2008年4月3日木曜日

故郷思い出巡り

皆さんの懐かしい話を足で辿ってみたくなり、2日の水曜日に山形から上山市内をウォーキングで往復してきた。
 往路は半郷まで高湯街道、半郷からは上山東街道と、昔の街道をイメージしたルート。桜田、成沢、半郷、金瓶、金谷、泉川を通って上山に入った。
 高湯街道は山形の六椹八幡が起点。鉄砲町の集落(西高の東側)から元木、青田、桜田へと通じていたらしい。道幅は大八車が通れる程度。成沢とか半郷、金瓶の集落内を通ると旧街道の面影が残る。
 泉川からは宮川の橋を渡った後、すぐ左折し、前川沿いに市街地へ向った。奥羽本線の鉄橋下をくぐり、北町から新丁通りに出た。ポンプ小屋と読んでいた消防車の車庫や嘉平さんの茅葺き屋根が健在だった。
 城下町の出入り口でもあったクランクも懐かしい。昔、突き当りの床屋さんにトラックが突っ込んでいるのを何度か見た。新丁33番地。小生の本籍だが、もう実家はない。北燐だった洋品店の駐車場になっている。
 お不動様の参道から石段を上り、境内に出た。小学生のころ毎日、暗くなるまで遊んでいたホームグラウンドだ。学校の記憶は薄いが、こっちは思い出が深い。
 石段脇のキャラ木。赤い実を口にしたこともあった。地蔵尊や三角ベースの野球に興じた境内、稲荷さま、そして十日町の圏域になる愛宕神社。いずれも昔のままに近い。祖母に連れられ地蔵講だったのか、数珠回しの輪に入れられた記憶もある。
 切り通しから御井戸町、湯町を抜け、武家屋敷に出た。一番北側の旧曽我部家は小6で同級生だったミヤコちゃんの家。玄関前の水琴窟でしばらく耳を傾けた。さらに新湯の旅館街から春雨庵まで足をのばし、沢庵和尚に手を合わせてきた。
 帰りは旧羽州街道を辿る。小学校から下大湯共同浴場前に出て、十日町まるや角から北上。新丁坂下の三差路を左に入って四谷の坂を上る。参勤交代の大名やイサベラバードも通った街道だ。
 坂を上りきり、T字路を右折して百花園からまっすぐ黒沢峠に出るつもりだった。しかし、みはらしの丘の大規模開発で旧道はすっかり姿を消していた。道路は目指す方向と反対の方向へ大きく迂回し、すっかり遠回りになってしまった。
 午前10時に家を出て、帰宅したのは午後4時半過ぎ。途中、昼食や休憩時間を除いて5時間ぐらい歩いたことになる。沿道では散り始めたサザンカやマンサクの黄色い花が目立った。前川のほとりではゴイサギ(?)らしい鳥を写真に収めた。
 写真は上が前川で撮ったゴイサギ(?)。中はかつて小生の実家があった新丁クランク付近。下は羽州街道の黒沢峠です。
 久しぶりの遠出で体のあちこちが痛み始めていたが、時の流れを自らの足と目で確かめ、思い出に浸ることができた。大きな充実感だ。 といっても単なる自己満足に過ぎない。長々と記したがご容赦いただきたい。

2 件のコメント:

ジロー さんのコメント...

なつかしい故郷の模様がogaさんの文章を通じて伝わりました。特に、新丁のクランクが懐かしいですね。この辺は昔の面影を残していますね。昔トレーラーバスが山形上山間を走っており、このクランクをバスがやっと通るのを良く目にし、運転手さんの技術に感心したものです。お地蔵様の階段をおり、切通しを通って、湯町に出る左側が私の家でしたが、今はありません。懐かしいお写真と投稿を有難うございます。

sizu さんのコメント...

ogaさんの健脚に驚きです。さすがスポーツマン、、、。
新丁のクランクは本当に事故の多いところでしたね。今は角きりされて少し広くなって事故もすくないようです。中の写真の電話ボックス隣りが実家です。改築するとき江戸時代からの土地だからと亡き母も、兄も頑固に住み着いてます。泉川の写真はゴイサギではないと思います。ゴイサギは夜行性で足が短くズングリムックリしています。池の鯉などを取られて大変なときがありましたので。おそらくアオサギではないでしょうか?