2008年10月23日木曜日

フタリシズカ・平城山(続)

 ノブさん、ありがとうございました。「しずやしづ しずのをだまき…」という歌は、鎌倉・鶴岡八幡宮で頼朝から舞を命じられた静御前が「義経が好き」と歌い、舞って頼朝を激怒させたと伝えられているようですが、その歌も能の「二人静」に関係しているのでしょうか。
 昨年12月、首都圏の皆さんの同級会に出席させていただいた日の午前中、鎌倉を訪ねたときに、鶴岡八幡宮の舞殿と静御前の一件を知りました。

 植物のフタリシズカはこの辺の山林にも自生しているそうですが、見たことがありません。写真を切り抜いていたのは、SIZUさんの「二人静かに…」を拝見していたのがきっかけでした。

 その写真の切り抜きから能の「二人静」や、山城の枕詞「つぎねふ」という言葉、さらに山城と奈良の間に横たわる小高い平城山に、万葉の歌姫「磐之媛」の御陵があり、名曲「平城山」の発祥地になっている-など、いろいろなことを知ることができました。ただ、5年前に平城京跡や秋篠寺など平城山の近くを歩きながら、岩之媛御陵を知らなかったために、寄ることができませんでした。

 5年前というのは「時速5㌔の伊勢参詣」と称し、山形から伊勢まで歩き通し、余勢をかって大阪・高槻市まで歩いたことです。その最終日、JR奈良駅前から平城宮跡、西大寺、秋篠寺を回って高槻方面へ抜けたのですが、磐之媛御陵は平城宮跡と目と鼻の先。今さら悔いてもどうにもなりませんが、寄らずじまいだったことは本当に残念でなりません

「人恋うは 哀しきものと平城山に もとほりきつつ 堪えがたかりき」
「古も つまを恋いつつ越えしとふ 平城山のみちに 涙おとしぬ」
 
 平城山の歌は北見志保子という歌人が、磐之媛御陵を訪れたときのことを思い出して詠んだ2首に、平井康三郎という人が曲を付けた歌だそうです。

 つま(夫)を恋いながら、平城山を越えた古の女性は仁徳天皇の皇后・磐之媛。歴史的には大変、嫉妬深い女性と伝えられているようですが、なかなか情熱的な歌を詠み、万葉の歌姫でもあったようです。

 この平城山の歌は聴いたことがありません。コーラスのジローさんに期待したいのですが、いかがでしょうか。

0 件のコメント: