2008年12月26日金曜日

年末の寒波

 雪、来ましたねえ。25日夜半からの寒波で山形も白一色。正午過ぎで20cmぐらいの積雪があったのでしょうか。駐車場が屋外のため、車がすっぽりと埋まっていました。

 所用(実はテニス)があって山辺まで行ってきましたが、市内は幹線道路も圧雪状態。車はノロノロ運転でした。今冬初の雪道運転となり、さすがに緊張してしまいました。

 この日のテニスで今年一年の行事がすべて終了し、いわば“御用納め”でもありました。早々と「皆さん、佳いお年をお迎えください」とあいさつを交わしてきたところです。

 明日も強い冬型の気圧配置が続きそうですね。このまま根雪になって、白い正月を迎えることになるのでしょうか。

 年が明ければ満67歳。判りきったことだが、新しい手帳の年齢早見表で昭和17(1942)年=壬午(みづのえうま)=生まれを確かめた。早生まれのため、同級生の多くの皆さんより「一つ若いんだぞ-」と、密かにほくそ笑みながら…。

 今のところ体に痛むところがなく、常用している薬もない。そんな健康に感謝しながら新年を迎えることになりそうです。

2008年12月24日水曜日

月岡公園と栗川稲荷

 青空が広がり、気温も緩んだ23日午前、上山市旭町の実家から月岡公園や栗川稲荷を散策してきました。実家近くから蔵王連峰がきれいに見えたので、見晴らしのいい月岡公園ならもっと素晴らしいだろうと思い、足を運んだものです。

 雲ひとつなくに晴れ上がった青空に、三宝荒神や地蔵、熊野、刈田といった蔵王の山々が白く輝き、それはそれは美しいものでした。まさしく「陸奥をふたわけざまに聳えたまう」偉大な姿に心を奪われ、しばらくベンチに腰をおろしたまま見とれておりました。月岡公園では以前sizuさんが紹介してくださった旧上山温泉小唄の碑も見ることができました。
 
 その後に訪ねたのが栗川稲荷です。子供の頃に一度、行っただけ。朱い鳥居が続いていたという記憶しかありません。その栗川稲荷の栗川は、埼玉県の栗橋と利根川に由来することを知りました。
 岡山から上山にお国替えになった殿様が、栗橋で利根川を渡る際、夢に出てきたお稲荷さんの化身から「夜明け前に川を渡るように」というお告げを受けた。そのお告げに従い殿様一行は夜中のうちに対岸へ渡ったからよかったものの、利根川はその後の豪雨で大氾濫。甚大な災害となった。

 そのことを重く受け止めた殿様は、無事に上山へ着任すると城内に稲荷神社を建て、栗橋の「栗」と、利根川の「川」から「栗川稲荷大明神」として深く信仰した-というような説明が境内にあった。
 栗橋といえば5年前、山形から伊勢神宮まで歩いたときに通ったところ。古河市から利根川に架かる国道4号の橋を渡った対岸が栗橋だった。
 そこが栗川稲荷発祥となる地であったと知っていれば、もっと感慨深く利根川を渡れただろうにと、悔やんだりもした半日でもありました。5年前に撮った利根川と栗橋の一里塚を蔵出ししてみました。

2008年12月21日日曜日

ちょっといい話

 貧しい国々の子どもに感染症予防のワクチンを送る活動を進める「世界の子どもにワクチンを 日本委員会」の関係者が、「自分のルールで寄付をする人が増えました」と語ってくれました。

 1球投げるとワクチン10本を実行するソフトバンクの和田毅投手のテレビ広告に刺激を受け、高校の野球部員が「ヒット1本40円」、将棋の女流棋士は「対局するごとに20本」を励行中だそうです。

 ワクチンは高いものでも1本100円以内。活動の輪は確実に広がっているそうです。
 不況風が急激に強まって、世間に殺伐とした出来事が目立つそんな歳末にちょっといい話だと思って、(日経12/20「波音」)より一部抜粋をさせていただきました。

 さて、私のルールは?、例えば体重1kg減で、10本を寄付したいなあ~。
 少しずつでも良いですから、この活動を支える第一歩を踏み出したいですね。

2008年12月13日土曜日

楽しかった同窓会(その②)

 先日開催された同窓会の記念写真をアップします。出席者全員の写真です。総勢13名。
 皆様の同意を得ずしてアップしてしまいました。ごめんなさい。

 前列向って左より近藤(大沼)美恵さん(E組)、佐藤(小野)美樹子(F組)、伊藤(井上)和子さん(E組)、新部(谷江)直子さん(E組)、庄司 良さん(E組)、山川(加藤)美恵子さん(C組)

 2列目向って左より、佐竹清志さん(G組)、伊東宏一さん(E組)、羽島司郎さん(E組)、山口(高橋)テル子さん(C組)、柏倉孝さん(F組)

 後列向って左より、小笠原英雄さん(E組)、林部 伸太郎さん(E組)
です。

2008年12月11日木曜日

楽しかった同窓会(oga編)

《期日は12月の第1日曜日》
 ◎首都圏在住の皆さんの忘年会を兼ねた同窓会に今年も出席させていただきました。期日は12月の第1日曜日ということで、今年は12月7日でした。時間は正午から午後5時まで。会場は東京都墨田区業平5丁目6-2の「なりひら神明橋集会所」。和室で30~40人は収容できる広さ。近くに住む新部(旧姓谷江)直子さんご夫妻のご尽力で提供していただいているそうです。

 ◎正午から夕方まで長時間、使用させていただいた上に、好きなだけ飲み、食べたほか、思い出話に花を咲かせて会費は5千円。幹事の林部伸太郎さん、伊東宏一さんの話では毎年の恒例行事にしたいとのことですが、お骨折りいただく新部さんご夫妻には、ただただ感謝です。

《会場は新東京タワーの近く》
 ◎なりひら神明橋集会所は押上駅から歩いて10分足らず。その押上駅の近くでは新しい東京タワーの建設が進められています。完成すれば一躍、脚光を浴びる地域のようです。今年はパソコンでダウンロードした地図を頼りに錦糸町駅から歩いてみました。一つ路地を間違えて迷いかけましたが、近くにいたお巡りさんに聞いて事なきを得ました。所要時間は20分ぐらい。若干の遅刻でしたが、1回目の乾杯には間に合いました。

《1都5県から13人が出席》
 ◎出席したのは昨年より2人多い13人(男性6人、女性7人)。東京都在住の林部伸太郎さん、伊藤(井上)和子さん、新部(谷江)直子さん、神奈川県在住の庄司良さん、近藤(大沼)美恵さん、山川 (加藤)美恵子さん、千葉県在住の佐竹清志さん、伊東宏一さん、埼玉県在住の佐藤(小野)美樹子さん、山口(高橋)テル子さん、茨城県在住の羽島司郎さん、柏倉孝さん、そして山形から上京した小笠原英雄です。

《50年前にタイムスリップ》
 ◎旧姓大沼の近藤さんとは実家が隣同士。「隣の美恵ちゃん」ですが、子供の頃はほとんど話をしたことがありませんでした。弁天に住んだことがあるという庄司良さんを交えた思い出話では「ゴロちゃん」とか「おぎんちゃん」「嘉平さん」「およねちゃん」といったように、何とも懐かしい近所の方々のお名前が次々と飛び出し、一気に昭和30年代に引き込まれてしまいました。

《野球部で一緒の佐竹清志さん》
 ◎今回、初めて出席された佐竹清志さんとは中学時代、野球部で一緒でした。高校卒業後、互いに連絡がなく、お会いしたかった一人です。聞けば商社勤務時代、アメリカのカリフォルニアに7年間、在住なさったそうです。リタイアしてからは野球の公認審判員として高校野球の審判も務めているそうです。中学時代、野球部の監督だった遠藤利一先生や当時の球友を思い起こしながら懐古話は尽きることがありませんでした。

《平城山の歌》
 ◎「人恋うは悲しきものと平城山に もとほり来つつ堪え難かりき」「古も夫に恋つつ越えしとう 平城山の道に涙落しぬ」。北見志保子という歌人の短歌に、平井康三郎という作曲家が曲を付けた平城山の歌。以前から聞きたかった歌ですが、それを今回、佐藤美樹子さんと伊藤和子さんが歌ってくださいました。出席なさった皆さんとはまったく関係がなく、一人だけの我がままでした。それでも快く引き受けてくださったお二人に改めて御礼申し上げます。同級生、同級会は本当に有り難い。いつもの事ながら身にしみています。

《「ドサ」「ユサ」ならぬ「ドコ」「ミエ」の話》
 ◎このたび伊東宏一さんが紹介してくれた佐藤士先生(3年E組担任)とE組だった中村弘さんのエピソードです。中村さんからの電話に「今、どごさいだのや」と聞いたのは佐藤先生。「ミエです」と答える三重県在住の中村さん。「んだが、すぐ行くから待ってろナ」と言って、市内のスナックに駆けつけた佐藤先生。でも、中村さんは居るはずがない。電話を掛け直した佐藤先生は「どこのミエさいだのや」。中村さんは「三重県ですよ」。「ミエ」といえば、すぐにスナックを連想するあたり、いかにも佐藤先生らしいといったところでしょうか。

《柏倉孝さん収録のビデオ》
 ◎席上、上山駅や上山城、三吉山が出てくるテレビ番組と、昭和30年代後半の上山市内が出てくる映画の一部が紹介されました。柏倉孝さんが収録したビデオを持参してくださったもので、地元上山でもなかなか目にすることができない貴重な映像ばかり。懐かしい故郷のシーンを見つめながら、皆さん、それぞれの「上山」を想い起していたようです。

《今年もJRの割安切符を利用》
 ◎昨年はJR東日本の「大人の休日倶楽部会員パス」という割安切符を利用し、城ヶ島や鎌倉を回った後、同窓会に出席しましたが、今年もその割安切符を利用しました。昨年は一人旅でしたが、今年は同窓会の後、横浜市に住む長女夫婦の所へ2泊したため、家内も同行しました。7日午前10時52分東京駅着の山形新幹線で上京し、小生はそのままJRを乗り継いで錦糸町へ。家内は迎えに来た長女と横浜へ向かいました。

《同窓会に便乗して横浜散策》
 ◎「大人の休日倶楽部会員パス」は1万2千円でJR東日本が3日間乗り放題。指定券は6回まで利用できるほか、伊豆下田や福井、函館まで行くことができるため、利用回数が増えています。今回は同窓会の後、二日間に渡って山下公園や大桟橋、赤煉瓦倉庫群、みなとみらい周辺を回り、630人乗りの客船でランチクルーズ、ランドマークタワー70階での夕食など、横浜を楽しむことができました。これも同窓会があればこそ。来年も楽しみにしています。ご出席の皆さん、本当にお世話になりました。(小笠原英雄記)

2008年12月9日火曜日

中村弘氏の作品の紹介


 二次会で、同窓生の中村弘さん(三重在住)が趣味として取り組んでおられる写真のすばらしさが話題になりました。
 是非、ブログで紹介しよう。との話から、「カレンダーもつくろうよ」と話は発展しました。
 試しに、あるサイトから、オリジナルカレンダー作成のソフトを入手して作ってみました。
 画像の上にマウスを当て、ダブルクリックすると拡大された画像を見ることが出来ます。
 なお、プリントアウトしたい方は、画像の上にマウスを当て右クリック→名前をつけて画像を保存してパソコンに取り込んでから、プリントアウトして下さい。

 その写真のすばらしさをご堪能下さい。

楽しかった同窓会(その①)

 一昨日、墨田区業平在住の新部直子さん(とご主人樣)のご好意でセットされた会場で、「忘年会兼同窓会」が行われました。昨年より2名多い13名の方が、遠路かけつけて下さいました。昨年とは違い、殆どの方とは、1年振りの再会でしたが、庄司良ちゃんとは、何と50年振りの再会でした。

 当日の模様は、多彩な筆致でogaさんにレポートしていただくとして、二次会の模様などを少し。

 男性4名、女性2名の6名で、近くの「マクドナルド」に入りました。参加者の一人の佐竹さんにコーヒーを注文していただき、お支払までお願いしてしまいました。
 中には、代金を払おうとする真面目な方がいらっしゃる一方、ogaさんは、「新人(初参加)は、鍛えられるべし・・」等と高校時代の野球のルールを持ち出して、我々がご馳走になりやすい環境を整えてくれました。
 「そうだ、ご好意は受けるべし」等と最初に私が同調して「ご馳走さまあ」という感じでした。
 でも、コーヒーのおいしかった事。改めて、佐竹さんには「ご馳走さま」です。

 話しの主題は、故郷上山のこと。 名産の干し柿、ぶどう、洋梨、りんごの話題で、「人手不足の為、折角の産物がなかなか収穫できないらしい・・・」との話から、「我々にも何かお手伝いが出来るのでは? 故郷への恩返しをしよう」と話は盛り上がりました。
 「ネットワークを上手く使えば、何か出来るはず」と前向きな発言が続出しました。

