2010年4月23日金曜日

蔵出し・時速5㌔の伊勢参詣⑥

【5日目:白河市~黒磯市~西那須野町】

《国道4号沿いに栃木県入り》
朝6時にホテルを出た。この日も好天に恵まれ、
快調な滑り出し…と思っているうちに、
目指した方向とはまったく違う道を歩いていた。

ホテルから国道4号に出て黒磯方面へ向かうのがこの日のルート。
だが、旧陸羽街道の国道294号方面へ向かっていた。

散歩をしていた地元の人に道をたずねながら
目指すルートに出ることができた。
時間的にだいぶロスをしたが、あせる必要はない。
この日のうちに目的地へ着けばいいのだから…。

朝日をうけた那須の山並みをのぞみながら栃木県境へ向かう。
国道4号は次第に人家が少なくなった。
前日、ホテルで洗濯した靴下が乾いていないことを思い出し、
リックの外に出して日に当てながら歩いた。

《那須連山をのぞむ晩翠橋》
 7時半ころ栃木県境を通過し、
8時半ころ那須町の柏沼というところで朝食を取った。
コンビニで求めたパンと牛乳で済ませ、
次に休憩した弓落(那須町)という交差点でカロリーメイトを補給した。
 
黒磯市の中心部まで5㌔ぐらい。
国道4号(バイパス)とは別の旧道を通って市街地に向かった。

正午前に那珂川に架かる「晩翠橋」という橋を渡った。
アーチ型の美しい橋で、那須連山の雄大な姿とうまくマッチしていた。

晩翠は「冬枯れの時期でも草木の緑色が変わらない」という意味だそうだ。
那珂川の岸に生い茂る松の緑から名付けられたという。

《黒磯駅前で昼食》
昼食はJR黒磯駅前の食堂で座敷に上がり、ゆっくりと取った。
白河から約30㌔。一日の行程として目安にしていた距離でもあり、
この黒磯市内に泊まることも考えていた。

しかし、午後1時を過ぎたばかり。時間的にまだまだ余裕がある。
12㌔ほど先の西那須野町まで足を延ばすことにしてビジネスホテルを予約した。

《三島通庸の足跡》
黒磯市を過ぎ、西那須野町に入ってから「三島」という地名の農村地域を通った。
明治の県令・三島通庸らの尽力で開拓され、
三島農場や旧三島村が設立されていたという。

西那須野町を含む「那須野が原」一帯は
かつて荒涼とした原野だったらしい。
本格的な開墾が始まったのは明治時代に入ってから。
開墾は地元の有力者や三島通庸ら明治士族の尽力で進められ、
特に那須疎水の整備が進むにつれて不毛の地が
緑豊かな大地に変わっていったらしい。

三島通庸は山形県内でも土木県令の異名をとり、
道路整備などに功績を残しているだけに、
その足跡を思い起こさずにはいられなかった。

《西那須野町に宿泊》
とはいえ連日40㌔を超す行程のせいか、疲れを感じはじめた。
背中の荷物がやけに重く感じられるようになり、足取りも重い。
休憩回数と水分補給を増やしながら国道4号を南下し、
午後4時半過ぎに西那須野駅前のホテルに着くことができた。
背中の負担を減らすため、余分な荷物を自宅へ送った。
少し弱気な面が出たところでもある。
(続く)

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

小笠原さん

今日も、ご苦労さまでした。

「晩翠」って、ステキな言葉ですね。

三島通庸という偉人の話にも、驚きました。

先日の私の質問は、洗濯でしたが、ホテルでご自分ででしたか・・・。

明日も、どうぞ、頑張ってください。

雪子