2008年11月30日日曜日

同窓会で上山のビデオを見よう 

 待望の同窓忘年会が12月7日に迫りました。
今回懐かしいふるさとのVHSビデオをいくつか持参しますので
賛同いただければ、皆で一緒に見たいと思っています。
(幹事の方に迷惑をかけ申し訳ありません、
       再生設備の御配慮をお願いします。)
 なお面白い記録をお持ちの方は是非持参して公開していただき
たいものです。

① 2007年5月26日テレビ東京が放送した「秀峰蔵王」の中で
上山分(駅,お城、牧野のさくらんぼ受粉作業、三吉山の祭礼等7分間)
  (私が録画したもの:2007年5月撮影)
   http://www.tv-tokyo.co.jp/sat/backnumber/070526.html

② 2002年10月16日NHK BS劇場にて放映「何処へ」
 (石坂洋次郎原作を日活が映画化 山口武雄氏録画 全93分)
 主演は、高橋英樹、相方は十朱幸代、松原千恵子など
一流どころが出ていて、喜劇風に笑える映画でした。
撮影時期は、昭和39年ごろで、中川中学校が主な舞台ですが、
市内各所の風景が出てきて楽しめる映画間違いなし。
矢来橋の川芳そばやの近くや、八日町の橋端などの
きれいな風景画が写っています。

 この映画が発掘され「ゆうがく塾―2006年12月14日」にて公開されました。
http://www.city.kaminoyama.yamagata.jp/shogai/yuugakujuku/imj/yuugakujuku.htm

 仕掛け人は、上山市会議員枝松直樹氏でそのいきさつを
ブログ「上山でロケした映画」であきらかにしています。
http://naoki-edamatsu.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_6a02.html

 なお当日は、枝松氏の好意で入手したものを、
選択して15分程度で見たいと思っています。

勝手で急な企画ですが成功させたいと思います。
皆様のご協力をお願い申し上げます、

      日立市 柏倉 孝

2008年11月29日土曜日

同窓会が楽しみです。!!

 12/7には、押上で「同窓会」が開催されます。
 新たに、佐竹清志さん(千葉県在住)から、参加する旨のご返事を頂いております。

 総勢11名の忘年会になります。昨年もそうでしたが、大変盛り上がりました。
 ほぼ、何十年振りかの再会でしたので、昔話や、現在のハッピーな話等、羽振りの良い話し等総じて楽しい話題でしたね。中には、お見合い(本人じゃありませんよ)話のお膳立てをする方もいましたよ。
 そう言えば、あの話しはどうなったのかしら・・・。その後の進展を聞いてみなくては・・・。

 ところで、公民館のその会場にはカラオケもあります。私は、少しずつ練習をしていますよ。出席の皆様には、最低一曲のご披露を期待したいものですが。

 ちなみに、このブログのサイドバー(投稿欄の右側の黄色い部分をこう呼びます。)のトップ位置に「磐之媛命陵(いわのひめ)の御陵です」がありますから、その画像をクリックしますと「平城山」の音楽が奏でられます。それを無視して、「歌リストを開く」をクリック→上段のスクロールバーを下まで移動する→あ行~わ行が横列に並んでいます。→歌いたい曲の頭文字の該当の行をクリック→選曲→カラオケが演奏されます。あとは、個人で練習をして下さい。
 但し、一般のカラオケの様には行きませんよ。

 この忘年会も定例化するとよいですね。当日提案しようと思います。

 きっと、楽しい一時になる事請け合いです。是非ご参加下さい。

2008年11月21日金曜日

忘年会のお知らせ(中間報告)

 先にお知らせ致しましたが、「上小29年卒業生忘年会」が下記の通りに開催されます。

 今回の幹事役の林部 伸太郎さん、伊東宏一さんのご両人は、世話役として大変ご苦労されております。又、会場の準備等では、新部直子さん(とご主人様)にもお世話になっています。

