2010年4月16日金曜日

時速5㌔の伊勢参詣②


【1日目:山形~金山峠~宮城県七ヶ宿】

《楢下までは最短コース》
「じゃあ行ってきます」。玄関前で出発記念のシャッターを押してくれた
家内に軽い言葉を残して自宅をあとにしたのは午前6時。

この日まで何度も上山を往復し、歩き慣れた山大医学部までの通りを、
いつものペースで歩き始めた。ジーパンにウォーキングシューズ。
下着や洗面道具の入ったリックを背負っているとはいえ、
今から伊勢まで歩いて行くとは誰も分からないだろう。
自分自身にも気負いはない。まずは淡々と上山市の楢下を目指した。

本来なら片谷地、松原、黒沢といった
旧羽州街道を通って上山市へ抜けたいところだったが、
この日の宿は七ヶ宿町の関地区に予約してある。
かなりハードな行程となるため、山大医学部前から成沢、
半郷、金瓶、金生、宮脇、牧野を通って楢下に直行した。

それも金瓶から旧上山街道の金谷、泉川を抜けて
国道13号(上山東バイパス)に出る最短コースを選択した。

自宅を出発して2時間後、午前8時に上山市金生の
国道13号沿いで朝食を取った。
食事は近くのコンビニで買った弁当とお茶、パンなど。
朝の通勤ラッシュで流れる車の帯を見下ろしながら食べた。

食後に軽いストレッチをして再び歩き始めた。
宮脇八幡宮から牧野の集落を抜けて
楢下の「滝沢屋」に着いたのは午前9時45分。
管理人のおばさんにお願いして看板の前で
記念のシャッターを押してもらった。

《金山峠から宮城県へ》
金山峠は藩政時代、参勤交代で江戸を往き来する
秋田の佐竹藩主らが整備したともいわれる。
楢下と七ヶ宿を結ぶ最短ルート。道幅が狭く、
曲がりくねった山間道路のため、
12月から3月末まで通行止めになる。

半月ほど前に下見をしたとき、野生の猿が集団で出没していた。
案内してくれた地元の青年に「危険はないのか」とたずねたところ
「目を合わせなければ大丈夫」ということだった。
しかし、峠道を長時間、一人で歩く不安から、
自衛のために長さ60㌢ほどの樫の棒を携帯した。
後日、この棒を持っていたために警察官の職務質問を受けることにもなった。

《県境までは一気》
楢下から金山峠までは約6㌔。かつて鉱山があった赤山地区で
高畠町二井宿方面へ向かう道路と分かれ、左の山道へ入る。
道幅が狭く、カーブが多かったものの、それほどきつい上りではない。
県境までは一気に上りきった。

さすがに交通量は少ない。出会った車は5台足らず。
このうち七ヶ宿側から峠を越してきた福島ナンバーの
高齢者夫婦から「峠道での姿」を撮ってもらった。

山形・宮城の県境では道端に雪が残っていた
県境を通過し、宮城県に入ったのは11時を少し過ぎた頃。
自宅を出てから5時間になる。まずは最初の難関を越えた。
ほっとしながら七ヶ宿町の歓迎看板が立つ休憩所で一息入れた。
とはいえ関地区の「本陣旅館」まではまだ20㌔もある。けっして楽ではない。

《山間の宿場町・七ヶ宿》
県境から50分ほどで国道113号に合流した。
国道113号は宮城県の白石方面と山形県の県南地域を結ぶ主要路線。
二井宿峠(高畠町)の改修が進んでから交通量が増え、
特に大型トラックの走行が目立つ。

山形を出発してから30㌔は超えただろうか。
新調した靴がまだ馴染みきっていない。
両足のつま先に痛みを感じるようになった。
我慢できないほどではなかったが、
七ヶ宿スキー場入り口の峠田地区で靴を脱ぎ、しばらく休憩した。    

七ヶ宿町かつて湯原宿、峠田宿、滑津宿、関宿、渡瀬宿、
下戸沢宿、上戸沢宿と山間地域に七つの宿場があった。
町内を東西に横切る街道(国道113号)は藩政時代、
羽州13藩の参勤交代や出羽三山参りの人々が
往き来した「歴史の道」でもある。 

滑津地区の街道沿いに建つ安藤家本陣は
当時の面影を残しながら保存されている。
8月には町内の旧街道を草鞋履きで歩くイベントもあるらしい。

最初の宿「本陣旅館」に着いたのは15時15分頃。
自宅を出発してから9時間を過ぎていた。
初日にしてはハードな行程だったが何とかクリアする事ができた。

本陣旅館は七ヶ宿町の役場近くの関地区にあり、
昔の宿場町を想い起こさせる民宿。

歩いて伊勢に向かう旅の第一夜としては
似合いの“旅篭”であったかもしれない。
(続)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

再び、小笠原さん、すごーい!

猿がいるのですか?私が上山にいた頃には、いませんでしたよ。1970年、別府で見ましたが、あの頃、もういたのでしょうか・・・?

明日の続きが楽しみです。

oga さんのコメント...

すごかったのは7年前のこと。
今は山形から上山往復もままになりません。

好天に誘われて歩き始めてはみるものの、
旭町の実家にたどり着くのが精いっぱい。
帰りはバスのお世話になっています。
(不甲斐ない限りです)

それから金山峠は楢下から七ヶ宿に抜ける山道。奥羽山脈の連なりです。野生のサルやクマ、カモシカなどは、雪子さんが上山にお住まいの頃も棲息していたはずです。数はもっと多かったかもしれません。

街場で育った雪子さんが野生動物の棲息圏に近づかなかったため、目にする機会がなかったのではないでしょうか。

この蔵出し見聞録は、古稀の挑戦(?)と言ったら大げさかもしれませんが、何か新しい目標でも見つかれば-と思い、勝手に連載させていただいております。

目標が見つかるかどうかは気力次第かもしれませんね。