2008年5月8日木曜日

娘の巣立ち

 4月から社会人になった娘が、一ヶ月の長い研修を終え帰って来ましたが、いよいよ社員としての生活が始まります。

 勤務地が横浜なので、寮に入るため今日我が家を後にしました。当座必要なものだけを持って行った為、娘の部屋は以前と殆ど変わらない儘です。
 文字通り主の居ない空の巣の部屋を見たとき、寂しさが突然襲って来ると同時に、23年間一緒に過ごした日々が蘇り、よくない傾向(空の巣症候群?)に陥ってしまいました。

 でもその回復は早く、また娘の部屋に入り、今度はオークションに出せるものがないか、品物漁りを始めました。(言葉が良くないですね)
 漫画の本?、参考書?、ぬいぐるみ?、着なくなった洋服?などなど・・・ 早速、娘の許可をもらう為電話をしたら、生返事、この返事は拒否の返事なのです。でも、無視。明日から楽しい出品の準備をしようっと・・・。

 娘の希望したSEの仕事に就く事になりましたが、3k職種(きつい、きびしい、帰れない)といわれるSEはそんなに甘い仕事ではなく、大丈夫かなあ~と思いますが、心配してもしようがない話。割り切るしかありません。ただ、親として全面的に娘を信頼する事。これに尽きる様な気がします。

 娘には小さい時から、「男性と同等である事。そのためには、まず経済的自立をする事」と教えて来ました。夢にも「結婚だけが女性の一番幸福な道」などとは思わない事。「結婚を否定はしないけれど、人生の選択肢の一つ」位に気軽に考える事。などなど私の勝手な思い込みを伝授してきました。同じ事を息子にも教えました。従って、我が家では、息子と娘を男女という事で差別をした事がありません。
 この教えが、馬の耳に念仏となるかどうかは娘次第でしょう。

 とにかく、自分で切り開いた道が人のため、又は社会のために役立ったと自覚した時の充実感を経験して欲しい。その経験が後の人生を豊かなものにすると思うのです。

6 件のコメント:

とん さんのコメント...

我が家の場合はシカゴのハイスクールを卒業した18歳で巣立ちました。帰国子女として予備校に入り、大学入試のため次女だけ帰国したのです。主人の会社の寮を特別に使わせてもらい、たまたまアルバイトで日本に戻ってた長女と暮らし始めたのです。それこそ茶碗一つ無くもちろん布団も無く、ゼロからの始まりでした。親は入試のときに手助けに帰るからね・・と。超呑気ぶってたのですが、実際は娘の部屋を見ては涙・なみだで娘のものは大事で大事でいまもってあるのです。主人も空港で見送って帰るときに下りるべきハイウエイのインターを通り過ぎたり、心が平常心ではなかった様子がわかりました。そんなこんなを思い出しました。今では孫が「ままが使ってたのね。」と、筆入れ、定規、そろばんなど、二代目として使うのでますます捨てられなくて、物あふれ状態です。本当はすっきりこぎれい生活が好きなのですが・・・

ジロー さんのコメント...

とんちゃんお久し振りです。18歳で次女の方が、しかも親の居ない場所での自立とはすごいですね。私等序の口というところですね。でも、日用品の不足分を届けに昨日横浜まで、片道4時間もかかって行ってきました。昨日の時点で、さらに存在が遠のいたと感じました。主人と帰りの道すがら、その話ばかり。でも、喜ぶべき事なのですね。今日は、その娘の部屋の片付けをやっています。元来整理整頓の苦手な娘ゆえ、大変なのですが、大学時代の生活歴が解り、結構楽しいものですよ。お孫さんの代までものを大事にするというのは素晴らしい事ですね。落ち着きましたら、お約束の再会を果たしましょうね。

sizu さんのコメント...

ご無沙汰してしまいました。ゴールデンウイークの忙しさも一段落しまして、サクランボの白い花が満開の時期になりました。
 娘さんのご就職おめでとうございます。空の巣症候群に陥ることなくオークションの準備に入っているご様子スゴイですね。思えば20年以上も前になりますが、ジローさんのご家族が「よねや」に来られたとき(ご法要だったかも知れません)、お帰りになるとき「座布団を重ねなさい。ファスナーのほうを右にして、、、」とお兄ちゃんに言っておられたのを聞き「躾が厳しい、さすがだな~」と感じたことを思い出します。
 私も三番目の子(次女)が地元を離れ、東京で就職し早12年になりますが、ようやくへやの中をかたずけ始めました。高校や大学のテキスト、写真など踏み込んではいけない領域のような気がしてそのままにしていたんですが、、、。

ジロー さんのコメント...

sizeさんへ
20年前によねや旅館に泊めて頂いた事がどうしても思い出せないのです。そこで、我が家の「家庭メモ」を辿ったところ、ありました!!平成元年8月26日に宿泊した記録がありました。この日は、父親の一周忌でした。夕食なしの宿泊費まで記録していました。思えば、主人、二人の子供を宿に残して、私は夜に大沢さんと一緒に、仲條屋の敏ちゃんのお店を訪ねた事もメモとして残っていました。主人に聞いたところ、夕飯なしなので、近くのラーメン屋さんで食事をした事を憶えていました。多分私が不在なので、夕飯なしとしたのかも知れません。思えば可哀相なことをしたなあ~と後悔しています。今度お会いした時懐かしみたいですね。

kas さんのコメント...

ジローさんの優しいそして母親としての子離れの不安な心情が良くわかります。
 SEを志したお子さんがストレートに希望通りの職を得られたことをお祝い申し上げます。お父さんの後姿に大きく影響されたのでしょう。5年程度は苦労が大きいでしょうが上手く乗り切るには、優れた他人の成果物を良く理解して身に付けることでしょう。碁の定石のようなものを見究める余裕が必要です。
 15年前私の長女も水戸の公立女子高から私立東京D大の情報工学科に入学しましたが男尊女卑の校風がなじめず1週間で退学しました。翌年公立の経済学部に入り直し、念願のソフト系の会社に入社しました。その後担当した業務を武器に2回転職を繰返し現在F通のマネージャーをしています。
 親として彼女が適性にあった職業を得たことを嬉しく思いますが、激務のため縁が遠くなってしまう状態が心配です。

ジロー さんのコメント...

コメント有難うございます。娘は、金融関係のシステム構築部門に配属されました。主人曰く「厳しい部所だよ」と心配していますが、本人の頑張りに期待するしかありませんね。特に、独立系のIT企業を選んだ事がさらに厳しさに拍車をかけているのかもしれません。まず、大切な事はやはり健康ですね。早速親馬鹿を発揮して、身体に良い食品を送るつもりでおります。でも、離れて見ると娘は一掃可愛いですね。息子はその点心配なし。その息子も外資系企業に昨年就職し、それなりにやっている様です。