 そんな話しをしている各々の顔は、まるで少年の様にきらきら輝いていました。ボランティアをされている方も多いせいか、そのノウハウに詳しく、「とにかく出来るだけ多くの皆様の賛同を得なければね」、との結論でした。

 そんな話の合間に、共通の話題として、家族の話、中でも良好な夫婦関係を築くにはどの様にすれば良いのか等、現実の問題を真剣に話す場面もありました。

  ある人は、「天気が悪い事も、僕のせいにされるんだよ・・」、またある女性は、「入浴後に裸のまんま私に背中を揉ませるのよ」等。「あなたのところの夫婦関係は極めて良好だわ」。
 一方私は、「思いやりの一言が千金に値するんだから・・」と、得意(?)なうん蓄を披露したり、様々な話題で盛り上がりました。

 楽しい話題、思わず噴出しそうになった話題、ちょっと深刻な話題、でも、最後はとにかく健康でいる事が一番、と話は落ち着きました。

 私がとても敬服したところは、皆さん前向きで、ボランティアを厭わない事です。
 ああ~、このパワーが日本の高度経済成長を支えてきたのだなあ~、このパワーと能力は生かすべき、との思いを強くした意義のある一日でした。

2008年12月3日水曜日

同窓会が楽しみです。

 同窓会の日が近づいて参りました。

 新たに庄司良さんが参加される事になりました。庄司さんとは、ほぼ50年振りの再会となります。
 私は、よく「よっちゃん」と呼んでいましたが、50年のタイムトンネルを越えて、最初は何と言って挨拶をかわすのかなあ~等と今から楽しみにしています。

 結局参加者が13名となりました。
 参加者は下記の通りです。
1 伊東 宏一
2 小笠原 英雄
3 柏倉 孝
4 近藤 恵美
5 佐竹 清志
6 佐藤 美樹子
7 新部 直子
8 羽島 司郎
9 林部 伸太郎
10 山川 美恵子
11 山口 テル子
12 伊藤 和子
13 庄司 良


 これもひとえに、幹事さんのご苦労のお陰だと思います。改めて感謝を致します。

 昨年出席の方々とは一年振りの再会となりますが、それでも積もる話しが沢山あります。
 又、5年振り?、10年振りの方もいらっしゃるでしょう。とにかく当日は楽しく過ごしましょう。

 飛び入りでの参加、大歓迎です!!

2008年11月30日日曜日

同窓会で上山のビデオを見よう 

 待望の同窓忘年会が12月7日に迫りました。
今回懐かしいふるさとのVHSビデオをいくつか持参しますので
賛同いただければ、皆で一緒に見たいと思っています。
(幹事の方に迷惑をかけ申し訳ありません、
       再生設備の御配慮をお願いします。)
 なお面白い記録をお持ちの方は是非持参して公開していただき
たいものです。

① 2007年5月26日テレビ東京が放送した「秀峰蔵王」の中で
上山分(駅,お城、牧野のさくらんぼ受粉作業、三吉山の祭礼等7分間)
  (私が録画したもの:2007年5月撮影)
   http://www.tv-tokyo.co.jp/sat/backnumber/070526.html

② 2002年10月16日NHK BS劇場にて放映「何処へ」
 (石坂洋次郎原作を日活が映画化 山口武雄氏録画 全93分)
 主演は、高橋英樹、相方は十朱幸代、松原千恵子など
一流どころが出ていて、喜劇風に笑える映画でした。
撮影時期は、昭和39年ごろで、中川中学校が主な舞台ですが、
市内各所の風景が出てきて楽しめる映画間違いなし。
矢来橋の川芳そばやの近くや、八日町の橋端などの
きれいな風景画が写っています。

 この映画が発掘され「ゆうがく塾―2006年12月14日」にて公開されました。
http://www.city.kaminoyama.yamagata.jp/shogai/yuugakujuku/imj/yuugakujuku.htm

 仕掛け人は、上山市会議員枝松直樹氏でそのいきさつを
ブログ「上山でロケした映画」であきらかにしています。
http://naoki-edamatsu.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_6a02.html

 なお当日は、枝松氏の好意で入手したものを、
選択して15分程度で見たいと思っています。

勝手で急な企画ですが成功させたいと思います。
皆様のご協力をお願い申し上げます、

      日立市 柏倉 孝

2008年11月29日土曜日

同窓会が楽しみです。!!

 12/7には、押上で「同窓会」が開催されます。
 新たに、佐竹清志さん(千葉県在住)から、参加する旨のご返事を頂いております。

 総勢11名の忘年会になります。昨年もそうでしたが、大変盛り上がりました。
 ほぼ、何十年振りかの再会でしたので、昔話や、現在のハッピーな話等、羽振りの良い話し等総じて楽しい話題でしたね。中には、お見合い(本人じゃありませんよ)話のお膳立てをする方もいましたよ。
 そう言えば、あの話しはどうなったのかしら・・・。その後の進展を聞いてみなくては・・・。

 ところで、公民館のその会場にはカラオケもあります。私は、少しずつ練習をしていますよ。出席の皆様には、最低一曲のご披露を期待したいものですが。

 ちなみに、このブログのサイドバー(投稿欄の右側の黄色い部分をこう呼びます。)のトップ位置に「磐之媛命陵(いわのひめ)の御陵です」がありますから、その画像をクリックしますと「平城山」の音楽が奏でられます。それを無視して、「歌リストを開く」をクリック→上段のスクロールバーを下まで移動する→あ行~わ行が横列に並んでいます。→歌いたい曲の頭文字の該当の行をクリック→選曲→カラオケが演奏されます。あとは、個人で練習をして下さい。
 但し、一般のカラオケの様には行きませんよ。

 この忘年会も定例化するとよいですね。当日提案しようと思います。

 きっと、楽しい一時になる事請け合いです。是非ご参加下さい。

2008年11月21日金曜日

忘年会のお知らせ(中間報告)

 先にお知らせ致しましたが、「上小29年卒業生忘年会」が下記の通りに開催されます。

 今回の幹事役の林部 伸太郎さん、伊東宏一さんのご両人は、世話役として大変ご苦労されております。又、会場の準備等では、新部直子さん(とご主人様)にもお世話になっています。

 ところで、出席のご返事を下記の方々からいただいております。懐かしい方もいらっしゃると思いますので、是非ご出席下さい。

 なお、ハガキでのお誘いは、住所、氏名が把握されている方にお出しした様です。
 ちなみに、去年の模様を見ることができますので、下記のアドレスをクリックしてみて下さい。
http://kaminoyama.blogspot.com/2008/01/blog-post_4667.html

 出席予定者は、近藤美恵さん、新部直子さん、山川美恵子さん、山口テル子さん、伊東宏一さん、小笠原英雄さん、柏倉孝さん、羽島司郎さん、、林部 伸太郎さん、佐藤美樹子の10名です。

日 時 : 12月7日(日)  時間は12:00〰16:00
場 所 : 東京都墨田区業平5-6-1 墨田区老人ホーム「なりひらホーム」1F 「業平新明橋集会所」
会 費 : 5,000円
最寄り駅の「押上駅」は新タワー「東京ツリータワー」の出来る所です。

 ご出席の方は、 
林 部 伸太郎(ハヤシベシンタロウ)
☎・FAX : 042-465-8990
携  帯 : 090-7802-6200 までにご連絡下さい。

(追記) 一昨年はE組の仲間だけで集まり忘年会を開いていましたが、昨年は東京在住の同期卒業の人たちに声を掛けた結果沢山の珍しい人に会えて会場では昔話に花が咲きました、これも良かったと思います。
今回も小笠原さんが山形から駆け付けてくれます。

2008年11月20日木曜日

ハッピーバースデイとアニバーサリー

 今日は 11月19日。孫の雪ちゃんの誕生日です。そしてわが夫婦の結婚記念日です。娘が40才過ぎましたから かれこれ40ン年の歴史を 共に歩んできたわけですね。振り返ると早いものです。

 わたしは宵っ張りで 彼は早寝早起きなので このことからも私のほうが 悪妻?かなと自己分析しています。静かな夜に集中する快感は 仕事も倍 進みますし 体のほうが活き活きしてくるのです。

朝型人間になろうと何度かトライしたのですがダメでした。ひとつ良いことは 海外旅行の時は時差ボケしないかなー。話が脇にそれましたが 雪ちゃんの家では「ママがおへやをお花で飾ってくれて いまケーキを食べてるの。」「もう 4さいよ。」 との可愛い 明るい電話の声に促されて 「そうだ 私たちもアニバーサリーよ。どこか食事に行きましょうよ。」と 行ったところが 歩いて2.3分程度の すかいらーく。家族みんなつつがなく健康で暮らしてる実感をかみしめつつ ハンバーグと十三穀米を食べました。しあわせは 小さくていいの。そんな気持ちです。
 pcデビューなどと 仲間に入れていただきましたが進歩がなく恥ずかしい限りです。
結局 努力してないから。いいわけは町内会の副会長の役が廻ってきて意外と時間を取られてます。
 となり近所の人との付き合いは 神経をつかいます。山形県人の真面目さゆえかな?
そんなわけでゆっくりめの参加です。現に久しぶりの投稿にログインすらできず ジローさんに助けてもらいました。有り難うございました。    ともこ


  

2008年11月12日水曜日

娘の婚約

 今年4月、社会人になったばかりの娘がどうやら結婚するらしいのです。
 と言っても、式は来年の12月です。

 大学の二年先輩で、お付き合いしていたのは知っていたのですが、まだ早いのでは・・・とか、社会人になったばかりで・・・とか、もっと広く社会を見て・・・とか思う一方、実際に相手の男性に会ったら、とても真面目で誠実な男性なものですから、この方なら、娘も幸せになるでしょうに・・・等など、親としては、複雑な心が交差していました。

 そんな時に二人の決意を聞きました。夫共々想像とは裏腹に、とてもとても喜んでいます。

 私は親として、いつも娘には、「結婚」が最終目的ではない。生きていく上での選択肢の一つとして捉えておけば良いのでは? と言っていました。
 そんな私の懸念は取り越し苦労だったようです。娘は、親以上に人生設計が出来ていました。

 娘のフィアンセが名古屋近郊に勤めていますので、娘は入社したばかりの会社に名古屋支店勤務の申し出をするとの事です。安心しました。

 今年は、私にとって災難の年の様な思いがありましたが、年末も残すところになって、グッドニュースを娘が持ってきてくれました。

 私的な出来事ですが、良いニュースですので、ご報告させて頂きました。

2008年11月11日火曜日

加茂水族館

先日、湯の浜温泉に一泊した帰りに、加茂水族館へ寄ってきました。湯の浜は小学生のとき修学旅行に行ったと記憶しておりますが、当時も水族館があったのでしょうか。

現在の加茂水族館は“クラゲの水族館”として知られ、とりわけ米国ボストン大学の下村脩名誉教授がノーベル化学賞を受賞して以来、オワンクラゲが脚光を浴びているようです。

他の水族館でもクラゲは見たことがありませんでしたから、クラゲが浮遊する姿を間近に見たのは今回が初めてでした。

透き通った丸い傘と、細く長が~い幾本もの触手で何とも言えない曲線を描きながら水槽の中を漂う姿は、照明効果もあってまさに神秘的というか幻想的。見ていてまったく飽きることがありませんでした。

ウィークデーの午前中でしたが、館内では既に何組かのグループが水槽の前に人垣を作っておりました。駐車場には県外ナンバーの観光バスが乗り入れてくるなど、なかなかの賑わいでした。

県内の施設が元気に頑張っているのは、やはりうれしいものですね。

2008年11月5日水曜日

交流サイトの紹介

 大分前になりますが、新聞で「中高年交流サイト」なるものの紹介を目にしました。
 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、一言で言えば、同好の趣味について、自分の意見を述べたり、交換し合ったり、仲間を作ったりするサイトです。時々は、「オフ会」と称して、一堂に会する場合もあるそうです。

 又、記事投稿大歓迎のサイトもあるらしいですよ。
 例えば、ogaさんの様に古典、歴史に興味のある方は、その仲間に入られて意見交換するのも、とても有意義と思います。なにせ、全世界の人が閲覧可能なネット社会は、どんどん利用して、ご自分の生活の幅を伸ばされたら・・・と思います。

 無責任ながら私は、まだこのサイトを利用した事がありませんが、そのうちアクセスしてみようと思っています。

 「ネット社会の有害」について、時々一人歩きしている場合もありますが、大抵のサイトは良識ある方達で構成されています。とくに、このサイトは丁寧な受け応えを売りにしているサイトらしいです。

