2008年1月30日水曜日

愛犬の散歩

 愛犬の散歩は1日に2回で、朝は9時から1時間程近隣の森、川、公園等を散歩してきます。

 画像の場所は、ジローのお気に入りの場所で、ここでは放してやります。すると、山の方まで入って行きなかなか帰ってきません。そこで、「ジロー来い」と大声で叫ぶと、一目散に帰ってきます。「ジローおいで」でなく、「ジロー来い」なのです。この言葉は一家で統一しています。発案は主人で、犬に敬語を使う事はない・・・との事らしいです。

 そう言えば、この地域は犬が多く、しかも小型犬が多い様です。大抵は過保護犬で、中にはベビーカーに乗せて散歩をする人もいれば、信号を渡る時は、わざわざ抱いて渡る飼主もいます。

 実に面白い光景ですよ。

2008年1月28日月曜日

懐かしい雪の故郷!!

 靖子さん、雪の故郷からお便り有難うございます。

 久しぶりに見る雪景色と上山城・・・・昔の月岡公園ですね。

 月岡公園といえば思い出すのは、やはり小学校の頃の竹下駄スキーですね。当時は冬になると毎日の様に月岡公園のてっぺんから湯町の辺りまで、弾丸の如く下駄スキーですべりまくったのを思い出します。今思うと色々な人に体当たりをしながら・・・。

 成人してから良くスキーに行ったのですが、子供の頃の弾丸スキーがよみがえってきて、格好は悪くても、急勾配を殆ど直滑降で滑り、友人のひんしゅくを買ったのを思い出します。

 今度は是非我が母校の写真をお待ちしておりま~す。

雪の上山城







ブログに参加させていただいて半月になりますが、なかなか更新できないでおります。


暦の上では「大寒」一年で一番寒い時期です。風邪ひいてませんか~!!

 昨日朝は気温も低く-5℃の最低気温でしたが日中日差しもでて、暖かそうだったので

上山城まで散歩にいってきました。といっても10分くらいですが、、、。

 そんなに雪も多くなく、日曜日なのに人もなく静かな公園でした。お城の傍の足湯で二人くつろいでい

ました。蔵王の山々は雪雲に覆われて見えません。階段を上っていくと蔵王石に刻まれた上山小唄

の石碑がありテンポの速くなった新しい「旧上山小唄」がCDになったようです。また、明治の女性探検

イザベラバードが上山に一泊二日されたときのことを「日本奥地紀行」のなかに書いていることを

記念して昨年石碑を立てたことが市報に載っていたのですがどこにあるか確かめてきました。逆光で

写真が明瞭でありませんので、次回に上山小学校の今とともにアップしたいと思います。

2008年1月26日土曜日

ブログの効用

 このブログ開設に当たって、色々な方からメールをいただきました。
 同クラスの方は勿論、小中学と口もきいた事がない様な方からもメールをいただきました。
 皆さんどなたも暖かいメールで、とても嬉しく思いました。

 ところで、ブログの使い勝手があまり良くなく、そのため登録ステップの段階で、また投稿の段階で解りにくいところが多々ある事を知っています。

 解り難い事、ご意見等どうぞお寄せ下さい。つたない知識の及ぶ範囲でしたら、出来るだけ早くご返事を差し上げます。
 
 まあ~気長に、誰かが「年寄りに、時間の猶予を  ハハハ」と言っていましたが、我ら世代はやる気満々で最後まで諦めない、というところがありますよね。たかがブログの如きで・・・などとおっしゃらないで、お茶飲み気分でご参加下さい。

 ところで最近、故郷の事、小中学校時代のワンシーン等毎日の様に思い出します。

 これもブログの効用かな?

2008年1月23日水曜日

携帯電話からの投稿について(どなたかトライして下さい。)

 携帯電話から投稿が可能になると、便利だと思いますが、私は携帯を所持していないのです。

 となたか、トライして下さいませんか?

http://help.blogger.com/bin/answer.py?answer=42448&topic=12523

 上記のアドレスをクリックすると、その方法が書いてあります。(当ブログのヘルプ引用)

2008年1月22日火曜日

ブログ投稿上の注意です。

 ブログへの投稿文を書いた後、「投稿を公開」をクリックする前に、画面の右上に「プレビュー」がありますので、そこをクリックし投稿後のイメージを確認して下さい。一旦「投稿を公開」をクリックしてしまうと、その後訂正をしようとしても、投稿者サイドでの投稿の編集は不可能になります。

 もし、「投稿を公開」後に訂正の必要がありましたら、管理者の方にお知らせ下さい。その際は、訂正箇所と訂正内容をお知らせ下さい。

 「投稿文」削除と編集は管理者のみの作業となります。

 また、投稿の仕方等でご不明な点がございましたら、お知らせ下さい。
(管理者)

2008年1月21日月曜日

小学1年の思い出(登校拒否!)

