も塗り重ねられた漆の層に彫刻を施したものだそうです。中国で発達し、蟹仙洞には明・清時代の作品が多数展示、公開されていました。国指定の重要文化財もあり、作品の質量は国内最高とも言われているそうです。
 
 ただ、このたびは会報に掲載するための駈け足取材。じっくり鑑賞する時間がありませんでした。改めて足を運び、ゆっくり見学しなければ-と思っています。
 
 その蟹仙洞の前を南北に走る道路は昔、中学校の体育館近くまで延びる細い道だったと記憶しています。

 朝、登校する際は宮川沿いの通学路(?)を通っていましたが、夕方、部活を終えて帰るときはこの細い道を通っておりました。途中、薄暗がりにまぎれて畑から失敬した大根やニンジン、サツマイモなどを、脇を流れる堰の水で洗い、かぶりついて空腹をまぎらわしたのは野球部だけだったのでしょうか。そんな50数年前を思い出したひと時でもありました。

2009年3月20日金曜日

紅梅の木

 久し振りの投稿です。大変ご無沙汰してしまいました。
 何があった訳ではなく、ただ生来の怠け癖が頭をもたげ、冬中炬燵にトップリ・・・ウトウトしてはテレビを見、ウトウトしては書籍、新聞を読み、またウトウトしては空想に耽り、時々は、ちょっとばかり勉強・・・、その合間を利用して愛犬の散歩と主婦業、と言う具合でした。
 気が付いた時は、春が目の前、という訳で、冬眠からやっと目が覚めました。
 画像は、我が家の庭にある紅梅の木です。
 この木は、娘の小学校卒業記念に植樹したものです。
 毎朝、雨戸を開けると真っ先に目にする光景です。その光景が今年は特別なものに見えてしまいます。
 今は家には居ないのですが、毎朝私に微笑みを湛えた顔で、まるで「おはようお母さん」と話掛けをしてくれる錯覚に陥るのです。今までに味わった事のない感慨を覚えます。その度、「貴女も幸せになるのねェ」と、思わず呟いてしまいます。そして、今年の花はとても綺麗に見えてしまいます。
 最愛の娘が嫁ぐ日が近づいてくる度に、一抹の寂しさと共に親として無事に健康に育て上げた充実感がみなぎってきます。
 来年の紅梅はどんな表情を私に見せてくれるのでしょう?

2009年3月19日木曜日

聖なる山

しばらくぶりの投稿になります。ブログが1月30日から更新
されないので皆さんどうしたの?とおもっておりました。
今日ogaさんの投稿をみて書きたくなりました。
 <モンテディオ山形のこと>
スポーツ音痴(?)な私はつい最近までモンテ=山、ディオ
=聖なる、すなわち山形の山々は出羽三山も鳥海山も蔵王
山もそれぞれ霊山で聖なる山の意味ということをしりません
でした。
J1昇格を機会にチーム名を変えてはと言う動きがあったと
聞きましたが、先日東北芸工大の高野先生のさよなら記念
講演を主人と聴きに行ったとき先生が申しておりましてあっ、
そうなんだと認識した次第でした。モンテディオだから山形で
あり、山形だからモンテディオなんですよね~ガンバッテ山形
<旧姓袴田雪子さんのこと>
昨日、のぶさんよりお電話を頂きまして袴田さんが4月中旬に
スイスからご主人と山形にいらっしゃると聞きました。
前回こられて7~8年なると思います。そのときは急遽吉野(
旧姓遠藤)静子さんから連絡をいただき、新湯の美津肥魯
そばやさんで昼食を共にしました。其の後みなさんは「楢下宿」
の方に行きました。
ブログで雪子さんの様子を時々おうかがいしていますのでお会い
出来ればいいな~と思います。のぶさん、ogaさん連絡してくださ
り有難うございました。

2009年3月15日日曜日

ふるさと山形が熱い

皆さん、お久しぶりです。お変わりありませんか~。

昨日(14日)はサッカーJ1・モンテディオ山形の健闘に感動しました。

激しい雪の中で名古屋グランパスを迎えての一戦。下馬評は名古屋優位でしたが、立ち上がりモンテ・イレブンが名古屋ゴールに襲い掛かり、何度か見せ場をつくってくれました。

後半はさすがに防戦いっぽう。苦しい戦いに追い込まれましたが、優勝候補の一角でもある名古屋に最後まで得点を許さず、0-0の価値ある引き分けに持ち込みました。

先週、開幕初戦で古豪のジュピロ磐田を6-2で下しているだけに、テレビ観戦でも力が入りました。県民の期待は一段と高まっているようです。

既に新聞やテレビ報道でご承知のように、2009年の山形県はモンテディオ山形のJ1昇格のほか、東北で初めての「女性知事誕生」、大河ドラマ「天地人」の放映、映画「おくりびと」のアカデミー賞受賞、そして次世代米「つや姫」の登場など、インパクトの強い話題で熱くフィーバーしています。