 ところで、出席のご返事を下記の方々からいただいております。懐かしい方もいらっしゃると思いますので、是非ご出席下さい。

 なお、ハガキでのお誘いは、住所、氏名が把握されている方にお出しした様です。
 ちなみに、去年の模様を見ることができますので、下記のアドレスをクリックしてみて下さい。
http://kaminoyama.blogspot.com/2008/01/blog-post_4667.html

 出席予定者は、近藤美恵さん、新部直子さん、山川美恵子さん、山口テル子さん、伊東宏一さん、小笠原英雄さん、柏倉孝さん、羽島司郎さん、、林部 伸太郎さん、佐藤美樹子の10名です。

日 時 : 12月7日(日)  時間は12:00〰16:00
場 所 : 東京都墨田区業平5-6-1 墨田区老人ホーム「なりひらホーム」1F 「業平新明橋集会所」
会 費 : 5,000円
最寄り駅の「押上駅」は新タワー「東京ツリータワー」の出来る所です。

 ご出席の方は、 
林 部 伸太郎(ハヤシベシンタロウ)
☎・FAX : 042-465-8990
携  帯 : 090-7802-6200 までにご連絡下さい。

(追記) 一昨年はE組の仲間だけで集まり忘年会を開いていましたが、昨年は東京在住の同期卒業の人たちに声を掛けた結果沢山の珍しい人に会えて会場では昔話に花が咲きました、これも良かったと思います。
今回も小笠原さんが山形から駆け付けてくれます。

2008年11月20日木曜日

ハッピーバースデイとアニバーサリー

 今日は 11月19日。孫の雪ちゃんの誕生日です。そしてわが夫婦の結婚記念日です。娘が40才過ぎましたから かれこれ40ン年の歴史を 共に歩んできたわけですね。振り返ると早いものです。

 わたしは宵っ張りで 彼は早寝早起きなので このことからも私のほうが 悪妻?かなと自己分析しています。静かな夜に集中する快感は 仕事も倍 進みますし 体のほうが活き活きしてくるのです。

朝型人間になろうと何度かトライしたのですがダメでした。ひとつ良いことは 海外旅行の時は時差ボケしないかなー。話が脇にそれましたが 雪ちゃんの家では「ママがおへやをお花で飾ってくれて いまケーキを食べてるの。」「もう 4さいよ。」 との可愛い 明るい電話の声に促されて 「そうだ 私たちもアニバーサリーよ。どこか食事に行きましょうよ。」と 行ったところが 歩いて2.3分程度の すかいらーく。家族みんなつつがなく健康で暮らしてる実感をかみしめつつ ハンバーグと十三穀米を食べました。しあわせは 小さくていいの。そんな気持ちです。
 pcデビューなどと 仲間に入れていただきましたが進歩がなく恥ずかしい限りです。
結局 努力してないから。いいわけは町内会の副会長の役が廻ってきて意外と時間を取られてます。
 となり近所の人との付き合いは 神経をつかいます。山形県人の真面目さゆえかな?
そんなわけでゆっくりめの参加です。現に久しぶりの投稿にログインすらできず ジローさんに助けてもらいました。有り難うございました。    ともこ


  

2008年11月12日水曜日

娘の婚約

 今年4月、社会人になったばかりの娘がどうやら結婚するらしいのです。
 と言っても、式は来年の12月です。

 大学の二年先輩で、お付き合いしていたのは知っていたのですが、まだ早いのでは・・・とか、社会人になったばかりで・・・とか、もっと広く社会を見て・・・とか思う一方、実際に相手の男性に会ったら、とても真面目で誠実な男性なものですから、この方なら、娘も幸せになるでしょうに・・・等など、親としては、複雑な心が交差していました。

 そんな時に二人の決意を聞きました。夫共々想像とは裏腹に、とてもとても喜んでいます。

 私は親として、いつも娘には、「結婚」が最終目的ではない。生きていく上での選択肢の一つとして捉えておけば良いのでは? と言っていました。
 そんな私の懸念は取り越し苦労だったようです。娘は、親以上に人生設計が出来ていました。