 子供の頃の思い出として印象に残っているのは、小学1年の時の登校拒否です。
 登校拒否になった訳は二つありました。

 私は、両親と私で東京で戦争を体験しました。戦後学齢期を迎えた私は、父の実家に帰郷しました。
 すぐに、小学校に入学したのですが、全然字が読めないのです。黒板の字も読めないし、勿論教科書も読めない・・・。何故なら私は幼稚園に行っていなかったのです。そこで授業について行けなかった・・・。

 もう一つは、当時シラミ退治の為に髪の後ろの部分を刈り上げていたのです。そこで、クラスメートから「男、男・・・」と言われたのが嫌だったのです。

 その為学校が嫌いになり、毎朝泣き喚いて暴れて登校拒否を訴えたのです。しかし、母に諭されて多分、3時間目位にやっとの思いで登校したのを憶えています。

 その時、私を、「泣かないで・・・」と言って慰めて励ましてくれたのが、靖子さんの旦那さんである斉仁さんだったのです。憶えていないでしょう・・・

 言わば、恩人な訳です。

2008年1月20日日曜日

同窓会の写真です。

平成14年9月2日  有馬館


平成18年9月29日  月岡ホテル

城ヶ島・鎌倉見聞録(50年ぶりの“修学旅行”)

《同期会出席の前に足を延ばす》
 中学生のとき、修学旅行は確か鎌倉・江ノ島だったはず。しかし、どこを訪ねたのか記憶にない。覚えているのはトイレのことばかり。旅行中、下痢をして見学どころではなかったからだ。そんなこともあって昨年暮れ、東京・墨田区で開かれた首都圏在住者の同期会に出席した際、五十年ぶりの“修学旅行”と思いながら三浦半島の城ヶ島と鎌倉に足を延ばした。城ヶ島は「雨はふるふる城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる…」のメロディーに惹かれたほか、利休鼠と表現された“ねずみ色”を見たい―という思いもあった。12月8日午前6時04分、山形駅発の「つばさ172号」に乗り東京、横浜で乗り換え11時過ぎに三浦半島の先端、三崎港に着いた。

《利休鼠ではなく青空の城ヶ島》
 三崎港は全国でも有数のマグロ漁港。昼食はマグロ以外に考えられない。港近くの鮨処で、おすすめ鮨と大トロを食べた。味をとやかく言うほどの食通ではない。とにかく美味しかった。そして満足した。2週間ほど前、家内と伊勢・志摩を旅行して松阪肉、伊勢エビ、志摩アワビ、的矢カキ、安乗フグと、三重ブランドを食べてきたばかり。そして三崎マグロと続いた。テレビ放送などで土地の名産・名物が紹介されると無性に食べたくなる。家内からは「食い意地ばっかりね。先を急いでいるんじゃないの」と皮肉られたりもしている。

《白秋記念館~灯台~海岸線~城ヶ島大橋を歩く》
 腹を満たしたところで城ヶ島を目指した。三崎港から定期バスに乗り、まずは城ヶ島大橋のたもとにある北原白秋記念館と白秋碑を見学した。白秋記念館は入場無料。館内には「ゆりかごの唄」や「砂山」のメロディーが流れ、白秋の遺作や遺品、年譜などが展示されていた。白秋碑は記念館前の砂浜に建っている。この日はよく晴れた一日。青空が広がり、唄にあるような灰色がかった“利休鼠”の島ではなかった。
 むしろ絶好の散策日和。白秋記念館から城ヶ島灯台、奇岩・馬の背洞門、ウミウ展望台、県立城ヶ島公園などを歩いて回り、最後は城ヶ島大橋も歩いて渡ってきた。城ヶ島大橋は観光パンフレットによると長さ575㍍、高さは21㍍。三崎と城ヶ島を結び、城ヶ島のシンボルでもあるという。橋の両側にはゆったりした歩道があり、散歩やジョギングする人の姿も見られた。この日は横須賀に泊まり、翌9日の午前中、鎌倉を訪ねた。 (写真は城ヶ島大橋と白秋碑)

