2008年11月2日日曜日

アツモリソウ

先日、ノブさんが記された「アツモリソウ」と「クマガイソウ」はどんな植物なのか…。気になっていたものですから、昨日、県立図書館のある「遊学館」という施設で、ある講演を聴く傍ら草花関連の図鑑もみてきました。
 
「花と樹の大事典」とか「山野草大百科」「原色植物大図鑑」などによると、アツモリソウとクマガイソウは共にラン科アツモリソウ属の多年草。写真を見ると茎の先に丸い袋状の花を付けていました。

花の色はアツモリソウが紫がかった美しい赤、クマガイソウはやや黄色味を帯びた白地に紫がかったい紅い斑点がありました。花の大きさはアツモリソウが5㌢ぐらい、クマガイソウは8㌢ぐらいとのこと。アツモリソウは紅紫色のほか淡紅色、まれに白色や黄色もあるそうです。 

袋状の花が昔、武者たちが鎧の背につけていた母衣(ほろ)に似ていることから、源平合戦の「平敦盛と熊谷直実」になぞらえてアツモリソウ、クマガイソウと呼ばれるようになったそうです。
 
母衣は戦場に出た武者たちが、後ろからの矢を防ぐためにつけていたもので、中に籠などを入れ膨らませていたそうです。

いつからアツモリソウ、クマガイソウの名になったのかは分かりませんが、野に咲く袋状の花を見て敦盛と直実を連想した風流な人がいたということでしょうか。

ただ各地で乱獲され、アツモリソウは絶滅危惧種になっているとか。西蔵王にある山形市野草園に問い合わせたところ、アツモリソウはないが、クマガイソウはあるということなので、来年の開花期に行ってみようと思っています。

敦盛と直実は何かの武者絵で見たような記憶がありますが、二人の詳しい関わりは知りませんでした。帰宅後、平家物語の解説に目を通してみると、一ノ谷合戦の「敦盛最期」というところで、源氏の武将・熊谷直実が合戦の敵とはいえ、自分の息子と同じ年頃の敦盛を討たなければならないことに心を痛め、涙ながらに首をとった。さらに由緒ある笛を腰にさしていた敦盛が笛の名手でもあったことを知ると、直実は間もなく刀を捨てて出家し、敦盛の供養に努めた―というようなことが出ておりました。直実の父性愛と敦盛の風流が交じり合い、死者を悼む人々の心を打つ名編なのだそうだ。

自分にとっては、また新しい発見でした。ヒントをいただいたブログに感謝です。

2 件のコメント:

とん さんのコメント...

とても久しぶりの投稿です。熊谷草の花については 私の住んでいる隣町のクマガヤにまつわる話ではないか・・・と。と いっても何も詳しい説明はできないのですが 熊谷直実のこころ ふところの温かい武将がいたところとして世に残り 浄瑠璃の熊谷陣屋の歌舞伎場面があるぐらいの知識です。花は自然に咲いているのは見てませんが 野草展 料理屋さんなどに飾っているのを何度か目にしました。

oga さんのコメント...

とんさん、お久しぶりです。お変わりありませんでしたか。

熊谷次郎直実は熊谷郷の武将ということですよね。源平合戦で義経の軍に加わり、一ノ谷では息子と共に一番乗りを目指し、平家軍の前で「武蔵国の住人、熊谷次郎直実、子息小二郎直家、一ノ谷先陣だぞ」と名乗った-などとありました。

この戦いで敦盛を討ってから仏門に入った直実の生き方が能や歌舞伎、浄瑠璃などで語り伝えられているのでしょうか。

クマガイソウは来年、西蔵王の野草園で見るつもりです。