2008年4月7日月曜日

小学校時代ね・・?

小学校の時を思い出すなんて事は ほんとに、ほんとに無かったので絞り出しているいるところです。今は桜のたよりで満開で時期はずれの感が否めないのですが、冬の雪道のためそれとも 長雨のためなのか 長靴に金色で名前を書いてくれるおじさんが学校にきてくれた気がするのです。自分の名前が金色で書かれるなんて 心が弾むじゃないですか!何かうきうきと 決められた所に持っていき遊び時間に 書きあがっているかどうか 何度か足を運んだような~。たしか低学年でした。ふだんは下駄で学校にいきましたね。

 私の担任の先生は3年途中から6年まで須藤清雄先生で母の従姉弟なのです。だから家庭訪問も一度も無く 家の前が先生の家 つまり有馬館です。 藤倉さんや菅原一ちゃんがピアノを習っていて 付いて行き習わず遊んでいました。今考えると惜しいことをしました。バイエルぐらい弾けたら今頃は、優雅にポロロン~でしたね。父は戦死して金持ちでもないのに 母が好きだったのか日本舞踊を習わされていました。きっと明るく生きようと前向きだったのでしょう。だから私はピアノはいいやーとしなかったのかもしれません。

踊りといえば4月8日の大般若・寿仙寺で五助の典子ちゃん 松本屋ののぶこちゃん達と踊りました。月岡神社のお祭りで角兵衛獅子の扮装して踊ったのですが 何故か鼻の下をブルーに塗る化粧をされておんおん泣いたり、映画館のときわ館では発表会で本格的にかつらをつけて踊りました。その時よねやのはるみちゃんなどとても可愛くすばらしかったです。踊りの縁でよねやの大広間の舞台が稽古場になった時もあり 何度か通いました。原田さんにはお世話になってたわけですね。

 私には学校よりこちらの方が鮮明に思い出されました。小学4年ぐらいまでの話です。

私事でつまらなかったでしょう。

2 件のコメント:

ジロー さんのコメント...

懐かしいお名前が沢山出てきましたね。そう言えば、須藤先生とは親戚だと聞いた事があります。須藤先生は三年の時からのピアノの先生ですよね。私は二年の時、川口先生に母がお願いしてレッスンを受けた事があります。その時確か須藤先生はいらっしゃらなかったと思います。温厚な先生だと記憶しています。そう言えば、昔ピアノのレッスンが決まった時、母に「すぐバイエルを買ってあげるから」と言われた時、バイエル=ピアノと勘違いし、「そんなに早くどこから買うのかしら、どこに置くのかしら」と早とちりしました。ただの本だった事を知った時の私の失望は大きいものでした。

oga さんのコメント...

 とんちゃんといえば何故か「人形のような人」という記憶です。日本舞踊をなさっていたということで合点がいきました。踊りを拝見させていただいた事があるのかどうかは記憶にありませんが、その印象が強かったんでしょうか。
 小生も須藤先生のクラスでした。クラスの思い出といえば、やけに自習の時間が多かったということ。
 というのもクラスには男も女も唄の上手な人が多かった。加えて須藤先生は音楽の先生でしたから、合唱の指導に力を入れておられました。
 音痴の小生はまったくついていけない世界でした。合唱の時間はいつも自習時間。かといって勉強をしていたという記憶もなく、自由時間というか自遊時間だったのかもしれません。好きなことをして時間を過ごしていたので、これはこれで楽しかったのかもしれません。須藤先生に感謝ですね。