《イケメンの大仏さま》
 鎌倉では大仏と鶴岡八幡宮に寄った。大仏は高徳院という寺のご本尊。高徳院は江ノ島電鉄・長谷駅から歩いて約10分。日曜日で8時を少し過ぎたばかりだったが、数人の先客がいた。大仏は座った阿弥陀さま=写真左=。高さは約13㍍という。朝の光に包まれた阿弥陀さまは、与謝野晶子が詠んだようになかなかハンサムだった。その晶子の歌碑もあった。読めなかったが「鎌倉や みほとけなれど釈迦牟尼は 美男子におわす夏小立かな」と彫ってあるらしい。
 境内をひと回りした後、長谷駅近くの由比ガ浜にも足を延ばしてみた。夏は多くの海水浴客やサーファーでにぎわうらしい。この日はウィンドサーフィンの若者が大勢繰り出していた。長谷駅から鎌倉駅に戻り、鎌倉駅前から若宮大路に出て鶴岡八幡宮に向った。
《若宮大路から鶴岡八幡宮へ》
 若宮大路は由比ガ浜から鶴岡八幡宮まで続くらしい。源頼朝が妻・政子の安産を祈願して造らせたと伝えられる。最初は歩道を歩いた。しかし、途中から道路の中央に一段と高い道があり、歩けるようになっていた。ためらうことなくこの道に上がり、八幡宮を目指した。歩く道の両側は二段くらいの石垣(?)になっていた。後で知ったのだが、両側の石は葛石(かずらいし)というものだそうだ。道は「段葛(だんかずら)」と呼ばれ、国の史跡にもなっているらしい。恥かしい話だったが、何も知らなかった。とはいえ旅に出るとよくあることでもある。いずれにしても、歴史のある道に足跡を残すことができて良かった。
《静御前も舞った歴史のステージ》
 鶴岡八幡宮に近づくと雅楽の調べが流れ、大きな石段の前の舞台で結婚式が行われていた。「舞殿」というところで昔、静御前が頼朝を怒らせた舞台でもあるという。義経を慕う静御前は、頼朝の前で堂々と「義経が好き」と歌い、舞ったらしい。「何百年の時を越え、昔人と同じ空間にいる」。そう考えると、いつも得をしたような気持ちになる。自己満足ながら史跡めぐりの魅力と思っている。
 大きな石段の中腹脇にそびえる大イチョウも将軍暗殺の場として広く知られている。樹齢千年とか。黄葉の盛り。黄色が青空に映え、とても美しかった。石段を上りきって本宮を参拝。帰りは若宮大路とほぼ並行している小町通りを歩いて鎌倉駅に戻った。この後はJR横須賀線で東京に向かい、12時半からの同期会に出席した。(写真は歴史のステージとなった大イチョウと舞殿)
《JRの割安きっぷを利用》
 今回の上京にJR列車が3日間乗り放題で12,000円という割安きっぷを利用した。新幹線指定も6回まで利用できる。函館や福井まで行けるほか、伊豆急行の「スーパービュー踊り子」号にも乗れる。9月の伊豆半島旅行に次いで2度目の利用だが、割安な経費で三浦半島の小旅行ができたほか、同期会にも出席できた。できたら同期会はこうした割安なきっぷが利用できる時期に開催してほしいものだ。(小笠原英雄記)

YUKIKO PLUSS(旧姓袴田雪子)さんからのメールです。

 雪子さんから次の様なメールが届きました。ご本人の了解を得ず転載させていただきます事をここでお断りさせていただきます。

メール、ありがとうございました。
つい最近、高校の同窓会のブログにもお誘いを受け、驚いているところです。

上山小学校を卒業した年が昭和29年だったことも、忘れていました。
楽しく拝見いたしました。靖子さんの花日記、タピストリー、美しく、楽しみました。
メンバーになるのは、かまいませんが、現在、時間に余裕が無く、もう少し楽になったら投稿することが出来るなら、喜んで、です。