 娘のフィアンセが名古屋近郊に勤めていますので、娘は入社したばかりの会社に名古屋支店勤務の申し出をするとの事です。安心しました。

 今年は、私にとって災難の年の様な思いがありましたが、年末も残すところになって、グッドニュースを娘が持ってきてくれました。

 私的な出来事ですが、良いニュースですので、ご報告させて頂きました。

2008年11月11日火曜日

加茂水族館

先日、湯の浜温泉に一泊した帰りに、加茂水族館へ寄ってきました。湯の浜は小学生のとき修学旅行に行ったと記憶しておりますが、当時も水族館があったのでしょうか。

現在の加茂水族館は“クラゲの水族館”として知られ、とりわけ米国ボストン大学の下村脩名誉教授がノーベル化学賞を受賞して以来、オワンクラゲが脚光を浴びているようです。

他の水族館でもクラゲは見たことがありませんでしたから、クラゲが浮遊する姿を間近に見たのは今回が初めてでした。

透き通った丸い傘と、細く長が~い幾本もの触手で何とも言えない曲線を描きながら水槽の中を漂う姿は、照明効果もあってまさに神秘的というか幻想的。見ていてまったく飽きることがありませんでした。

ウィークデーの午前中でしたが、館内では既に何組かのグループが水槽の前に人垣を作っておりました。駐車場には県外ナンバーの観光バスが乗り入れてくるなど、なかなかの賑わいでした。

県内の施設が元気に頑張っているのは、やはりうれしいものですね。

2008年11月5日水曜日

交流サイトの紹介

 大分前になりますが、新聞で「中高年交流サイト」なるものの紹介を目にしました。
 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、一言で言えば、同好の趣味について、自分の意見を述べたり、交換し合ったり、仲間を作ったりするサイトです。時々は、「オフ会」と称して、一堂に会する場合もあるそうです。

 又、記事投稿大歓迎のサイトもあるらしいですよ。
 例えば、ogaさんの様に古典、歴史に興味のある方は、その仲間に入られて意見交換するのも、とても有意義と思います。なにせ、全世界の人が閲覧可能なネット社会は、どんどん利用して、ご自分の生活の幅を伸ばされたら・・・と思います。

 無責任ながら私は、まだこのサイトを利用した事がありませんが、そのうちアクセスしてみようと思っています。

 「ネット社会の有害」について、時々一人歩きしている場合もありますが、大抵のサイトは良識ある方達で構成されています。とくに、このサイトは丁寧な受け応えを売りにしているサイトらしいです。

 是非アクセスしてみて下さい。詳しい事は、右端の新聞をクリックすると拡大しますのでご欄下さい。
 下記をクリックすると各々のサイトにアクセスします。

趣味人倶楽部
光圀さん
ヤフー!セカンドライフ
語ろ具
So-net SNS

2008年11月2日日曜日

アツモリソウ

先日、ノブさんが記された「アツモリソウ」と「クマガイソウ」はどんな植物なのか…。気になっていたものですから、昨日、県立図書館のある「遊学館」という施設で、ある講演を聴く傍ら草花関連の図鑑もみてきました。
 
「花と樹の大事典」とか「山野草大百科」「原色植物大図鑑」などによると、アツモリソウとクマガイソウは共にラン科アツモリソウ属の多年草。写真を見ると茎の先に丸い袋状の花を付けていました。

花の色はアツモリソウが紫がかった美しい赤、クマガイソウはやや黄色味を帯びた白地に紫がかったい紅い斑点がありました。花の大きさはアツモリソウが5㌢ぐらい、クマガイソウは8㌢ぐらいとのこと。アツモリソウは紅紫色のほか淡紅色、まれに白色や黄色もあるそうです。 

袋状の花が昔、武者たちが鎧の背につけていた母衣(ほろ)に似ていることから、源平合戦の「平敦盛と熊谷直実」になぞらえてアツモリソウ、クマガイソウと呼ばれるようになったそうです。
 
母衣は戦場に出た武者たちが、後ろからの矢を防ぐためにつけていたもので、中に籠などを入れ膨らませていたそうです。

いつからアツモリソウ、クマガイソウの名になったのかは分かりませんが、野に咲く袋状の花を見て敦盛と直実を連想した風流な人がいたということでしょうか。

ただ各地で乱獲され、アツモリソウは絶滅危惧種になっているとか。西蔵王にある山形市野草園に問い合わせたところ、アツモリソウはないが、クマガイソウはあるということなので、来年の開花期に行ってみようと思っています。

敦盛と直実は何かの武者絵で見たような記憶がありますが、二人の詳しい関わりは知りませんでした。帰宅後、平家物語の解説に目を通してみると、一ノ谷合戦の「敦盛最期」というところで、源氏の武将・熊谷直実が合戦の敵とはいえ、自分の息子と同じ年頃の敦盛を討たなければならないことに心を痛め、涙ながらに首をとった。さらに由緒ある笛を腰にさしていた敦盛が笛の名手でもあったことを知ると、直実は間もなく刀を捨てて出家し、敦盛の供養に努めた―というようなことが出ておりました。直実の父性愛と敦盛の風流が交じり合い、死者を悼む人々の心を打つ名編なのだそうだ。

自分にとっては、また新しい発見でした。ヒントをいただいたブログに感謝です。

アブセント・マインド

 皆様、アブセント・マインドという英語をご存知ですか。「ぼんやりした状況」という意味らしいのですが、私は、良くこのアブセント・マインドの状況に陥る事があります。

 先週月曜日の早朝、ジローの散歩の時、ここら辺では高価な犬として評判の「ダルメシアン」に出くわしました。ジローはこの犬がとても嫌いで(自分との格差を自覚しているのでしょう)、いつもの如く「ウーッ」と近づこうとしました。相手のダルメシアンは貫禄があり、悠然と通り過ぎ、完全に無視されました。

 「情け無いなあ~ジローは・・・」とぼんやりと考えた途端、私の足がもつれ、前に転倒してしまいました。「イタッ」と感じた瞬間、ジローを思い切り殴っていました。でも、ジローは悪くはないのです。瞬間的な私のアブセント・マインドが災いして転倒したのです。暫らくは起つことが出来ず、「これは骨折だッ」と思いながらも、必死の思いで、散歩を切上げ自宅に戻りました。後は、起つ事が出来ず、やっとの思いで受話器を取り、夫に泣きながら電話をする始末。通勤途上にいた夫はすぐに戻り、病院に連れて行ってもらったところ、幸いにも骨折は無く、打撲でした。2日間は歩く事が出来ず、3箇月前の再現という始末。でも、大分回復しました。

 夫とジローには大変申し訳なく、「三度目はなしにするから」と約束しました。

 今から45年ほど前、東京に就職してすぐ郷里の両親に手紙を書いたのですが、公衆電話の中に忘れてしまい、結局大分後に両親のもとに着いた時、父に「アブセント・マインドだからだ」と注意されました。それ以来、「アブセント・マインド」は時々顏を出し、色々な形で失敗を繰返しました。

 例えば、「アブセント・マインド」の状態で、我が家を通り過ぎてしまった事など日常茶飯事。忘れ物はしょっちゅう。赤信号にも拘らず、発進した事が二度。銀行で現金を引き出したまま、その現金とカードを忘れた事。でも、この現金とカードは善意の方が警察に届けてくれました。お料理中に調味料を間違える事などめずらしくはないのです。本当に枚挙にいとまがない程です。

 でも、子供に対しては不思議に「アブセント・マインド」が無かったのです。「アブセント・マインド」に成り得ない程大切だったのでしょう。

 言い換えれば、集中力に欠けるのですね。
 そんなこんなで、今度は命でも奪われたら大変です。これを教訓にもっとしっかりせねば、と思っているところです。