2008年5月28日水曜日

中村弘君のフォト作品

三重県朝日町在住の中村弘君が定年退職後に始めたという写真(デジタルカメラ一眼レフ)の作品を紹介します。

「東濤会だより」という高校の同期会だよりに掲載するため送っていただいたものですが、素晴らしい作品ばかりなので、上山小中学校同級生の方々にもぜひ見ていただきたいと思い、勝手に投稿させていただきました。
 
始めてまだ2年足らずだそうですが、四日市大学(コミュニティ・カレッジ)の写真講座を受講し、着々と腕を上げています。
その一つが四日市観光協会のコンテストで銀賞に輝きました。四日市の「鯨船祭」を題材にした作品で、豪華な屋形や彫刻で飾り付けた鯨船を勇壮に操る若者の姿を絶妙のタイミングでとらえ、絵はがきにもなったそうです(写真上)。

また桑名市の水郷花火大会で撮影した「薄暮花火」=写真右=は、四日市コミュニティーカレッジのポスターに採用されたそうです。まだ茜色が残る夕空に華麗な光の花が咲き、水面をも淡く染めています。さらにライトアップに浮き立つ鉄橋などが見事な構図でキャッチされ、夏を彩る花火大会の幕開けというか、序曲ともいえるような情景が鮮やかに表現されています。
今回はこのほか愛知県津島市の「尾張津島天王祭」、岐阜県郡上八幡の「郡上踊り」、岐阜県海津市の「左義長火祭り」、京都の「祇園祭」、愛知県三河地方で盛んな「手筒花火」、桑名市長島町の「なばなの里イルミネーション」、奈良県宇陀市本郷の「又兵衛桜」、さらに名古屋城や長谷寺、京都妙傳寺、岐阜県海津堤の桜、木曽御岳山ろくの紅葉、乗鞍岳、伊吹山、奈良大台ヶ原の風景など二十数点をCDに収録して送ってくださいました。以下はその作品の一部です。

     尾張津島天王祭                  
      
                    




                                                                                                                 




                       
          桑名市「なばなの里」のイルミネーション      

     愛知の手筒花火

      

                   

                 長谷寺の桜

         木曽御岳山麓の紅葉                

  

                                          

  

                                    乗鞍岳

                                                           

2008年5月20日火曜日

今日は一人 おるすばん です

今朝の台風まがいの大雨の中を 同窓会のゴルフ大会 一泊旅行で主人は「いやだな~。」とつぶやきながら迎えの車に乗り込んで出かけていきました。わたしは何故か(やれ・やれ)と心で言い さて この自由を有意義に公民館活動もないし 楽しまねば~と思ったのですが 普段の寝不足と朝早くに起きたので睡魔には勝てず もう一度寝ることにしました。起きてびっくり10時半。でもとてもよい天気になってたので よかったわ! 主人達一行のことは 今日はプレイできなくも明日は大丈夫楽しめるに違いないと 思いやってあげました。目覚めてすぐこんなこと思いめぐるなんて なんて優しい妻じゃない・・・と一人合点。     ふだんは大違いです。  その後はコンビニに孫のための通信教育の進研ゼミの受講料をプレゼントしてるので 振込みに行き 「そうだ、今日はひとりだから おもいっきり手を抜いてコンビ二弁当にしよう!!」と、弁当と明朝のためおにぎりを買ってきました。なんとなく 食事の支度をしなくていいという解放感?不思議に浮き浮き。

さて 娘の家庭の事情を話しましょう。今 親子4人で、ある企業の駐在員としてシンガポールに赴任しているのですが 会社の方針で現地採用に重きを置くようになり(日本人はいろいろの手当てが高すぎる)帰国か現地並みの処遇で留まるか 二者選択迫られているのです。娘の夫は語学がすこぶる堪能でまた娘もアメリカの大学を卒業しているのでぜんぜん困らず 現地並みの給料になったら「わたしも働くわ。」と、もう 採用試験を受けて二次も受かり返事するばかり・・・と。私と主人は「子供は どうするの?」「かわいそうなことにはならないの?」とふあ~んがつのるばかり。他の方達は帰国を望む人、現地に残りたい人半々だそうです。子供はフィリッピン人の住み込みメイドさんを 月5万円で雇えば心配ないとか。そういえば幼稚園のバスのお見送り、お迎えはほとんどがメイドさんです。シンガポールは共稼ぎがほとんどでで女性の力はかなり強いそうです。こんな会話を交わしている娘の電話口での雰囲気は いつになく明るくきびきびとし 主人までもがあの優しい口調の由佳ちゃんじゃあないぞ  もう きまりだな 帰ってこないな と。はてさて どうなるか わが子とはいえ ああしろ こうしろとはいえず「よき選択を・・・」と 電話を終えました。これは一昨日のことです。きっと主人も そろそろ本帰国と思ってた矢先 思いがけない展開となりそうなので ゴルフのスコアは果たしてしっちゃかめっちゃかかな?
さて 私の自由時間もとろいタッチのブログ書きにかなりついやしましたので何をしようか?
ハワイアンキルトの製作しか思いつきません。                                                                                 