近くの老人ホームで、ボランタリーとして、働いています。一緒に歌ったり、ビンゴをしたり、太極拳をやっています。

現在、老人向けの太極拳の先生になるための講座に通っています。太極拳か、気功が出来ることが条件で、老人に関して、勉強しています。こちらでは、老人学と言っています。老人の心理、病気などが入ります。フランス語で、それも専門用語なので、わたくしには辛く、時間がかかります。そして、スーパーバイザーに、骨粗鬆症について書くように、とのアドバイスで、これから重い腰をあげるところです。

という訳で、今は、ちょっと無理なのです。

どうぞ、皆様によろしくお伝えください。お元気で。

雪子

2008年1月16日水曜日

私の住んでいるところ

 私の住んでいる所は、30年ほど前、山を切り開いて開発されたいわばニュータウンで、総世帯1900家族、9000人のコミュニティーです。
 しかし、今は高齢化の波がここにも押し寄せ人口は半分位?。
 池袋から一時間余、自然溢れる良い街・・・と私は思います。

2008年1月15日火曜日

上山小学校卒業(昭和29年)生の交流の場: ロスからメールが届きました!!

上山小学校卒業(昭和29年)生の交流の場: ロスからメールが届きました!!

羽田妙子さんは、わたくし柏倉孝の父方の本家筋にあたります。

先年ゴルフ中にカートとともに転倒し負傷したことが伝えられ親戚中で心配していました。頭を打って
いないか、記憶が壊されていないかと皆はらはらしていましたが、時々メールの交換をして元気なことを 確認できました。また元気に日本に顔を出してくれることを願っています。

            2008年1月    柏倉 孝

ロスからメールが届きました!!

 在米(ロスアンジェルス)47年の羽田妙子(旧姓柏倉)さんから、メールが届きました。

 柏倉孝さんからのご紹介です。本当に懐かしく嬉しく思いました。

 すぐ登録の手続きをお願い致しました。インターネットとはすごいですね。リアルタイムにメールの交換、情報発信ができるのですね。

 この事だけでも、ブログが役立ったのかなあ~等と一人悦に浸っています。

 そこで、他の海外組にもお知らせしたいのですが、連絡先等ご存知の方はご連絡下さい。

 羽田さんの投稿を楽しみにしましょう。

2008年1月14日月曜日

投稿大歓迎です。

 小中学校時代の思い出、恩師について、近況報告、趣味、家族の紹介等々投稿大歓迎です。

 私は、家族の近影があまり無く(家族が揃うことがあまりありません。)、探してみたのですが、3年前の義母の法事の時お墓の前で撮ったものしかありません・・・・。

 夫と一緒の写真もなく(大抵は愛犬と夫、愛犬と私、の構図しかありません) トホホ・・・・

 皆様、ナイスショットをご紹介下さい。

 

ブログについて

 このブログの立ち上げ以来、ブログにはまってしまい、他の会社提供のブログに挑戦してみましたが難しく、このブログが簡単であると解りました。ヤフー、Biglobe等は多機能にわたるサービスを展開。

 もともとこのブログ提供会社は、サンフランシスコの小さな会社から出発したらしいのですが、2002年にグーグルに買収されたらしく、従って英語表現による説明が所々にあり使い勝手が今ひとつですがご勘弁を・・・。

2008年1月12日土曜日

原田さんようこそ!!

 原田さんようこそ、それにブログ投稿有難うございます。

 蔵王連峰の景色を久しぶりに見せていただきました。懐かしく、またすばらしいですね。 それに、干し柿の画像本当に懐かしいです。今年も兄に貰った干し柿を賞味しました。 私は、わざわざこちらのスーパーで購入し食べていますが、上山の干し柿が一番です。

 今後もこの様な画像をアップして下さい。楽しみにしています。

 早速ですが、ブログを拝見させて戴きました。素晴らしいですね。それにとても美しいブログだと思いました。
 そこで、お願いなのですが、ここのブログは少々殺風景なところがありますので、靖子さんのブログとリンクさせていただいてよろしいでしょうか。お願い致します。

 またご主人様にも是非投稿をお願いして下さい。


はじめまして






 遅ればせながら明けましておめでとうございます。本年も健康で幸多い年でありますようにお祈りいたします。




 昨年12月の首都圏在住の有志による皆様の同期会を機にブログを立ち上げて情報交流をするべくご尽力くださいました佐藤美樹子さんとご主人様に厚く御礼申し上げますとともに、私、主人(原田斉仁)も賛同させていただきます。