 是非アクセスしてみて下さい。詳しい事は、右端の新聞をクリックすると拡大しますのでご欄下さい。
 下記をクリックすると各々のサイトにアクセスします。

趣味人倶楽部
光圀さん
ヤフー!セカンドライフ
語ろ具
So-net SNS

2008年11月2日日曜日

アツモリソウ

先日、ノブさんが記された「アツモリソウ」と「クマガイソウ」はどんな植物なのか…。気になっていたものですから、昨日、県立図書館のある「遊学館」という施設で、ある講演を聴く傍ら草花関連の図鑑もみてきました。
 
「花と樹の大事典」とか「山野草大百科」「原色植物大図鑑」などによると、アツモリソウとクマガイソウは共にラン科アツモリソウ属の多年草。写真を見ると茎の先に丸い袋状の花を付けていました。

花の色はアツモリソウが紫がかった美しい赤、クマガイソウはやや黄色味を帯びた白地に紫がかったい紅い斑点がありました。花の大きさはアツモリソウが5㌢ぐらい、クマガイソウは8㌢ぐらいとのこと。アツモリソウは紅紫色のほか淡紅色、まれに白色や黄色もあるそうです。 

袋状の花が昔、武者たちが鎧の背につけていた母衣(ほろ)に似ていることから、源平合戦の「平敦盛と熊谷直実」になぞらえてアツモリソウ、クマガイソウと呼ばれるようになったそうです。
 
母衣は戦場に出た武者たちが、後ろからの矢を防ぐためにつけていたもので、中に籠などを入れ膨らませていたそうです。

いつからアツモリソウ、クマガイソウの名になったのかは分かりませんが、野に咲く袋状の花を見て敦盛と直実を連想した風流な人がいたということでしょうか。

ただ各地で乱獲され、アツモリソウは絶滅危惧種になっているとか。西蔵王にある山形市野草園に問い合わせたところ、アツモリソウはないが、クマガイソウはあるということなので、来年の開花期に行ってみようと思っています。

敦盛と直実は何かの武者絵で見たような記憶がありますが、二人の詳しい関わりは知りませんでした。帰宅後、平家物語の解説に目を通してみると、一ノ谷合戦の「敦盛最期」というところで、源氏の武将・熊谷直実が合戦の敵とはいえ、自分の息子と同じ年頃の敦盛を討たなければならないことに心を痛め、涙ながらに首をとった。さらに由緒ある笛を腰にさしていた敦盛が笛の名手でもあったことを知ると、直実は間もなく刀を捨てて出家し、敦盛の供養に努めた―というようなことが出ておりました。直実の父性愛と敦盛の風流が交じり合い、死者を悼む人々の心を打つ名編なのだそうだ。

自分にとっては、また新しい発見でした。ヒントをいただいたブログに感謝です。

アブセント・マインド

 皆様、アブセント・マインドという英語をご存知ですか。「ぼんやりした状況」という意味らしいのですが、私は、良くこのアブセント・マインドの状況に陥る事があります。

 先週月曜日の早朝、ジローの散歩の時、ここら辺では高価な犬として評判の「ダルメシアン」に出くわしました。ジローはこの犬がとても嫌いで(自分との格差を自覚しているのでしょう)、いつもの如く「ウーッ」と近づこうとしました。相手のダルメシアンは貫禄があり、悠然と通り過ぎ、完全に無視されました。

 「情け無いなあ~ジローは・・・」とぼんやりと考えた途端、私の足がもつれ、前に転倒してしまいました。「イタッ」と感じた瞬間、ジローを思い切り殴っていました。でも、ジローは悪くはないのです。瞬間的な私のアブセント・マインドが災いして転倒したのです。暫らくは起つことが出来ず、「これは骨折だッ」と思いながらも、必死の思いで、散歩を切上げ自宅に戻りました。後は、起つ事が出来ず、やっとの思いで受話器を取り、夫に泣きながら電話をする始末。通勤途上にいた夫はすぐに戻り、病院に連れて行ってもらったところ、幸いにも骨折は無く、打撲でした。2日間は歩く事が出来ず、3箇月前の再現という始末。でも、大分回復しました。

 夫とジローには大変申し訳なく、「三度目はなしにするから」と約束しました。

 今から45年ほど前、東京に就職してすぐ郷里の両親に手紙を書いたのですが、公衆電話の中に忘れてしまい、結局大分後に両親のもとに着いた時、父に「アブセント・マインドだからだ」と注意されました。それ以来、「アブセント・マインド」は時々顏を出し、色々な形で失敗を繰返しました。

 例えば、「アブセント・マインド」の状態で、我が家を通り過ぎてしまった事など日常茶飯事。忘れ物はしょっちゅう。赤信号にも拘らず、発進した事が二度。銀行で現金を引き出したまま、その現金とカードを忘れた事。でも、この現金とカードは善意の方が警察に届けてくれました。お料理中に調味料を間違える事などめずらしくはないのです。本当に枚挙にいとまがない程です。

 でも、子供に対しては不思議に「アブセント・マインド」が無かったのです。「アブセント・マインド」に成り得ない程大切だったのでしょう。

 言い換えれば、集中力に欠けるのですね。
 そんなこんなで、今度は命でも奪われたら大変です。これを教訓にもっとしっかりせねば、と思っているところです。

2008年10月23日木曜日

微かな記憶を辿りますと・・・

 それこそ、50年も前の話ですが、上山の「トキワ館」で「源義経」を観た記憶があります。
 確か静御前を山本富士子が演じ、義経を長谷川一夫が演じたのを憶えています。
「しずやしづ しずのをだまき…」と舞う静御前の美しさに感動しました。

 「平城山」は高校の合唱で覚えたのか、職場のコーラスで覚えたのか定かではないのですが、何となく知ってはいます。

 サイトを探したところ、簡単に聴く事ができるサイトが見つかりましたので、サイドバーに貼らせていただきました。クリックしてみて下さい。音質が今ひとつというところでしょうか?

 上手ではありませんが、年末の忘年会で歌うのも良いかもね・・・

 それにしましても、ogaさんnobuさんの博識には脱帽です。でも、勉強になりますね。

フタリシズカ・平城山(続)

 ノブさん、ありがとうございました。「しずやしづ しずのをだまき…」という歌は、鎌倉・鶴岡八幡宮で頼朝から舞を命じられた静御前が「義経が好き」と歌い、舞って頼朝を激怒させたと伝えられているようですが、その歌も能の「二人静」に関係しているのでしょうか。
 昨年12月、首都圏の皆さんの同級会に出席させていただいた日の午前中、鎌倉を訪ねたときに、鶴岡八幡宮の舞殿と静御前の一件を知りました。

 植物のフタリシズカはこの辺の山林にも自生しているそうですが、見たことがありません。写真を切り抜いていたのは、SIZUさんの「二人静かに…」を拝見していたのがきっかけでした。

 その写真の切り抜きから能の「二人静」や、山城の枕詞「つぎねふ」という言葉、さらに山城と奈良の間に横たわる小高い平城山に、万葉の歌姫「磐之媛」の御陵があり、名曲「平城山」の発祥地になっている-など、いろいろなことを知ることができました。ただ、5年前に平城京跡や秋篠寺など平城山の近くを歩きながら、岩之媛御陵を知らなかったために、寄ることができませんでした。

 5年前というのは「時速5㌔の伊勢参詣」と称し、山形から伊勢まで歩き通し、余勢をかって大阪・高槻市まで歩いたことです。その最終日、JR奈良駅前から平城宮跡、西大寺、秋篠寺を回って高槻方面へ抜けたのですが、磐之媛御陵は平城宮跡と目と鼻の先。今さら悔いてもどうにもなりませんが、寄らずじまいだったことは本当に残念でなりません

「人恋うは 哀しきものと平城山に もとほりきつつ 堪えがたかりき」
「古も つまを恋いつつ越えしとふ 平城山のみちに 涙おとしぬ」
 
 平城山の歌は北見志保子という歌人が、磐之媛御陵を訪れたときのことを思い出して詠んだ2首に、平井康三郎という人が曲を付けた歌だそうです。

 つま(夫)を恋いながら、平城山を越えた古の女性は仁徳天皇の皇后・磐之媛。歴史的には大変、嫉妬深い女性と伝えられているようですが、なかなか情熱的な歌を詠み、万葉の歌姫でもあったようです。

 この平城山の歌は聴いたことがありません。コーラスのジローさんに期待したいのですが、いかがでしょうか。

2008年10月22日水曜日

忘年会のお知らせ

林部さんから、下記の様な忘年会のお知らせが入りましたので、ご紹介致します。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
今年の忘年会は去年開催した場所と同じ所です、
日 時 : 12月7日(日)  時間は12:00〰16:00
場 所 : 東京都墨田区業平5-6-1 
墨田区老人ホーム「なりひらホーム」1F 「業平新明橋集会所」
会 費 : 5,000円

最寄り駅の「押上駅」は新タワー「東京ツリータワー」の出来る所です、

一昨年はE組の仲間だけで集まり忘年会を開いていましたが、昨年は
東京在住の同期卒業の人たちに声を掛けた結果沢山の珍しい人に会えて
会場では昔話に花が咲きました、これも良かったと思います。
今回も小笠原さんは山形から駆け付けてくれます、去年は事情があって参加
出来なかった人が5〰6人いました、今年は20名以上の参加を予定しています。

幹事は「伊東 宏一」さんと「林部 伸太郎」が当たります。往復はがきで案内を出す予定です。
ブログを見てもらい参加希望者はメールか電話で申し込みをして貰えればと
考えています。

 ★11月からメールアドレスが変わります
         mtgard@nifty.com になります。
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 【発信者情報】: mtgard@yahoo.co.jp
188-0004 東京都西東京市西原町2-6-15
         林 部 伸太郎(ハヤシベシンタロウ)
         ☎・FAX : 042-465-8990
        携  帯 : 090-7802-6200
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2008年10月21日火曜日

し〜ずやし〜ず〜

 ogaさんの投稿文の中に、私の名前がありましたので関連事項について一筆啓上いたします。
 
標題の歌詞のメロディーを何となく耳にしたことはありませんか?
 
 ogaさんの解説のように、「フタリシズカ」は能「二人静」にあるもので、その作品の中で、静御前と菜摘女が二人形影相伴う如く、義経の都を落ちて吉野に入り、また吉野山をも去って静と別れし、その悲しさ恋しさを語りつ舞いつして回向を乞う。その中で、標題の和歌を歌って序の舞を舞う。いわゆる「鬘もの」、あるいは「三番目もの」といわれるものです。                                  
 
 実際「フタリシズカ」は二つが寄り添うように咲いているのでしょうか?同じように「アツモリソウ」や「クマガイソウ」も能「敦盛」から由来するものなのだろうか?
 
 nobu
 

2008年10月19日日曜日

フタリシズカと平城山

半年ほど前のことになりますが、新聞の「いにしえの草木」という欄で「フタリシズカ」という白い花が紹介されていました。写真はそのときに切り抜いたものです。
そして秋の夜長。辞書とか事典、その他いろんな資料をひっくり返す時間が増えてきた今、切り抜きを見ながらフタリシズカについて辞書をひいてみました。

最初に出ていたのは、能の「二人静」。静御前の霊が供養してもらうため、吉野の菜摘女にのり移り、菜摘女と同じ装束で一緒に舞うという曲目らしい。これはnobuさんが解説してくださるかもしれません。

次はセンリョウ科の多年草。山野に自生し、初夏に2本の白い細かい花が開く-などとありました。古くは「サオトメバナ」とか「ツキネグサ」と呼ばれ、やましろ(山代、山背、山城)の枕詞「つぎねふ」とも関係があるらしい。

その「つぎねふ」という言葉は古事記や万葉集に出ているというので、古事記や万葉集をひっくり返してみると、確かに山代河とか山代女、 山背道などの枕詞で「つぎねふ」という言葉が何度も出ていました。

しかも、そこに登場する仁徳天皇の皇后・イワノヒメ(石之日売とか磐之媛)が、歌曲「平城山」の古の女性-と知ったことは、何よりの収穫でした。歴史とか古典に詳しい人たちには分かりきったことかもしれませんが、何しろ浅学の身。これまでは知る由もありませんでした。

「平城山」は1番が「人恋うは 哀しきものと平城山に もとほりきつつ 堪えがたかりき」。2番は「古も つまを恋いつつ越えしとふ 平城山のみちに 涙おとしぬ」という歌詞になっているようです。

曲としては「な~ら~や~ま~に~」というフレーズをかすかに記憶しているにすぎませんが、平城山と書いてなぜ「ならやま」と読むのか、古の人とは?-といったことなど、以前から関心を持っていた歌です。次の同級会でご存知の方から、ぜひ歌っていただきたいと思っています。

独りよがりの興味から、いろいろひっくり返したものです。でも記憶には残らず、すぐに忘れてしまいます。メモ帳代わりにブログを利用させていただきました。申し訳ありません。平城山には残念な思いを含めて続きもあります。

