かみのやま温泉の秋祭り(三社祭)も終わり、秋ですね、、、。
~おどろいた、おどろいた、おどろいた~
~いろはの若い衆はおどろいたぁ~
~チンチロリンとならして~、、、
憶えていますか?踊り山車を曳く時の若い衆の曳き歌です。
私たち小学生の頃は、踊り山車が3日間でて、新丁坂下か
ら新丁クランクをようやく曲がっていました、十日町、二日町、
までも付いて行ったのを憶えています。
また、芸者衆も山車で踊れて一人前、段物を踊って格式の高
いものでした。化粧も顔師がきていたようですし、衣装も相当
なものだったようです。
谷待ち的存在の旦那衆が多い時代は続いたのでしょうが、一時
途切れてしまいました。同級生の故鈴木勝也さんや石井茂吉
さん(旧姓石井良さんの弟)青年会議所の方々が中心になって
復活させて30年近くになるようです。
湯の町上山も例にもれず、芸者衆が少なくなり、一昨年あた
りから山車で踊るのは山形舞妓さんです。もう1台は踊りの社
中の屋台です。
かかし祭りの会場もかみのやま城の公園から市役所隣の市民
公園に移って2年目です。
その時代を映して、アイデアを練り、学校、地区、職場、、、。
で手作りです。北海道や千葉など県外からの出品もあります。
BGMは30、、年前の南春男(?)のかかし音頭が流れてました。
さだまさしのかかしではこの会場では雰囲気が会わないのかな~
3 件のコメント:
青年会議所の方々によって上山の伝統文化を伝承していただいている事はすばらしいですね。敬意を表します。
かかし祭りの写真が、「直江兼続」ですか?その精巧な出来はまさしく芸術ですね。一度観たいと思っています・・・
私は、この山車をみた記憶が無いのですが・・・あるいは、忘れているのかも知れません。それとも、よねや旅館の坂を登るコースが無かったのかしら・・・
いずれにしましても、詳しい模様を有難うございました。
最上義光歴史館の喫茶室で友人とかき氷を食べてきました。ちょうどテーブルの上に最上義光と直江兼続のチラシがありました。兼続は上杉景勝の重臣。米沢の基礎を築いたそうです。400年ほど前、関が原の戦があったとき、上山城や長谷堂城を攻めたてた武将でもあるようです。グランプリは上山城からすると敵将の勇姿?
コメント有難うございます。
NHKの大河ドラマで取り上げられる直江兼継の時代は、今の上山城のある平城の時代ではなく、市街地の西側にある虚空蔵山の中腹にあった高楯城・山城の時代だそうです。
いまは空堀の址、館の址が残っています。新丁に足軽の家並みの出来る前の中世の話ですが月岡城の時代と錯覚します。
上山にいらしたら虚空蔵山まで登ってみてはいかが?実家の父が見つけたといわれる(?)デワノハゴロモナナカマドも山頂近くにありますよ~。春がいいですね、、、。
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