「モンテディオ山形」は苦節10年。チーム結成以来、初めてのJ1昇格。山形県民にとっては待ちに待った「J1」でもあり、“熱く”なって当然かもしれません。県外在住の皆さんも郷土のチーム「モンテディオ山形」をぜひ応援してください。

「おくりびと」は庄内地方を舞台に撮影された映画として県民の関心を集めておりますが、上山市内にもロケ地があります。新聞等の紹介によると、主人公の実家として登場する建物が矢来橋上流の前川沿いに実在し、看板が立っているようです。矢来なのでしょうか、二日町なのでしょうか。八幡様の近くのようです。皆さん、ご帰省の際に足を運んでみてはいかがでしょうか。

「天地人」は城下町・米沢の基盤を築いた直江兼続が主人公。まだまだ米沢は登場しないようですが、毎週日曜日は夕方5時半からの「笑点」に続き、6時からBS放送で「天地人」を見てしまいます。

「つや姫」は米どころ山形県が自信を持っておくり出す新品種。トップブランド米として注目され、味は専門家が太鼓判を押しているようです。市場に出回るのは来年秋からだそうですが、次世代米は「つや姫」。県外在住の皆さんもご賞味ください。

久しぶりの投稿がつい感動のあまり山形県のPRになってしまいました。ご容赦ください。

2009年1月30日金曜日

樹氷もメタボ対策(?)

全国的に晴れ間が広がった29日(木)は蔵王のお山もことのほかご機嫌でした。

雲ひとつなく晴れ上がった青空に、くっきりと浮き立つ真っ白な山並みを見上げていると、優しく微笑む女神の誘いを受けているような錯覚に陥ってしまいます。

例年のことながら、この誘惑を断る術とか意思は持ち合わせておりません。女神の手招きに吸い込まれるように蔵王半郷で車のハンドルを左に切ってしまいます。

本来なら最も寒い時期。山は厳しい北西の風が吹き荒れ、最も機嫌の悪い時期ですが、日本列島が高気圧に覆われたこの日は快晴、無風。最高のスキー日和でした。

吾妻連峰や飯豊、朝日連峰、そして月山・葉山から遠く鳥海山まで広がるパノラマに感動しながら、快適に滑ることができました。

ただ、樹氷は例年よりもスリムな感じ。「メタボ対策」というわけではないでしょうが、その分、里も雪が少なく、楽な冬になっているということなのでしょうか。

2009年1月17日土曜日

定額給付金

 どうも定額給付金が支給される気配が漂って来ましたが、総額2兆円にもなる金額の出所は、特別会計の剰余金(よく埋蔵金と言われます)かららしいのですが、果たして景気刺激策として有効に働くのでしょうか?

 私ははなはだ疑問に思います。
 このケースを一般家庭に置き換えてみました。

 例えば家庭の埋蔵金(夫、妻のへそくりとか、小銭を集めた貯金箱)を掻き集めて、最近どうも体力、気力の衰えた家族一人一人に分配して、「皆、何か好きな物でも食べて元気をつけなさいよ。」と言っている様なもの。

 ましてや、今度は財政抑制のために、「二年後の消費税アップを約束させていただきます」と政府が言っている事は、「このお返しは二年後の貴方達のボーナスから返して貰うわよ」と言われた子供達が「それはないでしょ」と言っている様なもの。

 つまり、現金支給(俗に言われるバラマキ)は至極芸のない事。もっと有効な使い方をして景気浮揚につなげていただきたいものです。

 例えば、地方自治体に一括支給して地方の実情に合わせた使い方をしてもらうとか、景気悪化による労働市場の乱れに対するセフティネットの構築とか、全国の小中学校の耐火耐震事業に使うとか、待機児童のための保育園の充実とか、有効な使い方は沢山あると思います。

 言わば、政策力が問われるところです。期待しても無理かな? 

2009年1月12日月曜日

寒いですねぇ

 冬の寒い時期に人に会うと、挨拶代りに「寒いですねぇ」と言いますね。
 私は、この言葉の響きが大好きです。育った場所が山形のせいか、寒さには強く、また好き、だという事が影響しているのかも知れません。

 特に、ご近所との会話の中で、この「寒いですねぇ」の挨拶から色々な話題に発展します。
 例えば、朝一番の愛犬との散歩の時に、良くお向かいの奥さんに出会います。「ジローちゃんおはよう」に始まり、「家のパフィー(犬の名前)はまだベッドの中よ」、「エッーお宅のお嬢様はまだ寝ているの?」、「そうなのよ。寒がりで・・・」、「ところで、パフィーちゃんは何歳になるの?」、「8歳だわよ」、「エッ、あれから8年になるの・・・、じゃあ私達は8歳年取った訳ね、まあまあ大変だぁ」ってな具合。
 又ある時は、「佐藤さん暖かそうな帽子ねぇ」、「そう、これ去年〇〇へ行く時買ったの」、「どうだった、〇〇は良かった?あの時ジローちゃんお利口さんにお留守番していたものね。」、「今度は何処へ行く予定?」、「今年は駄目よ、娘の結婚費用を貯めなくちゃあね。」ってな具合で、延々続きます。
 これが、夏の場合、私は早々に家に入ってしまいます。夏には弱いのです。
 冬の時期の早朝の起床時は外は真っ暗ですが、私はこの時間帯がたまらなく好きです。
 何故か、身がキリッと引き締まる感覚。