2008年10月18日土曜日

秋ですね~芋煮会の季節です。

 秋が大分深まりましたね。今朝、夫、愛犬ジロー、私でいつもの散歩コースを歩きましたが、こちらは、紅葉の季節には、まだ一週間ばかりある様です。画像は二階から撮ったもので、我が家のハナミズキが紅葉したものです。

 こんな折、「上の山芋煮会」のお誘いが入りました。ただ残念な事にひにちが10/26(日)なので、私は先約があり、出席できません。

 皆様はこの様な集まりがあるのを知っていましたか? 私は、数年前にmaruabeさんに誘われて2度程出席させて頂きました。多摩川の風に吹かれながらの懐かしいお芋の味に感動しました。

 この集まりを年一回の同窓会にしている上小卒年生の方達もおられる様ですよ。まるで知らない方に声をかけられたので、「どなたですか」と訊ねたら、兄の同窓生でした。

 当日は、上山名物のおみ漬、ゆべし、まんじゅう等のお店がゴザを敷いた会場の周りに出店します。以外な方とお会いする事ができるかも・・・

 来年は、時間に余裕を持たせて、事前にお知らせ致します。
どうぞ、楽しみにしていて下さい。

 ちなみに、会場下車駅は、小田急登戸で、会費は2,300円です。

 どうしても今年出席したいと思う方は、ご連絡下さい。

5戦全敗

去る10月7日(火)と8日(水)の両日、天童市にある山形県総合運動公園のテニスコートで開かれた東北マスターズテニス大会に出場させていただきました。

もう20年も前になるのでしょうか、90歳になるおじいちゃんの誕生祝いに家族そろってテニスを楽しむ姿がテレビで放映されておりました。海外の話題でしたが、90歳になっても楽しめるスポーツなのか-と、強いインパクトを受けて始めたテニスです。

最初は職場の若い人たちのグループに入れてもらい、定年退職後は山形シニアテニスクラブというサークルや「がんこどもクラブ」というナイターテニスの仲間と楽しんでいます。「がんこどもクラブ」は頑固な人たちの集まりではありません。眼科と小児科のお医者さんを中心としたクラブです。

東北マスターズ大会は各県が順番で開催地となり、山形県にも6年に1度、回ってきます。今年は山形県が当番の年。山形シニアテニスクラブが中心となって開催したものです。会場設営とかコートのブラッシング、スタンドの清掃など、大会運営の手伝いをしながら、ゲームにも出させていただきました。

出場したのは男子ダブルス。二人合わせて130歳の部です。勇んでコートに立ったものの、基本的な技術が身に付いていないため、成績は予選リーグで5戦全敗。キャリアの豊富な他県の皆さんにまったく歯がたちませんでした。しかし、力いっぱい戦えたという満足感で気分は爽快そのもの。ペアの方も「楽しかった」と何度も言ってくださり、スポーツの秋を満喫した2日間でした。「6年後のリベンジ」と言いたいところですが…。

2008年10月16日木曜日

懐古

 「夢に白河 ドッコイサノサ、板谷も越えて ヤレコノセ~」-。懐かしいですね。アルコールでテンションの上がった親の世代がよく口にしていたのを思い出します。そして夜行列車の煤で真っ黒になりながら、板谷峠を越えてきた頃の姿も想い浮かびます。
 「ちょいと来た湯の町上山 それ~よいと来た湯の町上山~」もよく耳にしました。確か小学校の校歌も「出湯の町」で始まっていましたよね。「湯の町全盛の上山」といったところでしょうか。
 先に紹介していただいた秋祭りのお囃子や曳き唄、鼓笛隊の笛や太鼓を含め懐かしい「上山の音」を聴く機会があれば-と思っています。

2008年10月4日土曜日

小さい秋み~つけた




10月に入り過ごしやすい毎日になりました。


家の周りもナツハゼの葉が紅葉してきたり、ノギクが咲いていたり、


小さい秋がちらほら、、、。お城の周りに小さい秋を探しに歩いて


身ました。


公園はまだ夏の花々が咲いておりましたが、モミジは紅葉がはじ


まっていました。初秋の上山城をみてください。


公園のさらに上の段に行ってみると旧上山温泉小唄の碑があり


ました。昭和62年に建てられた碑です。


 夢の白河 ドッコイサノサ


    板谷を 越えて ヤレコノセ


      ここは 最上の上山 上山


        ヨイショ ヨイショコラ ヨイショ ヨイショナ


  数年前 市観光課で少しテンポをはやくして、CDをつくり出し


たようです。上山にきて、月岡公園を訪れるチャンスがありまし


たら見て下さい。秋の気配が少しづつ感じられる時間でした。

2008年9月29日月曜日

私の友人達

 今日はこちらはシトシトと冷たい雨と共に、気温も18度まで下がりました。
 以前から会う約束をしていたのですが、偶然にも雨・・・お友達とのおしゃべりタイムには好都合の気候です。

 私達のつき合いは、もうかれこれ15年余になるでしょうか?皆私より10歳以上も年下にもかかわらず、私が一番子供っぽい・・・人生の先輩としてのアドバイスも出来ないくせに、年上という事で威張ってばかり・・・というところです。唯一アドバイスできるのは、年金の話。ひとしきり年金、つまり、社会保険制度の欠陥とか事務所の不正、ミス。話しているうちに何か怒りが沸いてきました。年金特別便が届いた話。まもなく行われるであろう、衆議院の解散について等等。

 でも、大方私たちの共通話題は、一緒にやっている英会話の話、子供達の話、最近は娘の話、夫の話、成人病の話等脈絡の無い話題で盛り上がります。

 誰が提案した訳でも無いのに、話題に上らないのは、ファッションの話、他人の噂話、です。

 気が付いてみたら、5時を過ぎていました。再会を約し(とは言っても、そのうち2人とは毎週会いますが)当番制にいつのまにかなっていた友達の車で帰宅しました。

 本当に楽しかったです。

芋煮会

29日の日曜日は馬見ケ崎川での「芋煮会」にまじぇでもらいました。天気予報は曇り。気温が上がらないとのことでしたが、寒いといった程でもなく、まずまずの行楽日和でした。
ピークは過ぎたとはいえ、秋の風物詩はまだまだ盛況です。上流から下流まで河川敷の広場は、ビニールシートやゴザを敷いたグループで埋まり、それぞれの好みに応じて味付けした芋煮鍋に舌鼓を打っておりました。
私どもはナイターテニスの仲間たちです。4月から10月まで毎週月曜日と金曜日の夜7時から9時まで山形市のスポーツセンターで楽しんでいます。メンバーは30代から50代の人たちで、私たち夫婦が最年長です。
この日、幹事の方々は午前10時半ころから行動を開始し、準備を整えてくれました。馬見ケ崎川での芋煮会は職場を退いてから遠ざかっていただけに、懐かしく想いながら味と雰囲気をたっぷり楽しませていただきました。

2008年9月26日金曜日

還暦野球(続)



去る18日夜、あわただしく投稿した還暦野球の続編です。還暦野球は文字通り60歳以上の野球です。全日本還暦軟式野球連盟という組織のもとで毎年、全日本選手権大会のほか東日本大会、西日本大会、北日本大会といったブロック大会も開かれます。戦後の復興期、「6・3制、野球ばかりが強くなり」といわれたほど野球が盛んな時代に鍛え上げた猛者というか、かつての「野球小僧」がこぞって参加するだけに、グラウンドで発揮する体力、気力は大変なものです。
今回、私どもが参加したのは倉敷市で開かれた全日本選手権。全国各地から62チームが集まり、還暦野球の日本一を争う大会です。
初出場の私どもは、まず倉敷マスカットスタジアムという球場でカクテル光線を浴びながら入場行進した開会式で感激し、翌日は1回戦で佐賀県の代表と対戦しました。
立ち上がりいきなり3点を先取し、3-0とリードしたところまでは良かったんですが。3回で同点に追いつかれ、4回以降は相手打線の猛打を浴び、3-15の大差で敗れてしましました。「実力の差」は如何ともしがたいところですが、相手チームの年齢を感じさせない溌剌としたプレ-や野球に取り組むひたむきな姿勢は、学ばなければならないと思いながら、いざ実行となると自信がありません。
今回は中型観光バス(27人乗り)で18日夜10時から21日夜11時まで73時間に及ぶ遠征でした。山形から倉敷までは新潟、福井、米原、吹田、神戸経由の高速道路でざっと12時間ぐらい。
この間、往路では姫路城や岡山の後楽園・岡山城、復路では永平寺や金沢の兼六園に寄ったほか、試合当日も午前中は倉敷の美観地区や大原美術館、瀬戸大橋の与島パーキングエリアなどを訪れるなど、小生にとっては初めてのスポットばかり。観光面でも収穫の多い遠征でした。

2008年9月18日木曜日

コーラス

 お友達に誘われて最近コーラスにはまっています。
 今から、40年程前のうら若き時代に、職場のコーラスグループとか、芥川也寸志の主催する合唱団「鯨」にも在籍した事があるのですが、当時は、蚊の泣くような声量しかなく、随分と指導者に注意をされたものです。

 ところが今回のコーラスでは、どういう訳か、声が出るのです。決して上手ではないのですが、唱っていてとても気持ちが良く楽しいんです。

 そこで考えました。40年前と今では何が違うのかしら・・・解りました。体重です。結婚前より、10kg程増えたのです。

 過体重は決して喜ばしい事ではなく、人間ドックの度に、「脂肪肝」を指摘されるし、何よりもスタミナが無い、ファッションも楽しめない、という訳で、マイナスの要素が多いのですが、唯一、コーラスの場合は、体重増がプラスしている事になるのですね。
 発声が腹式呼吸によるものなので、それが容易にできる訳です。

 そう言えば、ソロシンガー(特にクラシック)には、ふくよかな人が多いですよね。
 これで、またダイエットから遠ざかりました。

 余談になりますが、若い時の写真を娘に見せると、「これ本当にお母さん?」ですって・・・、私だってスリムでジーンズの似合った時代があったのですよ。

還暦野球

 「おどろいた、おどろいた、おどろいたぁ~。いろはの若い衆はおどろいたぁ~…」と続く踊り屋台の曳き唄。そして上山小唄の「チョイト来た湯の町かみのやまぁ~」。本当に懐かしいですね。Sizuさん、ジローさんありがとうございました。上山秋祭りの雰囲気を思い出すことができました。
 今日はこの後、10時に山形市の霞城公園南門前からバスで岡山県倉敷市に向かいます。全日本還暦野球大会に出場するためです。定年退職してから再開した野球ですが、丸5年になりました。全日本大会に出場するのは今年が初めてです。全国各地から64チームが集まり、60歳以上の甲子園大会といったところでしょうか。
 あす19日の午後5時から倉敷マスカット球場という野球場で開会式、翌20日午後3時からマスカット球場の第2球場で佐賀県の唐津シニア野球クラブというチームと対戦してきます。
 この間、姫路城や岡山後楽園、大原美術館、瀬戸大橋などの観光、帰りは永平寺と金沢兼六園に寄ってくるつもりです。高齢者にはかなりハードなスケジュールですが、万年野球小僧の意気込みでクリアしようと話し合っています。ただ、台風とのバッテングが心配です。出発を前に気持ちが高ぶり、つい私事を投稿してしまいました。ご容赦ください。

残暑お見舞い申上げます。

 
 ここ2,3日の天候は、朝はヒヤリで秋支度、昼近くは夏の直射日光がジリジリと・・・、2階に上って、夏服にお着替え、夕方やはり暑い、そして夜半(ちょうど0時過ぎ)もやはり暑く、お風呂上りに扇風機をかけています。不安定な天候に比例して私も疲れが増すばかり・・・、でももう少しで秋ですね。

 そうです!!大好きな秋の到来です。ちょうど今ぐらいから10月中旬ぐらいまで、わが町の唯一全国的に名の知れた「巾着田の彼岸花」が咲き始めます。
 「巾着田」とは、日高市内を流れる高麗川の蛇行で形作られ、見るときんちゃくに似ていることから巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれる様になりました。
 興味のある方は、http://www.kinchakuda.com/をクリックしてみて下さい。
 コスモス畑もあります。
 私がジローの散歩中に怪我をしたのも、この場所です。私が住んでいる地域では、風に乗って巾着田から飛んで来た彼岸花の種が花をつけます。あちこちにひっそりと咲く彼岸花の風情が何ともやさしく、私はこの彼岸花が好きです。レイアウトされた「赤いジュータン」と化した巾着田の彼岸花はあまり好きではありません。

 それと、コスモスも「群生」よりも、野辺につつましく咲いている方が好きですね。コスモスを見ると、母を思い出します。見た目弱々しいのですが、凛とした立ち居姿は母そのものです。
 秋が深まると、私も元気が蘇ります。
 つたない文ですが、投稿もします。
 皆様も近況をお知らせ下さい。