2008年5月18日日曜日

私の独り言

 タイトルどおり、私の独り言と受け取って頂ければさいわいです。
大抵、独り言は愚痴だと思いますが、私の場合も愚痴なのです。

 金曜日の夜、最寄の一つ前の駅に夫を迎えに行った時の事。いつもの通り駅のロータリーに車を止めてジローと一緒に夫の電車を待っていました。

 ところが、どうも雰囲気がおかしいのです。私の車の左側を通り過ぎる車のドライバーの殆どが私の方を見て、何か言いたげに通り過ぎるのです。ついに、五台目位のタクシーの運転手さんが、「ここは駐車してはいけないところだよ」、と言うので、私は窓を開け、「何故?」と思わず大きな声を出しました。
すると、その運転手さんは、降りて来て再び「ここは駐車禁止の場所だよ。」思わず私は、「どこが駐車禁止なんですか。標識が何も無いじゃないの?」でも、良く見ると道路標識なのか、路面上に白のペイントの斜線で、禁止エリアが書かれています。私は、その外側にいた訳ですから、違反じゃないと思い、「こんな、駐車禁止標識初めて見たわ。知らなかった。それよりも、バス停車エリアに乗用車が一杯止っているではないの?責められるのはあの車達でしょ。」と思わず大声を出していたら、丁度夫がやってきました。びっくりして「早く車を出せよ。周りが迷惑だろ」ふと、周りを見たら、車が数台繋がっていました。

 私が、腹に据えかねたのは、いつもバス停車エリアに止っている何台もの一般乗用車に対しては、多勢の為誰も何も言えず、手っ取り早い無勢の私に抗議したのが許せなかったのです。

 それに加えるに、私の夫たるものまで、私の味方をせず私を非難した事です。お陰で私は、乱暴極まりない運転で帰宅しました。怒りは収まらず、私の抗議の理由を夫に話しても解ってもらえず、そこで、夫婦喧嘩、ジローがびっくりして顏を引きつらせていました。その事にまた腹が立ってジローに八つ当たり・・・。「誰が聞いてもお前が悪い、常識が無い」と攻め立てる夫に、「あなたは不器用だ。例え私が悪くても、もっと言い方があるでしょ。例えば、『まあ落ち着いて、向こうももっと説明すればよいのにね。忘れろ』とかどうして言えないの。」と有らぬ方向に話が展開してしまいました。私は、それでも収まらず、「これからその運転手さんと話をしてくるわ」と言ったら、「行って来いよ」でまたカッーときてしまう始末。

 その夜は、興奮して熟睡できず、挙句の果ては、ガラスが粉々に壊れる夢などを見てしまい、嫌な気分・・・ムッとして起きてきました。

 ここまで書いてから気が付いたのですが、大分愚痴った事で心が晴れて来ました。
 皆様はこの様な場合は、どの様に気持ちの切替をされますか? 

2008年5月8日木曜日

娘の巣立ち

 4月から社会人になった娘が、一ヶ月の長い研修を終え帰って来ましたが、いよいよ社員としての生活が始まります。

 勤務地が横浜なので、寮に入るため今日我が家を後にしました。当座必要なものだけを持って行った為、娘の部屋は以前と殆ど変わらない儘です。
 文字通り主の居ない空の巣の部屋を見たとき、寂しさが突然襲って来ると同時に、23年間一緒に過ごした日々が蘇り、よくない傾向(空の巣症候群?)に陥ってしまいました。

 でもその回復は早く、また娘の部屋に入り、今度はオークションに出せるものがないか、品物漁りを始めました。(言葉が良くないですね)
 漫画の本?、参考書?、ぬいぐるみ?、着なくなった洋服?などなど・・・ 早速、娘の許可をもらう為電話をしたら、生返事、この返事は拒否の返事なのです。でも、無視。明日から楽しい出品の準備をしようっと・・・。

 娘の希望したSEの仕事に就く事になりましたが、3k職種(きつい、きびしい、帰れない)といわれるSEはそんなに甘い仕事ではなく、大丈夫かなあ~と思いますが、心配してもしようがない話。割り切るしかありません。ただ、親として全面的に娘を信頼する事。これに尽きる様な気がします。