 OGAさんからブログを立ち上げた件のはがきをいただきました時、すぐジローさんにメールを送りお力添えいただきまして有難うございました。プロフイールにも書きましたが、上山市在住ですので、蔵王の四季の移り変わりや町の様子を書こうとおもいます。
 画像は12月27日の新湯の交差点から見た蔵王の山々かみのやま温泉駅にデイスプレーされた柿すだれです。見てください。



      




2008年1月9日水曜日

小学6年の思い出

 私は6年5組でした。担任の先生は、鈴木文右衛門先生でした。なぜか私はこの先生が嫌いでした。

 大人になってから考えたのですが、嫌いになった理由は二つありました。

 一つは、3年~5年まで担任だった皆川先生が転任され、6年になった時、文右衛門先生が新任で来られた時の事。私は、文右衛門先生が皆川先生を追い出したのだと思い、真剣に怒りました。私は、皆川先生が大好きで、母親以上の存在だった事を憶えております。転任された時に、私は悲しくて悲しくてどうにも仕方がありませんでした。・・・この発想が子供だったのですね。

 もう一つの理由は、私の行ない(文右衛門先生に対して)が余りに悪いので、ある日、母親が呼び出しを受けた時の事です。母親が帰宅後「良い先生じゃないの」と発言した事です。これで、母親は先生の味方に付いたのだと・・・・。勿論、これも子供ながらの発想。

 いずれに致しましても、文右衛門先生にはとても失礼な事を致しました。この事について、平成15年9月に開催されたクラス会に出席された先生に、心からお詫びを申し上げました。先生は、お笑いになりながら許して下さいました。

 文右衛門先生は、今もご健在です。 皆川先生もご健在です。
 私は、今も皆川先生、文右衛門先生が大好きです。

 従いまして、小学校の思い出は、今の私には良い思い出なのです。

 (佐藤美樹子記)

ブログ設定支援御礼の件

  佐藤美樹子様
貴女様(と御主人様)の温かい助言により設定を完了いたしました。
厚く御礼申し上げます。今後とも御助言お願い申し上げます。

2008年1月4日金曜日

首都圏在住の有志が懇親会

《東京、神奈川、埼玉、茨城の1都3県と山形から11人が出席》
 昭和29年に上山小学校、同32年に上山中学校を卒業し、東京、神奈川、埼玉など首都圏に在住する有志の忘年会を兼ねた懇親会が12月9日(日)午後零時半から東京都墨田区業平5丁目の「なりひら神明橋集会所」の一階和室で開かれた。

 出席したのは11人(男性5人、女性6人)。 東京都在住の木村昭夫君、金村政明君、林部伸太郎君、新部(旧姓谷江)直子さん、伊藤(井上)和子さんと川崎市の山川(加藤)美恵子さん、埼玉県から草加市の山口(高橋)テル子さん、日高市の佐藤(小野)美樹子さん、鴻巣市の内野(尾形)友子さん、茨城県日立市からは柏倉孝君が駆けつけてくれた。そして山形から小生、小笠原英雄が上京した。

《2年前のクラス会がきっかけに》
 2年前の6月、上山市の「ニュー村尾」で開かれた3年E組のクラス会以来、首都圏に住む同級生たちが連絡を取り合い、暑気払いや忘年会を兼ねて集まるようになったらしい。今回は郷里の上山に連絡したほか、E組以外の同期生にも参加を呼びかけたところ、B、C、F組の方々が出席してくれた。これまでのクラス会や同期会で何度か会ったことのある方々が少なくなかったが、半世紀ぶりの再会という方も何人かいたようだ。

《会費5千円で5時間のロングラン》
 会場の「なりひら神明橋集会所」は新部さんの自宅近く。公民館のような集会所で、新部さんのご主人が管理者の一人になっているとか。午後零時半から5時半まで長時間の便宜を図っていただいた。ステージ付きの大広間。20人でも30人でも入れそうなスペース。料理は新部さんのご主人が懇意にしている方に仕出しを頼み、飲み物は近くのお店から好きなだけ買い込んでくるという。