2008年9月17日水曜日

かかし祭り~天地人


かみのやま温泉の秋祭り(三社祭)も終わり、秋ですね、、、。

おどろいた、おどろいた、おどろいた

いろはの若い衆はおどろいたぁ

チンチロリンとならして~、、、

憶えていますか?踊り山車を曳く時の若い衆の曳き歌です。

私たち小学生の頃は、踊り山車が3日間でて、新丁坂下か

ら新丁クランクをようやく曲がっていました、十日町、二日町、

までも付いて行ったのを憶えています。

また、芸者衆も山車で踊れて一人前、段物を踊って格式の高

いものでした。化粧も顔師がきていたようですし、衣装も相当

なものだったようです。

谷待ち的存在の旦那衆が多い時代は続いたのでしょうが、一時

途切れてしまいました。同級生の故鈴木勝也さんや石井茂吉

さん(旧姓石井良さんの弟)青年会議所の方々が中心になって

復活させて30年近くになるようです。

 湯の町上山も例にもれず、芸者衆が少なくなり、一昨年あた

りから山車で踊るのは山形舞妓さんです。もう1台は踊りの社

中の屋台です。

 かかし祭りの会場もかみのやま城の公園から市役所隣の市民

公園に移って2年目です。

 その時代を映して、アイデアを練り、学校、地区、職場、、、。

で手作りです。北海道や千葉など県外からの出品もあります。

BGMは30、、年前の南春男(?)のかかし音頭が流れてました。

さだまさしのかかしではこの会場では雰囲気が会わないのかな~

2008年9月16日火曜日

かかし祭り

 秋祭りがたけなわの今日この頃ですが、14日の朝刊に「かみのやま(♨)全国かかし祭」が紹介されていました。かかし祭りとしては日本一の規模で、大小合わせて六百五十体を超す手づくりかかしが出品されたそうです。

 世相を反映してか、「激怒!居酒屋タクシー」、「あなたとはちがうんです」など霞ヶ関の不祥事や首相辞任劇を皮肉ったものも登場。原油高や北京五輪についての作品も多かったとか。

 でも、待てよ! かかしは私の記憶では、田畑を荒らす鳥達を追い払う為に、人間に似せた番人風な人形(それも似ても似つかないヨレヨレの人形、即ち、即効性をねらった人形)が多分オリジナルと思っていたのですが、果たして、鳥達は日本語を読めるのかしら・・・などなどつまらない疑問を持ってしまいました。

 グランプリは来年放映予定のNHK大河ドラマ「天地人」にちなんだ地元山形ゆかりの直江兼続のかかし。歴史も無知な私は、直江兼続を知りません。どなたか教えて下さい。

 21日までの会期中、十八万人の人出が見込まれているらしいのです。

2008年9月15日月曜日

古里の秋祭り

古里を離れている29年卒業生の皆さん、上山の秋祭りで町内に繰り出した「山車」を覚えていらっしゃいますか。法被姿のいなせな若い衆が山車を引き、山車の上では美しく着飾ったお姐さんたちがあでやかな踊りを披露するあの山車です。一度は途絶えながら、地元の若い人たちの熱意で復活してから30年になるそうです。小生が最後に見たのは中学1~2年生だったかもしれません。近くに住みながら、その後は見たことがありません。
しかし、今朝の新聞で踊り山車の記事を読み、50年以上も前の祭りを想い起こしました。当時は我々の新丁まで山車が回って来たのではなかったでしょうか。踊りもさることながら、お姐さんたちの艶かしい唄声に合わせ、威勢良く山車を引いていた若い衆の姿が目に浮かびます。お姐さんたちが口にしていた唄は「今もそのまま唄われているのだろうか」とか、当時の若い衆は「我々よりも幾つぐらい年上の方々だったのだろうか」などと、懐かしさを覚えながら、山形新聞から写真を切り抜き、取り込んでみました。

2008年9月12日金曜日

久しぶりの投稿です

長い間、ご無沙汰してしまいました。5月初旬、奈良県に住む下の娘が2歳半の男の子(小生にとっては唯一の孫)を連れて里帰りして以来、パソコンから遠ざかっておりました。
どこの家庭でも同じかもしれませんが、小さな子供にとっては家の中にあるすべての物体が興味の対象となり、飽きてしまうまで遊び道具になるようです。パソコンも例外ではありません。スイッチ・オンであれば手当たり次第にキーボードを押されてしまいます。
夫婦二人きりの生活に慣れきったペースが一転し、2歳半中心の生活ペースになったのは、言うまでもありません。そして娘の注文はNG(駄目)という言葉は遣わないでほしい。子供の気持ちに伝わるような言い回しで納得させほしい。子供に危険を及ぼすようなものは予め片付けてほしい。安易に食べ物を与えない(特に甘いもの)でほしい-等々。
となると、なかなか手強い2歳半でもあったが、目線を大人ではなく、2歳半に移してしまえばそれほど難しいことではありませんでした。来た当時の体重は15キロぐらい。体は大きめながら、気は小さめの甘えん坊といったところ。上山の実家へ行ったり、公園や遊園地で一緒に走り、遊び回っているうちに、暑い盛りが過ぎ秋の気配が漂い始めておりました。
その娘と孫が奈良へ帰ったのはお盆過ぎ。また二人だけの生活に戻り、パソコンに向かう時間も増えてきました。交流の輪に復帰させてください。

2008年8月28日木曜日

心配です!!


ジローさん、怪我をなされ入院されてから大分日数

がたちますがその後いかがでしょうか?

ブログが更新されないので、御加減が心配です。

 暑さもひとしきり、8月もまもなく終わろうとしています。

蔵王の山々も何となく澄んできています。山頂近くは

赤トンボが飛び交っていることでしょう。

まもなく「かかしまつり」も始まります。サイドバーの

かみのやま温泉観光協会をクリックしてみてください。

趣味のアレンジフラワーも暑さを通り越して花材も豊富

になり、花持ちも少しよくなりまして楽しさがましました。

今月は 花笠、月遅れのお盆などと、何かといそがしか

ったですがこれからは アレンジフラワーに集中できそ
うです。

みなさん、近況をお知らせくださ~い、、、。

2008年8月5日火曜日

暑いです


暑いぞ 熊谷 今年も!
 毎日暑い日が続きます。去年最高温度40.6度を出した熊谷は我が家から歩いても10分。うだるような暑さに対抗して毎日クーラー漬けの日々を送っています。後で体がだるくなるかな~と 気にかかるのですが もわっとした空気には耐えられません。昨年最高温度を記録した8月16日の未明に不思議な体験をした話をしたいと思います。 父は戦死をしました。6人兄妹の長男でその当時は大学は出たけれど就職がなく 今の韓国(朝鮮)の女学校の先生の口ならあるよとの知り合いの縁で赴任し 母は若いうちはしゅうとたちとは離れて暮らし 長男だから後で家を継げばいいじゃないかとの縁談で結婚したようです。 私が数え年で2歳のときに父に召集令状が来て 「日本の国で待ってなさい。」と母に言い残したそうです。今になれば そのあたりをもっとしっかり聞いておけば 又聞いててあげれば 母も沢山話せたろうにと悔やんでいる箇所です。上山の家は祖父 祖母 おじさん 叔母さん おじさんの家族総勢10人もいましたから 父が戦死して居なくても寂しい思いはせずに育った気がします。という事は 思い出も何も無いので失礼ながら 存在すら考えずここ何十年過ごしてきてしまいました。いかに呑気なわたしでも戦後60年とか世間で マスコミで騒ぎ始めてるころから気になっていました。  今は亡き母が 我が家に来る毎に持ってくるお土産の中に父が帽子をまぶかに被った写真を納めた写真立てを何気に飾っていってくれたのでした。ずうっと中を見ることも無くいたのですが 昨年は 終戦記念日も近いし 写真立てのガラスも磨こうとばらしてみたら サイパン島~で云々書いてありました。何かとても身近に感じ始めていた矢先のあの暑い日の真夜中に 宵っ張りのわたしが 「あついわあー」と空を見てたら電信柱ぐらいの高さに 綺麗な青 真ん中にいくほどしろくなっていく火の玉 すうっと10mほど流れたのです。火の玉ってあおいの?赤くないのだ?なんてよぎった後は鳥肌が立ったけど ほんとにきれいでした。きっとあれは 父との接点 つながりをお互いに感じたよーとの合図と思っています。ずいぶん とろい娘でもうしわけないきがします。 姉にもこのことを話し 今年11月ころ慰霊の旅をし サイパンの海に花を手向けてきます。先だって シンガポールにいる娘家族のこと投稿しましたが どんでんがえしの結果でもう日本にいます。いきさつはこの次といたします。
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2008年7月29日火曜日

またまたご無沙汰致しました。

 ご無沙汰致しました。

 実は愛犬ジローの散歩中に、ジローと相性の悪い犬との喧嘩を止めようとして、ジローに投げ飛ばされて、腰を強打、二週間ばかり入院していました。幸い大した事もなく退院し一週間、どうにかパソコンでの入力が出来る様になりました。

 今回のアクシデントは、加害者がジロー、被害者が私なのですが、ジローを恨むどころか、入院一日目でもうジローの事が心配で、「散歩はどうするの? おやつはやってる? 水は、二箇所に置いてよ」など等ジローの事ばかり心配するので、夫には「僕の心配はしないの?」とひがまれてしまいました。ジローしょ気てる?と聞いたら「元気溌剌、食欲旺盛」ですって・・・、「私は、こんなに大変な思いをしているのに」と心の中では思っていたのですが、いざ久し振りのジローとの対面の私の第一声は、「ジローは悪くないからね。寂しかったでしょ?」、これには夫も呆れ顔・・・、家事をそろりそろりとやれるまでになりました。

 整形外科に入院したせいか、高齢者の方が多く、私などは一番若い部類に入っていた事もあり、状態が良くなるにつれ、「高齢者介護の現場」をウォッチング(失礼かも知れませんが)して来ました。

 私が入った部屋は二人部屋で、もう一人の方は、90歳のご高齢の方でした。
一ヶ月前に、お住いの「ケアハウス」で散歩中転ばれてやはり腰を打ったとか・・・。
とても聡明な方だけに、夜のトイレを遠慮し(これはナースコールをして車椅子でトイレまで連れて行ってもらう)、我慢しているうちに膀胱炎になってしまいました。今度は頻尿の爲、トイレの回数が多くなってしまい、頻繁なナースコールをするため、看護師さんのヒンシュクを買ってしまいました。これの悪循環でした。

 もし、早期に膀胱炎の治療を終えていれば、こんな状態にならずに済んだのになあと思いました。 結局、治療をする方と介護をする方の連携が上手くいっていない様でした。

 そんなこんなで退院して来た後、テレビでロボット時代の到来について取り上げている番組を見ました。人の動作を補助するロボットの開発も進み、その成果が医療、介護現場に利用される時代も早く到来すれば良いのに・・・と思いました。

2008年7月5日土曜日

私のチャレンジ宣言

 サイドバーに貼らせていただいた「1人1日1kgCO2削減をめざそう!」は、「チームマイナス6%」により、提供されたものです。
 「チームマイナス6%」とは、「京都議定書による温室効果ガス排出量6%の削減を目指す国民プロジェクト」に賛同する企業又は個人がチームを作り、組織化された団体です。
 サイドバーをクリックしていただくと、「私のチャレンジ宣言」がありますので、そこから入っていただくと削減のためのメニューがあります。そこで、自分の削減目標とする項目にチェックをつけながら進んで行きますと最終的に「私のチャレンジ宣言」のリストが作成されます。それを印刷して、「応援キャンペーン協賛企業」に提示しますと、様々なサービスを受けられる事になっています。
 ちなみに私も、「私のチャレンジ宣言」にチャレンジしてみました。
 右記の結果を得る事が出来ました。
 クリックしますと、拡大表示されます。
 できる事から始める事が大切ですね。

2008年7月3日木曜日

結婚記念日

 昨日7/2は、私達夫婦の結婚記念日でした。27年目です。
 よくぞ頑張ったなぁ~と思いますが、多分夫の我慢強さがあったからでしょう。
 昨日、夫が夕刊を見ている時に、日付を見て「アア・・・今日は結婚記念日だあ~」ですよ。
 私は、当に知っていたのですが、ちょっと黙っていて試してみたのです。でも、思い出しただけでも良いとするかぁ・・というところでしょう。

 27年前、7/2は「2人でラッキーセブンで過ごそう」と語呂合わせをして、その日に入籍しました。
 家は結構語呂合わせが好きで、息子と娘を合わせて「健康第一」となる様な名前を考える始末です。

 また、父親の命日が9/14なので、「苦しんで一人で死んだ」などと覚えてしまいましたが、考えてみると日々お世話をしてくれた義姉には悪い事を言ってしまったのでは・・・と後悔しきりです。

 こんな調子で全てを記憶すればよいのでしょうが、なかなか出来ず、そのためメモを取る様にしているのですが、今度はどこにメモを取ったのか忘れる始末。

 時々思うのですが、「記憶力の良さ」は全てにおいて「勝ち」だなあと思います。

 特に憶えられないのが、商品の値段。スーパーで買物をして、その店を出るときは、忘れています。
 従って、この物価高に商品の価格変動など絶対憶えられない。最初から諦めています。

 こんな私でも、どういう訳か27年間家計簿をつけてきました。でも、その家計簿の中身は、不明金○○円という箇所が沢山あります。何のための家計簿か解らない・・・とは、夫の口癖です。

 でも、あと27年を生き抜くために、さらに頑張って行くつもりです。

 今後ともよろしくお願い致します。

2008年6月30日月曜日

一歩ずつ(CO2削減をめざして)進もう!!