 でも、今年はちょっと厄介なことが・・・
 昨年の腰の骨折の後遺症か、ちょっと痛む具合ですが、克服しなければ・・・
この寒い時期の入会は、近くの「スイミングクラブ」へです。水中歩行と行きましょうか。

2009年1月10日土曜日

筋肉痛の洗礼

 新年も松が明け、今日は十日。日常生活が通常ペースに戻ったところで筋肉痛の洗礼を受けています。8日から野球、9日からテニスの活動が始まり、いつものようにバットやラケットを振っただけなのに、太ももやふくらはぎ、腰、肩、わき腹など、体のあちこちが痛む。
 年末、最後にテニスをしてから丸2週間。まったく運動をしなかったとはいえ、予想外の痛みでした。痛みの分だけ体がなまっていたというか、体にたくわえが無くなった証左でしょう。幾分がっかりしながら、継続の重要さを改めて思い知らされ、新たな体力づくりのスタートを余儀なくされています。
 とはいえ今年も体が動きそうなので、本格的なシーズンを待ち望みながら走り回るつもりです。

2009年1月5日月曜日

我が家のお正月

 関東地域は、昨年末以来11日間晴天の日が続き、今日の湿度は38%のカラカラ陽気です。
 お陰で、ジローの毛皮には磁気が発生し、砂がはりつき黒い胴体はいつも砂ぼこり。私は、と言えば、髪の毛が乾燥のあまりちりちり・・・。この辺で一雨が欲しいところです。

 年末からお正月にかけて大忙しの日々を過ごした後、うその様に静まりかえった我が家。再びジローとの水入らずの日常生活がやってきました。

 今年初めて既製品のおせち料理を買い求めました。お煮しめは結構おいしかったのですが、練物、お魚等いまひとつというところでしょうか。来年は従来の半分既製品、半分手製のものを用意しようと思っています。

 それにしましても、小さい頃のお正月は、母親お手製のおせち、何種類ものお餅、おなます、松前漬け、お雑煮、あん餅、などなど豊富な献立が揃いましたが、今思うと、私は母の味を何一つ受け継がなかった事を後悔しています。従って、娘にも受け継ぐはずがありません。

 そんな娘も31日から元旦にかけて、婚約者の家に出向き、おいしいおせち料理をご馳走になったとか、その話を聞いた途端、来年は本格おせちに挑戦するからね・・・と話したら、「来年のお正月は新婚旅行に行っていると思うから、日本には居ないかも・・・」との事。とホホ~、親の心子知らず、ですね。

 息子は、と言えば、日頃の疲れを癒しに帰った様なもので寝てばかり、文字通り寝正月で、「お正月3が日を在宅とは冴えない27歳ネ」と言ったら、「自分なりに無理をしてスケジュールしているんだけど」との事。はてさて、「娘の祝い事とくれぐれも重ならない様にね。」とは言ったものの、果たして意中の人がいるのかなあ~とまた覗き見根性を発揮したりして。

 最後は、いつものトリオ(夫、ジロー、私)で元日参り、その後の日帰り温泉などを楽しんだあまり冴えないお正月でした。

明けましておめでとうございます






あけましておめでとうございます
お正月も五日になりました。四日まで忙しくようやくほっと
一息ついているところです。このブログにかくのは、久し
ぶりです。
ogaさんが栗川稲荷のことを書いておりましたので、歩いて
すぐのところのお稲荷さんと上の山城にいってみました。
お元日に降った雪もほとんど解けてしまい、三月末のような
陽気でした。
本年もよろしくお願いいたします

2009年1月2日金曜日

あけましておめでとうございます。

 昨年中はいろいろとお世話になり有難うございます。
 本年もよろしくお願い致します。
 思えばこのブログもちょうど一年目を迎えます。その間沢山の方々に、ご投稿又はアクセスを戴きまして、有難うございます。
 このブログを縁にして、中学校卒業以来音信のなかった方々とも再び旧交をあたためる事が出来ました。
 また、スイス在住の雪子plussさん(旧姓袴田雪子さん)、ロス在住の羽田妙子さん(旧姓柏倉妙子さん)ともリアルタイムに連絡がとれました。50年前には考えられない事ですね。
 今年も更にこの輪を広げるべく努力をしたいと思いますので、ご協力をお願い致します。
 どんな事でも結構ですので、この場を利用して交流をはかりませんか?
 首を長くしてお待ち申上げます。
 さて私事ですが、今日初詣に行って来ました。「三峰神社」というところで、自宅から車で2時間位のところに位置します。詳しくはを。

 画像は、この神社の「遥拝殿」で撮ったもので、夫、愛犬、私です。若いカップルに撮っていただきました。
 日暮れ時撮ったので、愛犬ジローは残念ながら、目だけしか映っていない様です。