上山に住んでいたのは、6歳(位?)〜20歳までの15年間でしたので、それを超えてしまいました。
私の故郷が上山なら、ここは子供達の故郷です。
当時は、活気のある東京のベッドタウンとして発展しましたが、今は高齢化も進み、少子化という社会現象のモデルとも言える程、急速に人口減が進んでおります。
子供達が小学生の頃は、生徒数950人余のマンモス校で、人口も1万人弱の街でした。
土日ともなれば、小学校の校庭は、スポーツ少年団の活動拠点ともなり、野球、サッカーの練習風景や、高らかに響き渡る規律正しい歓声が聞こえたものです。
また街中は若いお母さん達のベビーカーを押す様子があちこちで見られたものでした。
そう言えば、息子、娘とも小学生の頃は「スポ少野球」をやっていました。
土日は殆ど他地域への遠征の為、家族四人分のおにぎりを作り、朝から出かけたものでした。
その頃がとても懐かしいのです。
今は、街中でお見かけする方は、殆ど高齢者です。
たまに、若い女性とかに出会うと「あれっ、どこのお孫さんかしら」と思わず振り返ってしまうのです。
つまり、彼女等は、ここでの第三世代に当たる人達なのです。
少子高齢化が進むとともに、当地の大型スーパーが撤退してしまいました。
採算が採れないからでしょう。
新たな問題は「買い物難民」と呼ばれる方々に対する対策をどうするか、でした。
ほんの「数人の声」が行政を動かし、近隣のスーパーに働きかけた結果、毎日スーパー行きのバスを出してくれる事になりました。
運転がまだ無理な私も、先日そのバスを利用しました。
とても助かりました。
利用者も多く、住民の感謝の声がスーパーに反映された様です。
その他住民パワーを結集して、隔月、街の中心部で「おしゃべり広場」と称したイベントが開かれます。
どれも高齢者を中心に配置されたサービスです。
多分、高齢者対策がかなり充実した街ではないかと思います。
その様な訳で、住民同士の結束も進み、住み良い街になった様です。
子供達は、「多分ここには戻らないと思うよ」とはっきり言いますが、私は、「自然環境、人間環境に恵まれたこの街は捨てたものではないわよ」とは、事ある毎に子供達に言うセリフです。
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