 1997/12/11に京都で開催された「地球温暖化防止京都会議」で議決した議定書(通称京都議定書)によると、日本のCO2の削減義務は、1990年比の6%減と決まり、2005/2/6に発効しました。 
 2008年~2012年の間に、6%のCO2削減が義務付けられています。

 国、自治体、企業の削減取り組みは勿論ですが、私たち国民の一人一人も真剣に取り組む必要があると思います。

 そんな事を考えながら、ウェブサイトをあちこち見ていましたら、下記のサイトに「めざせ1人1日1kg」の取り組みを見つけました。そのためのメニューが解りやすく説明されています。是非、訪問される事をお薦めします。

http://www.team-6.jp/try-1kg/life/index.html

 私達(特に私)の削減意識を高めるために、サイドバーに貼らせて頂きたいと思います。
 皆様の取り組みもお知らせ頂けたら、さいわいです。

2008年6月27日金曜日

地球温暖化について

 まもなく開催される「洞爺湖サミット」の主要テーマに、「環境問題」が取り上げられる事もあり、このところ、「地球温暖化」に向けた国はもちろん、各自治体、企業の取り組みが連日テレビ、新聞等で報道されていますが、私個人としては、温暖化防止の取り組みに協力的であったかというと、必ずしもそうではなかった様な気がします。

 ところが一ヶ月程前、2週にわたるNHKスペシャルの「北極大変動」を見てから、その事態の深刻さにハンマーで頭を殴られた様なショックを覚えました。

 第1週は、「氷が消え悲劇が始まった」です。

 地球温暖化の波が北極まで押し寄せ、かっては4メートル以上もあった北極点の氷が、今では70センチという。従って北極海の氷の面積も、2007年9月には1980年の6割以下に縮小。そして、この氷の減少の影響を最も受けているのが、北極圏の生態系であり、なかでも、ホッキョクグマは氷がないために、えさとなるワモンアザラシが少なくなってしまい、この事がホッキョクグマの親子に過酷な運命をもたらすことになる。

 また、温暖化が生態系にもたらす影響を調査するため、ホッキョクグマの親子に発信器をつけて行動を追跡しますが、最後は、親子別々の場所で、飢えのために死んでしまう模様が映像として映し出された時は「なんとむごい!!、この親子は人間のエゴに殺されたんだ」と切実に思うと同時に、すごいショックを受けました。

 第2週は、「氷の海から巨大資源が現れた」です。

 地球温暖化による海氷面積の縮小により、今度は北極圏の海底に眠る無数のエネルギー資源が人間の欲望に火をつけ、新たな資源開発競争を起しているという話です。
 エネルギー大国のロシア、石油輸出大国のノルウェー、砕氷タンカーの建造の韓国等が、この競争に参入しています。
 しかし、北極の資源開発が新たなCO2排出を招き、「負の連鎖」を引き起こすとか。しかしこの連鎖を食い止める為に、ノルウェーでは、CO2を地中に封じ込める試みも始まったという話です。

 いずれにしましても、「地球温暖化」は地球規模での重要テーマであり、従って、「ポスト京都議定書」といわれる「洞爺湖サミット」での国際的枠組み作りの為の真剣な討議が行われる事を祈るばかりです。

 話は私事になりますが、今から40年程前、東京の都電が交通渋滞の解消の為に、廃止が決定した時、今は亡き父が、「何と愚かな施策なんだ。車の輸送効率に比べて、都電の方がはるかに大きいのに、馬鹿な事を考える」とよく言っていました。その時家族は「では、交通渋滞はどうするの?」と訊くと、「車の生産を落とせば良いのだ」と。「車の増加は排気ガスの増加に繋がるのだ、将来が思いやられる」と。

 しかし、当時は3Cと言って、カー、クーラー、カラーテレビを購入する事がステータスみたいな風潮があり、私などもその欲望には勝てず、父の持論には「フムフム」と頷いていたものです。

 最近、若者の車離れが加速し、売り上げ台数も減少に転じているらしく、又路面電車も世界では復活の傾向が顕著であります。

 これらの事を考えると、父の「先見の明」に改めて敬服します。

2008年6月25日水曜日

巨人ミラクル優勝!!!

 21日22日の巨人・ソフトバンク戦は実に見ごたえがあった。    

 私は小学生時代から巨人ファンである。確か中学のころ、oga君とひいきのチームの自慢話をしたことがある。当然ミーハーの私は巨人であるが、oga君はヤクルト(当時は、国鉄orサンケイorトンボ)であると言う。理由は弱いから。思えばoga君は、当時から時流に流されない、批判精神の持ち主であった。

 今年の巨人は、公式戦オープン前から、あまりに打てなくていらいらさせられていた。そのまま公式戦に入り、打撃は不調、故障者続出、上原、高橋尚成等の投手陣もだめ、バントも出来ず、走れずと全く良い所がなく、何とか5割に近づくと撥ね返される状態だった。

 しかし、セ・パ交流戦前あたりから、「1—0」の試合をものにすることが出来るようになってきた。交流戦では、チームプレーが決まりだし、いいところで点数が取れ、最少得点をキープできるようになって来た。

 交流戦で貯金が出来、首位の阪神から10ゲーム差、いよいよ追撃である。内海、野間口の先発、西村、藤田、山口の中継ぎ、そして締めはクルーン。打撃ではラミネス(当初、ラミネスの補強には賛成できなかった。生え抜きを育てないいつものやり方には不満だったが、これまでのラミネスの活躍がなければ今の位置にいることは出来なかったろう)を中心とし由伸も帰ってきた。

 夏から秋にかけて、オリンピックをはさみいよいよ巨人が追い込みをかける。血が沸き、胸が高鳴り、目が離せない。これまでと違う若手が次々と活躍し、阪神を逆転して優勝するであろう。

2008年6月24日火曜日

靖子さん!! ご投稿有難うございます。

 お久し振りです。お元気の様で何よりです。

 震度4の地震を経験されたのですね。でも被害に遭われなくて幸いでした。被災地の皆様には申し訳ありませんが、知り合いの方々がご無事であるという事は嬉しいです。

 「六さん米屋」さんは憶えているのですが、同級生の鈴木勝也さんがどうしても思い出せないのですが、上山の発展の為にご尽力された方が亡くなられた事は、大変悲しい思いが致します。
 私達の学年の方は、決して派手ではないのですが、色々なところで地味に郷土を支えられている事を良く聞きますが、その功績は忘れてはならないと思いますね。
 ご冥福をお祈り致します。

 ところで、靖子さんも梅酒を作られているのですね。我が家も先週梅酒を造りました。我が家の梅酒は主人の仕事で、私は熟成したものを「今年はおいしい」とか、「何、まずい~」と言ったりする批評家担当です。
 今年も、息子の木から4.5kg、娘の木から紅梅が7kgばかり獲れました。梅酒と梅干と梅ジュースを造りました。
 ところで、昨年、一昨年の梅酒を久し振りに飲んでみたところ、何とまずいのです。どうしてかしら? と主人と原因を考えたのですが、聞くところによると、何と、梅酒はちょっと傷んだものでも使ってはならないのに、「勿体ないから入れた」ですって・・・何しろ私は批評担当ですから、怒り心頭、「ほんの数パーセントの為に上手さが損なわれるんだから」と言ったところ、今度は梅干の梅を選別し、殆ど1/3になってしまいました。
 また、その梅酒を知人に差し上げて、そのお返しに高級ウイスキーをいただいた訳ですから・・・、もう赤面しきり、しかし、主人はケロッとしている始末です。
 なお、まずさの原因が他にありましたら、是非教えて下さい。

 こちらもさくらんぼが店頭に並び始めました。でも結構高価な果物なので、スーパーで主人が勝手に1パックを籠に入れたので、私がパイナップルと替えてしまいました。

 「東沢バラ園」をサイドバーにリンク致しましたので、皆様ご覧下さい。

果実酒つくり




おしばらくです。
ブログを書かないでいるまにもう六月も後半になりました。
山形はさくらんぼの最盛期になりました。発送を頼み終わり
ホッとしたところです。
ここ数日の間にいろいろなことがありました。
岩手・宮城地震
ここ上山も震度4でしたが時間が長かった
ので 驚いて外に出ていました。被災地の方々、そして、被
災をうけまだ、行方不明の方もいる、山形の金山町の方々
は大変だと思います。
鈴木勝也さんの訃報
6月3日上山在住の同窓生の勝也さん(六さん米屋さん)が
亡くなりました。
小学校は6年7組、中学校は3年H組でした。彼は青年会議所
時代上山の踊り山車の復活に尽力を尽くした方です。前々回
の同窓会まで幹事をし、前回の同窓会(65歳)のときは体調
があまり良くないとは本人がいっておりましたが、、、。ご冥福
お祈りいたします。
私事ですが
6月は果実酒を作る時期、特に梅酒を作る時期です。梅酒も造
りましたが 、先日東沢バラ公園のある村山市でバラワインを
梅酒を使って造ったというニュースがありました。
家の花壇のバラ(購入先は東沢バラ園)のうちスプレイ咲きの中輪
の紅いバラと似ていたので(写真1)、私も挑戦してみました。
*ハナビラをホワイトリカーに1晩つける。(300ccくらい)
アルコールにはなびらの紅色が溶出します。
*梅酢(青梅1kg+リンゴ酢1.8L+氷砂糖1kg)を200cc
加える。パッと発色します。(写真2)
* 冷暗所に保存します。
きれいでしょ。食前酒にいいですよ。試してみてください。もっと
良い方法がありましたらおしえてくださ~い。


  

2008年6月23日月曜日

ご無沙汰致しました。

 長い間、ご無沙汰してしまいました。
 管理人として責任を感じています。
 別に、何事もなかったのですが、どうも梅雨が良くないのでしょうか。気力が湧かず閉口しました。
 知らなかったのですが、北海道は梅雨がないそうですね。夫から聞いて初めて知りました。
 
 例年こんな事はなかったのですが、今年はどうしてかなあ~と考えるのですが、思い当たる節がないのです。

 また、この度の「岩手・宮城内陸地震」について、心よりお見舞い申上げます。
 山形県在住の皆様には、震源地から近い事もあり、大変だった事と推察致します。
 少しでも早い復興を願うばかりです。

 今、iPodで音楽を聴きながら、投稿文を書いています。ショパンの「ピアノ協奏曲第2番」を聴きながらです。音楽はいいですね。こんな時、特にその様に感じます。

 ところで、外国の方は、例えば「梅雨で鬱陶しいですね」とは言っても、必ずその後に「でも、紫陽花が雨に映えますね」と展開するのですね。話がネガティブではないのですね。教えられる気がします。

 皆様は、梅雨の時期どの様に過ごされていますか?
 近況など何でも結構ですから、お知らせ下さい。

 最近、私は遅ればせながら、「地球温暖化」について、真剣に考える様になりました。この場で取り上げようと思いましたが、難しくそのうち皆様の取り組み方等をお聞かせ願えれば・・・と思います。

2008年5月28日水曜日

中村弘君のフォト作品

三重県朝日町在住の中村弘君が定年退職後に始めたという写真(デジタルカメラ一眼レフ)の作品を紹介します。

「東濤会だより」という高校の同期会だよりに掲載するため送っていただいたものですが、素晴らしい作品ばかりなので、上山小中学校同級生の方々にもぜひ見ていただきたいと思い、勝手に投稿させていただきました。
 
始めてまだ2年足らずだそうですが、四日市大学(コミュニティ・カレッジ)の写真講座を受講し、着々と腕を上げています。
その一つが四日市観光協会のコンテストで銀賞に輝きました。四日市の「鯨船祭」を題材にした作品で、豪華な屋形や彫刻で飾り付けた鯨船を勇壮に操る若者の姿を絶妙のタイミングでとらえ、絵はがきにもなったそうです(写真上)。