 会費は5,000円。この金額で飲んで、食べたほかに5時間も歓談できる。我々世代の同級会や同期会には打って付け。これほどの会場を東京近辺で他に探すことは難しいだろう。新部さんご夫妻と料理の配膳を手伝われた伊藤和子さんにはご苦労をお掛けしたが、首都圏在住の同期生は本当にいい場所を確保したものだ―と感心してしまう。

《尽きない思い出話》
 全員がそろったところでまずは乾杯。世話役の新部さんが音頭をとった。再会の挨拶や小・中学時代の思い出から、互いの身の上話、そして最近のライフスタイルと続く話は尽きることがない。

 弾む会話は半世紀という時の流れも感じさせることがない。「中学校は遠かったなあ」「町はずれもいいところ。学校とは反対方向から通う我々は大変だった」「学校の帰り途中の畑でいろんなものを食べた」「部活が終わって帰るころは腹ペコだったしね」「リンゴやダイコン、ニンジン。サツマイモもあったなあ。堰を流れる水で洗い、そのままガブリ」「ウリは少し甘さがあっておいしかったよ」「畑のおじさんに見つかり夢中で逃げたこともあった」「でも、楽しかったねえ」。

 「中学校ではみんながグラウンドやプールを造る作業を手伝った」「作業を怠って先生から殴られたが、水泳大会で一番になってほめられたりもした。複雑だったなあ」「校舎は火災に遭ったんだよね」「防火扉があって、全焼ではなかったんだろう」「火災といえば小学校も焼けたんでしょう」「いろいろあったなあ」。

《波乱万丈の人生をさらり…》
 「今、新婚だよ。3人目の嫁さんを迎えたばかり。外国人だけどね。2番目の嫁さんも外国人だった。子供もいるよ」。波乱に満ちた身の上をさらりと語る木村君。「姉が歌手になった。自分も歌手を目指したことがある」とも話し、カラオケで本格派の歌唱力を披露してくれた。

 会場に山形なまりを響かせ、古里ムードを盛り上げてくれたのは新部さん。「これは地だよ。姑さんが天童出身。言葉に気を遣う必要がなかった。今さらどうにもならないよ」と話す姿は下町の肝っ玉母さんといった感じ。

 「今は埼玉県の日高市に住んでいるが、住まいの環境にこだわり、転勤でもないのに何度も引越しをした。引っ越し貧乏かもしれない。」という佐藤さん。近年はご主人の看病に頑張ったという伊藤さん。そして内野さんは「孫からおばあちゃんと呼ばれたくなかった。トンちゃんと呼ばせている。つられて主人もトンちゃんと呼んでくる」。トンちゃんは少女時代の愛称と聞いていたが…。気持ちは若いままーということ?。それとも“ごちそうさま”ということかな。

《時間はあっという間に、再会を約して》
皆さんそれぞれの道を歩んだ66年。まさしく山あり谷あり。一人一人の人生ドラマを垣間見せてくれた。時間はあっという間に過ぎた。「楽しかった」「また会いたいね」。みんなが口をそろえ、再会を約束した。今回は急な話で小生一人しか上京できなかったが、早めに呼び掛ければ上山・山形からの出席が増えるかもしれない。幹事の方や会場を準備してくださる新部さんのご主人にご苦労をお掛けすることになるが、ぜひ継続しての開催を期待している。(小笠原英雄記)

2008年1月1日火曜日

上山小(昭和29年卒業)の皆様へ



 明けましておめでとうございます。 


 昨年末、上山小29年卒の同窓会(首都圏在住)を亀有で開催致しました。
 参加者は11名でした。

 ほぼ50年以上の時を経ての再会は、とても懐かしく、また当時の思い出話に花が咲きました。当時の出来事がまるで最近の出来事の様に感じられ、心の底から「ああ~竹馬の友は良いなあ」と感動致しました。

 そして、再会を約束しての散会でした。

 同窓会の模様は、山形から参加されたO氏によって写真添付の「まとめ」に詳しく紹介されております。

 そこで、この同窓会の輪をもっともっと広げたいとの思いから、ブログを立ち上げました。

 まず手始めに、O氏の同窓会の「まとめ」をこの場で紹介させて戴きたいと思います。

 最後に、このブログはテスト段階である事をお断りさせて戴きまして、後にどの様な運営をするのが良いのか、またこの場をお借りしてご報告させて戴きます。



 写真貼り付けのテストを兼ねて、私の現在住んでおります近辺を紹介させて戴きます。