「切り通し」も懐かしい所です。
お不動様のすぐ北側に切り開かれ、
新丁から御井戸丁、軽井沢、湯町方面へ抜ける坂道でした。
小学校へ通う道でもあり、冬になると
ソリで滑り降りたゲレンデ(?)でもありました。
女の人は竹下駄というか滑り下駄で
遊んだところではないでしょうか。
切り通しのすぐ上に立つのはお不動様で、
確かに杉の大木や桜の木がありました。
そのお不動様から2~300㍍ほど
南にあったのが愛宕様で、
お不動様と愛宕様の間には
お稲荷さんがあったような気がします。
記憶は定かでありませんが、
sizuさんの実家の筋向いから
お不動様の参道がのび、
万里ちゃんの実家の北側が
愛宕様の参道だったと思います。
お不動様の例祭がいつだったのか、
お堂の中に不動明王が祭られていたのかどうかは覚えていませんが、
お不動様に上る階段の中腹にはお地蔵様があり、
切り通しが開かれた高台一帯は
地域の信仰の場であったのかもしれません。
十二支よる守り本尊については、よく分かりません。
子年生まれは千手観音、卯年生まれは文殊菩薩…
といったようなことですよね。
そういえば先日、御衣黄桜の開花を教えてくださった方に
「虚空蔵山に登った」と話したところ、
その方は「私は毎年、登っています。守り本尊なので…」ということでした。
そのときは虚空蔵様が何年生まれの
守り本尊なのか聞きもしませんでしたが、
調べてみると虚空蔵様を守り本尊とするのは
丑年生まれと寅年生まれのようです。
そして、雪子さんがおっしゃる巳年生まれの本尊様は普賢菩薩。
それがお不動様にあったのか、愛宕様にあったのかは分かりません。
ちなみに午年生まれなの小生は勢至菩薩。
その勢至菩薩が近隣では何処に祭られているのかは分かりません。
お不動様の不動明王は酉年生まれ方々を守るようです。
2 件のコメント:
調べてくださって、ありがとうございました。
私の記憶って、いい加減でした。
実家は新町にあったのですが、ずっと、登って行くと、四谷に神社がありました。何という名前だったでしょうか・・・。春には、若衆が、漫画?を描いた紙を持ってきて、祖母がそれを雪洞に張って、お祭りの夜に門の外に出していました。その神様が申年の神様で、祖母と妹の守り神さまでした。
雪子
四谷は羽州街道沿い。何度か通っていますが、神社には寄ったことがありません。
神社の名前もわかりませんが、申年生まれの守り本尊は大日如来だそうです。
四谷に祀られているのはお大日様かもしれませんね。
今、上山の実家は四谷に近い旭町です。次に行ったとき確かめてきます。
いろんな事を知るのは楽しい事。まして自らの足と目で確かめるのはなおさらです。
神社・仏閣とか仏像などで参考にしているのは「歴史散歩事典」です。以前、ミヤコさんのお母さんから頂戴したものです。今も重宝にさせていただいています。ミヤコさんのご母堂は本当に博識な方でした。
天童の郷土史に詳しい方と、曽我部家へ嫁いだ天童藩士の子女についてお聞きかせいただいたのがきっかけでした。
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