また桑名市の水郷花火大会で撮影した「薄暮花火」=写真右=は、四日市コミュニティーカレッジのポスターに採用されたそうです。まだ茜色が残る夕空に華麗な光の花が咲き、水面をも淡く染めています。さらにライトアップに浮き立つ鉄橋などが見事な構図でキャッチされ、夏を彩る花火大会の幕開けというか、序曲ともいえるような情景が鮮やかに表現されています。
今回はこのほか愛知県津島市の「尾張津島天王祭」、岐阜県郡上八幡の「郡上踊り」、岐阜県海津市の「左義長火祭り」、京都の「祇園祭」、愛知県三河地方で盛んな「手筒花火」、桑名市長島町の「なばなの里イルミネーション」、奈良県宇陀市本郷の「又兵衛桜」、さらに名古屋城や長谷寺、京都妙傳寺、岐阜県海津堤の桜、木曽御岳山ろくの紅葉、乗鞍岳、伊吹山、奈良大台ヶ原の風景など二十数点をCDに収録して送ってくださいました。以下はその作品の一部です。

     尾張津島天王祭                  
      
                    




                                                                                                                 




                       
          桑名市「なばなの里」のイルミネーション      

     愛知の手筒花火

      

                   

                 長谷寺の桜

         木曽御岳山麓の紅葉                

  

                                          

  

                                    乗鞍岳

                                                           

2008年5月20日火曜日

今日は一人 おるすばん です

今朝の台風まがいの大雨の中を 同窓会のゴルフ大会 一泊旅行で主人は「いやだな~。」とつぶやきながら迎えの車に乗り込んで出かけていきました。わたしは何故か(やれ・やれ)と心で言い さて この自由を有意義に公民館活動もないし 楽しまねば~と思ったのですが 普段の寝不足と朝早くに起きたので睡魔には勝てず もう一度寝ることにしました。起きてびっくり10時半。でもとてもよい天気になってたので よかったわ! 主人達一行のことは 今日はプレイできなくも明日は大丈夫楽しめるに違いないと 思いやってあげました。目覚めてすぐこんなこと思いめぐるなんて なんて優しい妻じゃない・・・と一人合点。     ふだんは大違いです。  その後はコンビニに孫のための通信教育の進研ゼミの受講料をプレゼントしてるので 振込みに行き 「そうだ、今日はひとりだから おもいっきり手を抜いてコンビ二弁当にしよう!!」と、弁当と明朝のためおにぎりを買ってきました。なんとなく 食事の支度をしなくていいという解放感?不思議に浮き浮き。

さて 娘の家庭の事情を話しましょう。今 親子4人で、ある企業の駐在員としてシンガポールに赴任しているのですが 会社の方針で現地採用に重きを置くようになり(日本人はいろいろの手当てが高すぎる)帰国か現地並みの処遇で留まるか 二者選択迫られているのです。娘の夫は語学がすこぶる堪能でまた娘もアメリカの大学を卒業しているのでぜんぜん困らず 現地並みの給料になったら「わたしも働くわ。」と、もう 採用試験を受けて二次も受かり返事するばかり・・・と。私と主人は「子供は どうするの?」「かわいそうなことにはならないの?」とふあ~んがつのるばかり。他の方達は帰国を望む人、現地に残りたい人半々だそうです。子供はフィリッピン人の住み込みメイドさんを 月5万円で雇えば心配ないとか。そういえば幼稚園のバスのお見送り、お迎えはほとんどがメイドさんです。シンガポールは共稼ぎがほとんどでで女性の力はかなり強いそうです。こんな会話を交わしている娘の電話口での雰囲気は いつになく明るくきびきびとし 主人までもがあの優しい口調の由佳ちゃんじゃあないぞ  もう きまりだな 帰ってこないな と。はてさて どうなるか わが子とはいえ ああしろ こうしろとはいえず「よき選択を・・・」と 電話を終えました。これは一昨日のことです。きっと主人も そろそろ本帰国と思ってた矢先 思いがけない展開となりそうなので ゴルフのスコアは果たしてしっちゃかめっちゃかかな?
さて 私の自由時間もとろいタッチのブログ書きにかなりついやしましたので何をしようか?
ハワイアンキルトの製作しか思いつきません。                                                                                 

2008年5月18日日曜日

私の独り言

 タイトルどおり、私の独り言と受け取って頂ければさいわいです。
大抵、独り言は愚痴だと思いますが、私の場合も愚痴なのです。

 金曜日の夜、最寄の一つ前の駅に夫を迎えに行った時の事。いつもの通り駅のロータリーに車を止めてジローと一緒に夫の電車を待っていました。

 ところが、どうも雰囲気がおかしいのです。私の車の左側を通り過ぎる車のドライバーの殆どが私の方を見て、何か言いたげに通り過ぎるのです。ついに、五台目位のタクシーの運転手さんが、「ここは駐車してはいけないところだよ」、と言うので、私は窓を開け、「何故?」と思わず大きな声を出しました。
すると、その運転手さんは、降りて来て再び「ここは駐車禁止の場所だよ。」思わず私は、「どこが駐車禁止なんですか。標識が何も無いじゃないの?」でも、良く見ると道路標識なのか、路面上に白のペイントの斜線で、禁止エリアが書かれています。私は、その外側にいた訳ですから、違反じゃないと思い、「こんな、駐車禁止標識初めて見たわ。知らなかった。それよりも、バス停車エリアに乗用車が一杯止っているではないの?責められるのはあの車達でしょ。」と思わず大声を出していたら、丁度夫がやってきました。びっくりして「早く車を出せよ。周りが迷惑だろ」ふと、周りを見たら、車が数台繋がっていました。

 私が、腹に据えかねたのは、いつもバス停車エリアに止っている何台もの一般乗用車に対しては、多勢の為誰も何も言えず、手っ取り早い無勢の私に抗議したのが許せなかったのです。

 それに加えるに、私の夫たるものまで、私の味方をせず私を非難した事です。お陰で私は、乱暴極まりない運転で帰宅しました。怒りは収まらず、私の抗議の理由を夫に話しても解ってもらえず、そこで、夫婦喧嘩、ジローがびっくりして顏を引きつらせていました。その事にまた腹が立ってジローに八つ当たり・・・。「誰が聞いてもお前が悪い、常識が無い」と攻め立てる夫に、「あなたは不器用だ。例え私が悪くても、もっと言い方があるでしょ。例えば、『まあ落ち着いて、向こうももっと説明すればよいのにね。忘れろ』とかどうして言えないの。」と有らぬ方向に話が展開してしまいました。私は、それでも収まらず、「これからその運転手さんと話をしてくるわ」と言ったら、「行って来いよ」でまたカッーときてしまう始末。

 その夜は、興奮して熟睡できず、挙句の果ては、ガラスが粉々に壊れる夢などを見てしまい、嫌な気分・・・ムッとして起きてきました。

 ここまで書いてから気が付いたのですが、大分愚痴った事で心が晴れて来ました。
 皆様はこの様な場合は、どの様に気持ちの切替をされますか? 

2008年5月8日木曜日

娘の巣立ち

 4月から社会人になった娘が、一ヶ月の長い研修を終え帰って来ましたが、いよいよ社員としての生活が始まります。

 勤務地が横浜なので、寮に入るため今日我が家を後にしました。当座必要なものだけを持って行った為、娘の部屋は以前と殆ど変わらない儘です。
 文字通り主の居ない空の巣の部屋を見たとき、寂しさが突然襲って来ると同時に、23年間一緒に過ごした日々が蘇り、よくない傾向(空の巣症候群?)に陥ってしまいました。

 でもその回復は早く、また娘の部屋に入り、今度はオークションに出せるものがないか、品物漁りを始めました。(言葉が良くないですね)
 漫画の本?、参考書?、ぬいぐるみ?、着なくなった洋服?などなど・・・ 早速、娘の許可をもらう為電話をしたら、生返事、この返事は拒否の返事なのです。でも、無視。明日から楽しい出品の準備をしようっと・・・。

 娘の希望したSEの仕事に就く事になりましたが、3k職種(きつい、きびしい、帰れない)といわれるSEはそんなに甘い仕事ではなく、大丈夫かなあ~と思いますが、心配してもしようがない話。割り切るしかありません。ただ、親として全面的に娘を信頼する事。これに尽きる様な気がします。

 娘には小さい時から、「男性と同等である事。そのためには、まず経済的自立をする事」と教えて来ました。夢にも「結婚だけが女性の一番幸福な道」などとは思わない事。「結婚を否定はしないけれど、人生の選択肢の一つ」位に気軽に考える事。などなど私の勝手な思い込みを伝授してきました。同じ事を息子にも教えました。従って、我が家では、息子と娘を男女という事で差別をした事がありません。
 この教えが、馬の耳に念仏となるかどうかは娘次第でしょう。

 とにかく、自分で切り開いた道が人のため、又は社会のために役立ったと自覚した時の充実感を経験して欲しい。その経験が後の人生を豊かなものにすると思うのです。

2008年5月5日月曜日

はじめて投稿します

お久しぶりです。犬石です。とは言っても、小生の事 思い出してもらえないかも知れませんね。どうぞ仲間に入れてください。このブログのこと小笠原君の紹介で知りました。思わず遠い昔に引き込まれてしまいました。

懐かしい写真拝見しました。二宮金次郎の銅像、まだ健在なのですね。記念写真を撮った当時を思いだしました。(私は1年4組 柏倉 米子先生です。)
戦後間もないこの時代みんな子供なりに希望を抱いていた頃でした。

小生、上山を離れ50年 現在大阪在住です。大阪の環境や文化に慣れ親しんでいるのですが、少年期に過した ふるさと上山が忘れられません。
近所に山形県出身の方がおられます。干柿やさくらんぼなど分け合い、たまには、山形の話などしています。思わず山形弁が出るのがいいですね。

とりとめもない事を書いてしまいました。次回からは、思い出や近況を投稿したいと思います。まずは挨拶まで、、、

                          犬石 智夫

2008年5月3日土曜日

転校生ですが!

 上山小学校5年生2学期まで在籍しました。矢来3丁目に住んで居ました宗川(そうかわ)です。1月に柏倉君にブログの件は紹介されてはいましたが、今一、卒業していないので登録には二の足を踏んでいました。  中味は時々盗み視?して一人昔を思い出させて貰っていました。今日、鈴木展夫の投稿を読ませて頂き登録の決心をした次第です。  1、2年生の担任は{山川はま子先生} 3年生{若生菊子先生} 4年生{斉藤菊子先生}{大竹ちさと先生} 5年生{柿崎和子先生}の先生方に指導を受けました。18年の月岡ホテルの同窓会に初参加、58年振りにお会いした方もおりました。 半数の方は私にはわかりました。歳はとっても小学生の集まり?!とても嬉しかったです。あの時会えなかった方に是非、お会いしたいですね!!!!

206−0823 東京都稲城市平尾3−7−5 平尾住宅68−402
         宗川利廣 (ハンドルネーム とし坊) 
     電話 042−331−7907   080−1001ー1687 
 

         

  斉藤(若生)菊子先生と。
 (先生のご自宅にて、2006年2月)







前列右から斉藤先生(若生菊子)
       鈴木展夫
       大沢澄子
後列右から柏倉孝
       石井勝之
       佐藤勝
       宗川利廣
       森井幸子(井上)
                                                                       (Hキャッスルにて、2006年9月30日)                                                                                                             

2008年5月2日金曜日

花見満喫

 山形市嶋地区に映画館がオープンした。全国に先駆けて、藤沢周平原作「山桜」が上映されたのでオープン翌日に観て来た。
 武家の若妻「うの」は、満開の山桜に魅せられ、一枝手折ろうとするが届かない。そこに通りかかった剣豪の武士「手塚」が取ってくれる。

 別れ際、手塚は問う。「今は幸せでござるの」。うのは困惑しながらあいまいに頷く。
 
 この出会いが後のうのの運命を決めることになる。
 1年後かあるいは数年後か、婚家を出たうのは、まためぐって来た満開の桜の時期に、牢に入っている手塚を待つ生活に心の安住を見出す。
 手塚が牢から出られるきざしも仄見える。

 背景の白い山(月山と思われる)と満開の山桜、田園風景、清冽な湧き水、武家の妻らしい凛とした美しさ等、劇的な出来事はあるのだけれど静かに展開する画面に、心が洗われるようでした。

 またそれより前に、東根市神町にある「自衛隊第6師団」の公開行進及び演習を見たが、折から、桜並木及びたくさんある桜が満開で、桜の下で家族が花見をしていた。まさに桜花爛漫であった。

 その後、山形東濤会(高校の同級会)の花見が山辺町「玉虫湖畔荘」であった。山形市西部の山の中腹にあり、山形市街が一望に展望できる。oga氏ともども参加した。昔校舎であったという建物の懐かしい格子状のガラス窓に映る桜を見ながら歓談、酔談に花を咲かせた。まことに今年は花見を堪能した春であった。

