2011年1月19日水曜日

上山市裏町・同級生の会話から

昨年暮れ、山形市で開いた「手打ち蕎麦を食べる会」に出席した同級生の間で「上山の裏町」が話題になりました。テレビや新聞で「上山市裏町がごみ焼却場の建設予定地に…」というのニュースが報じられていたからです。

山形在住の一人が「裏町の何処さ建でんのや?」と発言したのがきっかけでした。昔、裏町といえば二日町・十日町通りの一本東側、尾上医院や法円寺などがあった通りと記憶しています。違っていたでしょうか?

その裏町にごみ焼却場を建設する余地があったのだろうか-というのが上山以外に住む人たちの率直な疑問でした。

「違う、違う。その裏町ではないのよ。ごみ焼却場の予定地になったのは大石蔭というか、昔、スキー場があった方なのよ。裏町に住む人が持っていた土地が多いため、地名も裏町なんだど」と説明してくれたのは上山在住の方々でした。

なるほど。久保手に近く、大石蔭と覚えていたところが裏町という地名らしい。上山を離れて半世紀。大げさに言えば「初めて知った」ことです。

裏町の話題でもう一つ。「裏町には染物屋が多かったよナ」と切り出したのは郷土史に興味を持つT君。「そう言えばそうね。〇〇屋さんと△△屋さん」「それに◇◇さんも染物屋さんだったわよねえ」と応えたのは上山在住の方々でした。

染物には水が欠かせないため、河川の流れを利用して仕事をするケースが珍しくはなかったとのこと。
これも“なるほど”でした。裏町の東側には前川が流れていますものね。テレビなどで紹介される京都や金沢の友禅流しを思い出したりもしました。

前川で京都や金沢の友禅流しのような光景を目にしたことはありませんでしたが、そうした風情があったのかもしれないと、想像しただけでも故郷の楽しい話題でした。(了)

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

スキー場は、大石蔭という名前でしたか・・・。夏は、背の高い草を刈って、箒にして、新町の道路を子供たちが掃いていました。

裏町に染物屋さんがあったのですか・・・。知らないことが沢山ありますね。

教えていただいて、ありがとうございます。

雪子