 娘には小さい時から、「男性と同等である事。そのためには、まず経済的自立をする事」と教えて来ました。夢にも「結婚だけが女性の一番幸福な道」などとは思わない事。「結婚を否定はしないけれど、人生の選択肢の一つ」位に気軽に考える事。などなど私の勝手な思い込みを伝授してきました。同じ事を息子にも教えました。従って、我が家では、息子と娘を男女という事で差別をした事がありません。
 この教えが、馬の耳に念仏となるかどうかは娘次第でしょう。

 とにかく、自分で切り開いた道が人のため、又は社会のために役立ったと自覚した時の充実感を経験して欲しい。その経験が後の人生を豊かなものにすると思うのです。

2008年5月5日月曜日

はじめて投稿します

お久しぶりです。犬石です。とは言っても、小生の事 思い出してもらえないかも知れませんね。どうぞ仲間に入れてください。このブログのこと小笠原君の紹介で知りました。思わず遠い昔に引き込まれてしまいました。

懐かしい写真拝見しました。二宮金次郎の銅像、まだ健在なのですね。記念写真を撮った当時を思いだしました。(私は1年4組 柏倉 米子先生です。)
戦後間もないこの時代みんな子供なりに希望を抱いていた頃でした。

小生、上山を離れ50年 現在大阪在住です。大阪の環境や文化に慣れ親しんでいるのですが、少年期に過した ふるさと上山が忘れられません。
近所に山形県出身の方がおられます。干柿やさくらんぼなど分け合い、たまには、山形の話などしています。思わず山形弁が出るのがいいですね。

とりとめもない事を書いてしまいました。次回からは、思い出や近況を投稿したいと思います。まずは挨拶まで、、、

                          犬石 智夫

2008年5月3日土曜日

転校生ですが!

 上山小学校5年生2学期まで在籍しました。矢来3丁目に住んで居ました宗川(そうかわ)です。1月に柏倉君にブログの件は紹介されてはいましたが、今一、卒業していないので登録には二の足を踏んでいました。  中味は時々盗み視?して一人昔を思い出させて貰っていました。今日、鈴木展夫の投稿を読ませて頂き登録の決心をした次第です。  1、2年生の担任は{山川はま子先生} 3年生{若生菊子先生} 4年生{斉藤菊子先生}{大竹ちさと先生} 5年生{柿崎和子先生}の先生方に指導を受けました。18年の月岡ホテルの同窓会に初参加、58年振りにお会いした方もおりました。 半数の方は私にはわかりました。歳はとっても小学生の集まり?!とても嬉しかったです。あの時会えなかった方に是非、お会いしたいですね!!!!

206−0823 東京都稲城市平尾3−7−5 平尾住宅68−402
         宗川利廣 (ハンドルネーム とし坊) 
     電話 042−331−7907   080−1001ー1687 
 

         

  斉藤(若生)菊子先生と。
 (先生のご自宅にて、2006年2月)







前列右から斉藤先生(若生菊子)
       鈴木展夫
       大沢澄子
後列右から柏倉孝
       石井勝之
       佐藤勝
       宗川利廣
       森井幸子(井上)
                                                                       (Hキャッスルにて、2006年9月30日)                                                                                                             

2008年5月2日金曜日

花見満喫

 山形市嶋地区に映画館がオープンした。全国に先駆けて、藤沢周平原作「山桜」が上映されたのでオープン翌日に観て来た。
 武家の若妻「うの」は、満開の山桜に魅せられ、一枝手折ろうとするが届かない。そこに通りかかった剣豪の武士「手塚」が取ってくれる。

 別れ際、手塚は問う。「今は幸せでござるの」。うのは困惑しながらあいまいに頷く。
 
 この出会いが後のうのの運命を決めることになる。
 1年後かあるいは数年後か、婚家を出たうのは、まためぐって来た満開の桜の時期に、牢に入っている手塚を待つ生活に心の安住を見出す。
 手塚が牢から出られるきざしも仄見える。

 背景の白い山(月山と思われる)と満開の山桜、田園風景、清冽な湧き水、武家の妻らしい凛とした美しさ等、劇的な出来事はあるのだけれど静かに展開する画面に、心が洗われるようでした。

 またそれより前に、東根市神町にある「自衛隊第6師団」の公開行進及び演習を見たが、折から、桜並木及びたくさんある桜が満開で、桜の下で家族が花見をしていた。まさに桜花爛漫であった。

 その後、山形東濤会(高校の同級会)の花見が山辺町「玉虫湖畔荘」であった。山形市西部の山の中腹にあり、山形市街が一望に展望できる。oga氏ともども参加した。昔校舎であったという建物の懐かしい格子状のガラス窓に映る桜を見ながら歓談、酔談に花を咲かせた。まことに今年は花見を堪能した春であった。

春ごとの花に心を慰めて 六十路あまりの年を経にける
                                  西行

鈴木 展夫
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