春ごとの花に心を慰めて 六十路あまりの年を経にける
                                  西行

鈴木 展夫
E-mail : nre51313@nifty.com

2008年4月27日日曜日

6年1組花見は雨で中止

 6年1組の花見はあいにくの雨で中止せざるを得ませんでした。前日までの好天がうらめしい…と嘆きたいところでしたが、主たる目的は「まず集う」こと。そしてクラス会の相談をすることでした。

 集合場所のスーパーマーケット(JRかみのやま温泉駅の北東側)で買物をした後、近くの藤倉恒子さん宅へ直行しました。

 集まったのは藤倉さんのほか鏡(旧姓安孫子)ナヲさん、墫守人君、鈴木通世君、長岡一雄君、花屋隆君、それに小生小笠原英雄の7人です。

 午前10時半ころから、買い揃えた好みの酒肴をテーブルに並べ、誰が音頭を取るでもなく、一斉に「カンパーイ!」となりました。7人がそろって顔を合わせるのは2004年1月以来、4年3カ月ぶり。

 「胃の摘出手術を受けた」「脳梗塞になりかけた」「狭心症で血液サラサラの薬を常用している」といった互いの健康状況から、毎年個展を開く花屋君の絵画をはじめ、藤倉さんのフォークダンスとハンドベル、長岡君の自彊術、通世君のデジカメと家庭菜園、ナヲさんの公民館ダンス、まだコンサルタントの仕事をしている墫君―といったように、最近のライフスタイルなどを一通り語り合った後、藤倉さんと通世君が準備してくれた古いアルバムをめくりはじめると、座は小中学校時代へタイムスリップ。級友の消息を含め話は一段と弾み、はじけ飛ぶ感じでした。

 写真はクラスごとの記念写真から修学旅行のスナップ、卒業記念アルバム、さらに昭和36年から始めたクラス会のスナップなど、懐かしいものばかり。初めて目にするような写真もたくさんありました。

 子供の頃の自分が分からず「オレはどこにいるの?」。「これがあなたでしょう」といわれた本人が「本当にそうなの」と首を傾げる場面もありました。
 そして、ある年のクラス会で「女房も連れてきた」と言いながら、実は奥さんではない女性を同伴していた―といったマル秘の話も次々に飛び出し、時間はあっという間に過ぎていきました。

 この間、花屋君が台所に立ち、自慢のマーボー豆腐を作ってくれました。自ら調達してきた調味料を駆使し、ピリッと引き締まった味のマーボー豆腐でした。

 一口食べて「白いご飯がほしくなった」との声に、藤倉さんが「じゃあご飯を炊こう」とすぐ反応してくれ、何分か後に極上のマーボーライスを味わうことができました。 遠慮がないのも同級生の特権でしょうか。

 肝心のクラス会開催が話題になったのは午後3時半過ぎ。連絡役の藤倉さんが担任だった有馬館の須藤清雄先生に電話を入れ、先生がお元気であることを確認して11月6日(木)有馬館で実施することになりました。これから役割を分担し、準備を進めます。

 花見についてはジローさんから、しっかり取材するように―と厳命を受けておりましたが、カメラのシャッターをまったく押していませんでした。代わりに花屋君が描いてくれた小生の横顔=右=を添付します。

2008年4月24日木曜日

プルス(袴田)雪子さんの「ブログ」について

 東京東濤会という山形東高10回生(昭和35年卒業)のブログに投稿していたプルス(袴田)雪子さんが自らのブログを立ち上げました。
 ブログ名は「レマン湖畔より」
 スイスの生活やレマン湖周辺の様子など、写真を添えて紹介しています。なかなか素敵なブログなので、ぜひ上山小中学校の同級生にも公開してほしい‐とお願いしたところ、当ブログからのリンクを承諾していただきました。早速、リンク欄に掲載します。皆さん、ご覧になってください。

 なお、お忙しい日々をお過ごしにもかかわらず、当ブログをご覧になって下さいました。折りを見て当ブログへのご投稿もお願いしてみようと思います。

2008年4月23日水曜日

六年五組の美男美女達!!

 迷っていたのですが、投稿しちゃいました・・・
 六年五組の皆様、無断投稿ごめんなさい。

 4年半前のクラス会の模様です。

 鈴木文右衛門先生、とてもお若いですよね。他の男性と年齢差が感じられません。
 とてもお元気でまたダンディーな振舞いに、小学校の時とは違った感情が沸いてきました。
 ダンスを踊られてとても楽しそうでしたよ。お上手で私も誘われたのですが、不器用な私はダンス等踊れません。おみ足でも踏んでしまったら、ますます印象が悪くなるので、丁重にお断りしました。
 でも、ちょっと心残りでした。

 六年五組の皆様!!
 近況をお知らせ下さい。携帯、パソコンメールどちらからも可能ですから・・・

2008年4月20日日曜日

六年七組ハナミ!!



4月10日ごろ、石垣さんから電話がありまして、大石一丁目の岩井
さんの家で六年七組の花見をするから集まりましょうと言う連絡でした。
期日、4月20日(日)
時間、12時(?)
そして今日写真の方々が集まって夕方6時頃まで、気持ちは青春
姿はそれなりに、、、。楽しかったようですよ。(主人に代わって)

桜 満開











先週の日曜日(13日)に桜の開花宣言をしましたが、ここ3~4日の不順

な天候であるいは散ってしまったかなと思いました。

 朝からの良い天気に誘われて、武家屋敷から上小を通って月岡神社

方面にをたどってみました。

 武家屋敷の山田家、曽我部家のソメイヨシノとシダレサクラが丁度み

ごろなので胸ワクワク。

 学校の二宮尊徳さんもソメイヨシノの甘い香りに微笑んでいるようです。

道路を左手に坂道を登り神社の境内にゆきますと、見事!!それに、

春雨庵から分枝した沢庵桜も濃いピンクの花と美しい若葉を同時に

つけていました。

お城のわきの階段を下りていくと足湯のところにも大勢の方々、そし

てひろばでは花見の宴、遠く蔵王の山々はまだ雪、けぶるような里山

の三吉山そして目の前は桜の花の濃淡の華やかな色おー、ナイス

ビュー!!故郷の花景色を見てください。

2008年4月16日水曜日

ミニクラス会開催の報告(上中3年E組)


 去る4月6日(日)18:00〜20:00迄、JR新橋駅銀座口直近の居酒屋「わん」で上中ー3E東京のミニクラス会を開催しました。 中村 弘君(三重県在住)が所用で上京、それに合わせての開催。 首都圏在住男子6名中、林部 伸太郎君、伊東 宏一君の2名出席、合計3名のミニクラス会。 再会を祝し乾杯! 互いの近況報告などで旧交を温め、アンチ生活習慣病&再会を約し「お開き」楽しいひと時でした。 添付の写真は @日比谷公園(伊東、中村)、@「わん」林部・中村・伊東、

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆伊東 宏一
納豆博士&千葉県食育ボランティア

2008年4月13日日曜日

オークションのおすすめ。

 私は、ちょっとしたオークションオタクです。

 きっかけは、今からさかのぼること6年前。息子が成人したのを機に、独立させようと都内にアパートを借りました。学生の身分での独立なので、贅沢は禁、として日常生活用品になるべくお金をかけない工夫が出来ないものかと思っている時、ヤフーオークションを知りました。

 洗濯機、掃除機、寝具等当座に間に合うだけの用品を格安で仕入れたときは、我ながら悦に浸りましたが、息子は不満だった様です。殆どのものが中古品だった事に対する不満ではなく、私のセンスの悪さにがっかりしたのだと思います。その教訓を生かしたのか、昨年社会人になる数箇月前から、引越しの準備としてオークションで生活用品を揃えていました。その上手な買物に親の私もびっくり。一時息子もオークションオタクになりつつありましたが、今はそんな時間もないらしく、新品の購入を余儀なくされている様です。

 不要になったものをオークションに出品し、必要とする方がそれを落札する事により、限られた資源を大切に有効に生かすというその精神がとても好きです。

 時々新聞で報じられるオークションの不正利用者に対して警戒心を持ち、そのリサイクル型オークションを利用しない方も私の友人等を含め結構いますが、私は
お薦めです

 ただ利用に際して一番大切な事は、正直である事信用を得る事がとても大切な事です。

 例えば、こちらが不要になった洗濯機を出品しようとした時、一部分に傷があった場合、出品用の画像に大きく写し出し、「傷があります」、と正直に訴える事。

 又、こちらが落札(つまり欲しいと思った商品を手に入れる事)した時は、すぐに指定の銀行に代金を入金する事。・・・・です。

 オークション歴6年になりますが、今まで落札した品物は、書棚、たんす、電化製品、寝具、ビール、パソコンソフト、CD、バック、化粧品、プリンターインク、アクセサリー、電子辞書、家具調こたつ、食器、コンタクト洗浄液、ドックグッズ、本等等です。数えてみたら100件余ありました。

 不用品を出品する事もとても面白いですよ。これは、病み付きになりそうです。

 昔子供たちが愛用していたCD、漫画本、ぬいぐるみ、私に合わなかった化粧品等等です。殆どの商品は他の人に利用していただきました。この際大事な事は、儲けようとしない事不当に高く値をつけない事が原則です。

 循環型社会に自分も参加しているという認識を持つ事が大事だとおもいます。

 一度、ヤフーオークションのホームページを訪ねてみて下さい。

2008年4月9日水曜日

好文木

 年のせいか目覚めは早い。ogaさんの健脚には及ぶべくもないが、早朝散歩に出る。
つい2ヶ月前には暗かったが、今は出かけてまもなく朝焼けになり、家に戻るころには朝日
が出ている。今日の日曜日は快晴だ。思わず口ずさみたくなる、清少納言の枕草子の
あの一節「春は曙・・・・・」あとが続かない。もし覚えている人がいたらその一節教えて
下さい。
 
 春先は雑務が多い。町内一斉清掃による側溝掃除、猫の額の庭であるが雪囲いはずし、
枝の剪定と消毒、冬タイヤから夏タイヤへの交換等等。
 側溝掃除とタイヤ交換をして「やれやれ・・」と思っていたら、女房殿の長電話がいつもより
長く、声も弾んでいる。いやな予感が走る。
「こんなに天気がよいのだから、どっかさ、行くべー」。案の定であった。
 
 庄内「湯田川温泉」の梅祭りに行くことにした。車は月山道をひた走る。正面に際立って
白い月山を見る。つい数日前に雪が降ったからだろう。山道にかかっても路面は乾いている。
両脇の山肌には残雪がまだまだ多い。
 
 カーラジオから流れる「パットブーン」の「アナスタシア」、たちまち意識は青春時代に引き
戻される。鉛を飲み込んだような重い苦痛が蘇る。
  
 高校卒業の翌年の夏の初め、上野駅に鴨家君は迎えに来てくれた。小雨に煙っていた
宵のころ、新宿の音楽喫茶に入った。初めての音楽喫茶。結構広い会場で、出演者は
当時ヒット中の「井上ひろし」、「ルイジアナママ」がヒット前の「飯田久彦」、そして「ミッキー
カーチス」。司会者が井上ひろしの「雨に咲く花」を紹介すると、間髪をいれず観客席から
「外は雨よ!」と若い女性の掛け合いが入る。どっと沸く会場。「そうか、これが東京か!」
と思った。
 
 翌年、東京に就職し会社の寮に入ったがなじめず、鴨家君のアパートに転がり込む。
私は昼の勤務、彼は夜の勤務、すれ違いの生活を数ヶ月した。
 最後に彼と会ったのが昭和49年の山形。その後は時々電話で話したが6年前から
音信不通になった。これは私のせいなのだ。彼はいま生きているのだろうか?
 
 やがて、湯田川温泉に入る。ずいぶんと人が歩いている。駐車場入り口も列を成している。
藤沢周平人気のせいか。宿は10件ほどだが大きくはなくともなかなか格式のある旅館もある。
 黒い板塀の上から、樫、椿、梅、松等が枝を覗かせている。門から海坂藩の武士がすっと
出てくる錯覚に襲われる。
 
 公園は小高い丘にあり、段々状の丘ごとに梅ノ木がある。紅梅が多い。以前は、梅の花
には何か物足りなさを感じたが、今はその楚楚とした閑雅な風情に気品を感じる。
 古代の中国において、梅ノ木は文学を好むゆえ「好文木」とも言われたと言う。
花の下で現地の人がしゃべっていた。梅には庄内弁が似合う。
 「春の夜の闇はあやなし梅の花、色こそ見えね香やは隠るる」(凡河内躬恒)
私の好きな歌です。
 
帰途、庄内から見た月山は、キャンバスに厚い白色を塗ったようで、神々しく荘厳であった。
 
 
nobu